唯一無二
朔夜が去ってから高時は酷く塞ぎ込んでしまい、暫くは何もする気さえ起こらないようだった。
義信と章時がそんな高時を見かねて何度も朔夜を探すように進言した。だが高時はいつも苦渋を浮かべながら頑なに首を横に振るのだ。
――探さないでやってください。
志岐の告げた言葉に縛られて探してはいけないと深く重い楔を心に打ち込んで己の心を止めていたのだろう。
しゅるりと衣擦れの雅やかな音をさせて御簾の内から姿を現せた輝道が立ったままで高時をじっと見下ろす。
しばらく見つめ合うように互いに視線を絡ませていたが、やがて輝道がそっと口元を隠していた扇を下ろした。
「……その者はどのような人となりであられたか聞かせてもらえぬでしょうか?」
思わず義信も息を止めた。
口元を固く引き結ぶその姿は本当に驚くほど朔夜と似ていからだ。
醸し出す雰囲気は全く違うのに、未だにこの胸に強烈に印象深く残るあの少年をまざまざと思い出させるのだ。
「彼は……」
高時は言葉を選びながら淡々と朔夜の事を語り出した。
「名を姶良朔夜と呼ばれておりました」
「さくや……」
「はい。彼は幼いながらも勇敢で魂の真っ直ぐな男でありました。あれは誰にも飼い慣らす事の出来ぬ野生の獣でございました」
「獣とな。その彼があなたの元を離れたと?」
「彼を檻に閉じこめてしまうのは簡単な事でありましょう。だがそうしてしまえば彼は死んでしまいます。あの強く猛々(たけだけ)しく美しい魂も、しなやかで強靱な瞳も、恐れるほど惹き込まれる太刀さばきも、全て朔夜の意のままで無ければ意味はないのです。そのことに俺は気がついていなかった。だから朔夜は去って行ってしまったんだ。この手からするりと逃げ出して……俺はそれを捕まえておく術を持たなかった」
唇を噛み締めた高時は心底口惜しそうに大きな溜息を吐いた。
その目の前に静かに輝道は膝をついた。
「あなたにとって、朔夜という男は大切な者だったのですね?」
柔らかな声だった。
ゆるりと顔を上げた高時は自分を見つめる高貴な青年の瞳を見据えてから、両膝の脇にきっちりと手をついて背筋を伸ばして答えた。
「誰よりも、大切でかけがえのない無二の者であります」
ああ……と義信は嘆息してきつく目を瞑る。
分かっていたつもりではいた。
だが心のどこかで期待していた。
――高時様の唯一無二は乳兄弟であるこの自分である、と。
朔夜が去ってからも高時の心にその残映があることには充分に気がついていた。
それでももう戻らぬ子供だ。
それに朔夜の言葉よりも自分の進言を良く聞き入れてくれていた。
今、近くにあるのは章時と義信、この二人で充分であった。
だが高時は選んだのだ。
朔夜を、この自分よりも大切だと。
震える。
手が、膝が寒さだけではない。
心が冷えて震える。
この凍てついた心を癒して欲しかった。
一人の顔が浮かぶ。
幼さの残る笑顔。
今すぐ会いたいと心でその名を呼ぶ、佐和姫……と。
あの幼き獣の目をした男より、自分を選んでくれた愛しい人に、会いたいと切実に願った。