夜陰の襲撃
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冷えた夜には月が冴えて明るい。
ぶらりと歩く姿に甘い煙草の香りがついてくる。
うなじの赤い紐がゆらりと揺れる様は、闇の波間を泳ぐ赤い魚のようにも見える。
「おい、お前。最近夜中にぶらぶらと歩き回っているそうだな」
暁の紅波を呼び止めたのは、この寒い中でも見廻りを続けていた城山隼人である。
振り返る紅波がうっすらと唇の端を持ち上げた。
いつもの青の着物の上に羽織った黒の羽織のせいで赤い帯は見えないが、そのせいでよけいに髪に絡みつく紐の赤さが際だっている。
「今夜は一人なのか? いつもは数人でつるんでいるのになあ」
「ここ数日は続いていた人斬りもなりを潜めているから手分けして見回っているのだ」
「ご苦労なことだな」
ふわりと煙を吐き出すと、闇の中に薄い白がゆらゆらと空に昇ってゆく。
「何度かお前を見かけたと他の者からも聞いている。何を歩き回っている」
「人ってのは冬になるとどうやら綺麗な女を侍らせてゆっくりしたくなるらしいな。寒いからなのか? どう思う?」
「それが何だ?」
「だから近頃は俺よりも香弥が贔屓にされてるんだよ。俺はここんとこ暇でね」
城山の顔がさっと強ばったのを見て取った紅波は、煙管を笑んだ唇に挟むと首を傾げて見下ろすような目で城山を見た。
「香弥の話はして欲しくないって顔だな」
「……うるさい。お前になど何が分かる」
「ふん、案外己では分からぬことが傍にいる者には分かることもあるんだよ」
「何が言いたい」
訝しげに目を眇めた城山に向けて煙を吹き付ける。
「香弥は時折俺を欲しがる」
聞きたくないと言わんばかりに顔を背けるが、そんなことに頓着しない紅波は先を続ける。
「大抵は香弥がお前とばったり会ったりした後が多いな。今では全く違うらしいが、少し前の俺はどうやらお前と雰囲気が似ていたそうだ。これが何を意味するか分かるか?」
無言のままで顔を背けているが、じっと話は聞いている。
「香弥が本当に欲しいのは俺じゃないんだろう。なあそう思わないか、城山隼人」
「か……香弥は……」
「香弥が欲しいのならば奪い取ればいい。本当に欲しいものを選ぶのは己自身だ。一つしか手に入らないならば、どれが一番大切か選ばなければならない時がある。お前はいつまで迷うんだ」
手の中でくるりと煙管を反転させると吸い口の先で城山の心の臓の上を指し示す。
「いつまで犬のままでいるつもりだ、城山隼人。お前の大切なものは何かじっくり胸に問いかけることだな。その覚悟もないのなら、いっそ犬のままでシッポを振り続けて指をくわえて見ているがいいだろ――っ!」
最後まで言い切ること無く紅波が城山を思いきり突き飛ばした。
「なっ!」
冷たい土の上に無様に転がった城山が急いで振り返ると、今まで立っていた辺りに一口の刀が突き刺さっていた。
ぎらりと強い光を放つ。
禍々しい光。
それを握る男の目は赤く光る。
「こいつだ!」
近頃また始まった人斬りだ。刀は多分以前花折神社の権禰宜が持っていたものだろう。
男が異様な咆吼を上げて地面から抜いた刀を振りかざし紅波に襲いかかる。
「くっーー!」
飛び退いた紅波が城山に向かって手を伸ばした。
「刀を貸せ!」
「馬鹿を申すな!」
城山が腰の剣を抜き放ちながら狂ったように刃を振り回す男に向かう。紅波が焦れたように再度叫んだ。
「脇差しでいいから貸せ!」
どんな動きをしたのか分からなかったが、気がつけば城山の腰から脇差しが抜き放たれて紅波の手の中で光っていた。
狂った男は滅茶苦茶に踊っている。
その刃の流れる筋も読み切れない。
城山は一つ、二つと弾くが思わぬ軌跡を描いて襲いかかる剣に為す術がない。
小石にかかとをとられ、足をもつれさせて尻餅をついた。
びゅう、と唸りを上げる凶刃が城山へと真っ直ぐに振り下ろされる。
――間に合わない!
咄嗟に息を止めた。