苦しみの痛み
ガタン!
派手な音をさせて板戸まで義信が吹っ飛んだ。
起き上がろうと肘を付く義信を眦をつり上げた高時が射殺さんばかりに睨み付ける。
「黙れ、黙れ義信!」
「いいえ、黙りませぬ!」
切った唇から血が伝って顎から紅の雫が落ちるが、気にもせず義信は言い募る。
「高時様が姫の事を再考していただくまで私は黙りませぬ!」
「うるさい! うるさい! 俺に指図をするな!」
握った拳を振るわせて足を踏み出しかけた高時に抱きついて章時が押しとどめる。
「なりませぬ高時様! どうか、どうか!」
小刻みに震えているのは怒りのせいだろう。
その高時の体を必死に押しとどめる章時。
義信と高時は互いに強い視線で睨み合う。
ぐいと口元の血を乱暴に拭った義信が先に口を開いた。
「章時、止めなくても良い。私は恐ろしくなどありませぬぞ高時様! どうか佐和姫の件を――」
「黙れ! 俺に逆らうならば殺すぞ義信! それに姫のこと、たとえ盛にやらなくてもお前には絶対に嫁がせはしない! 心得ておけ!」
きつい言葉を吐き捨てるなり、足元の茶托を力任せに蹴飛ばして部屋を立ち去ってしまった。
背中が怒りに燃えている。
取り残された章時がすぐに義信の脇にしゃがみ込む。
「口の中も切れているようですね」
これを、と懐から紙を取り出してそっと口元にあてがいながら、大きく溜息を吐いた。
「あれはいけませぬ、義信様。……いつもの冷静な義信様らしからぬお言葉ではありませぬか」
「……ああ、そうだな……」
心配そうに覗き込む章時の為すがままになりながら、義信自身もなぜあそこまで高時を追い詰めるような事を言ってしまったのかと考えていた。
今回、朔夜のことなど何一つ関係のない事だったのに、思わず口走ってしまったのはきっと自分の中にわだかまりがあったからだ。
「最も大切な者」
以前、摂政の邸で輝道に高時が言ったことが思いの外義信の心に重くわだかまっていたのだ。
姫の婚儀は到底受け入れられぬとの覚悟で話をしに来た。
だが受け入れろと言うその高時自身がまだ朔夜が去ってしまったことを受け入れられてはいないではないか。
そう思うと苛立ちと悔しさ、そして憎しみさえ湧いてしまったのだ。
もう二年近くになるのに未だに高時の心を占めている朔夜が憎かった。
だが今はそれを思い続けている高時の心が憎くて仕方ない。
――こんな感情を、主君に抱いてはいけない……
板戸に背を預けながら目を閉じて仰のく。
己の最も大切なものを、このように憎んではいけない。
理性の片隅で叫ぶ。
だが心は御しきれない。
不意に泣きたい気持ちになった。
強く瞼を閉じて息を止めていなければ、今にも涙があふれてしまいそうだった。