表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/66

興味


 翌朝の高時の邸では、野間義信の声が響いていた。


「いけません! そのような怪しげな男を招いたとなれば龍堂の名が地に落ちます」

 突然、金造一家にいる『暁の紅波』を邸に招きたいと言い出した高時に義信は猛然と反対をしたのだ。

「そんな男を招いたとの噂が広がろうものならば、高時様が好き者とでも思われてしまいます。それにここには年頃の姫君も居られるのです。いらぬ噂を招くような事は、この義信が認める訳にはいきませぬ」

「ははは、相変わらず義信は生真面目だな。だが俺はその年頃の姫、佐和の為にも呼んでやろうと思うのだ」

「は? 姫の為に?」

「ああ、先だって越後の金杉かなすぎから和睦の証しとして息子が送られてきているだろう。あの男に佐和を嫁がそうかと思っているのだ」

「なっ!? そんな……。あれはいわば人質ではありませぬか。そんな男と姫をめあわすなど、姫の為にはなりませぬ!」

「だがいずれはあの男を越後の主に推してやろうと思っている。そうなれば我らと縁を結んでおればより龍堂は安泰になる。そうは思わぬか、義信」

「それは……」

 理に適っている。

 だが義信は膝に置いた拳を強く握りしめた。


 昨晩、姫は義信を慕っていると告げてくれた。その思いに義信も応えたいと思っている。

 妻子は国元の駿河にいるが、姫を正室として迎えるために、妻と別れてもよいと考えたのだ。

 身勝手と罵られることも覚悟の上だ。結婚とは政略、政治の道具でしかないこの戦乱の世で、本当に愛しいと思える相手と結ばれるのであれば、どんな犠牲を払っても構わないとさえ考えていたのに。


「だから京にいる間くらいは佐和の好きなようにさせてやりたいのだ。佐和が気になっておるのならその紅波と言う男と話くらいさせてやっても良いのではないかと思ってな」

「そ、そのような……」

「それに、俺も少しあの男は気になった。昨晩見た刀の事も聞きたい」

「刀……。霧雨なのでしょうか?」

「いや、はっきりとは分かりかねる。暗かったし抜き身の霧雨をそんなにじっくりと見た事はないから分からなかった。だが、あの男……」

「暁の紅波が、何か?」

「ああ、あの男が何か一喝した途端に攻撃を止めたのだ。不自然なほど急に止まった。だから城山も気になったようだな。あの男、何か知っているのかもしれない。刀の奉納も金造の知り合いだそうだしな。興味がある」


 朔夜は去った。だが高時はまだ諦められないのだろう。

 霧雨なのかも知れないと思うばかりに危険を顧みずに夜の町へと出てしまう。ここで紅波を呼ぶことを承知しなければまた夜の町をあの狂った刃を探しに出てしまうのだろう。


 義信は苦渋する。


 心に渦巻く嵐のような感情は、高時を危険に会わせたくないと思う気持ちなのか、それともたった今告げられた佐和姫の話になのか。もしくは去ってなお高時の心を惑わす一人の男が憎いのか。

 頭の中で思考が停止している。常に冷静でありたいと己を律してきたつもりだったのに、心がざわめいて全ての血が沸騰しているようだ。

 そんな義信の感情には全く気がつかないでいるのか、「とにかく早々に金造一家に渡りをつけておけ」と命じて義信を下がらせた。 





 ぷかりと煙を吐き出したまま、咥えるでもなく口にあてた煙管きせるを指に挟んだままで紅波は部屋から少し先の通りを眺めていた。


 もうすぐ夜が来る。


 片膝を立てたままでぼんやり過ごす紅波の隣に香弥かやがしなだれかかり、指から煙管を奪うと艶やかな紅に彩られた口に咥えて、美味しそうに吸い込んでから、また煙管を紅波の唇に押し当てた。

 吸い口に残った香弥の真っ赤な口紅が紅波の唇に色を差すと、ハッとするほど艶やかに見える。

「何を考えているの? 想い人のこと?」

 甘えたような声で問いかける香弥の声も聞こえてないのか、ぼんやり外を見続けている紅波の着崩した胸元に細い華奢な手を忍ばせる。

「金造から聞いたわよ。あの龍堂様のお邸に呼ばれたそうね。行くの?」

 紅波の胸や肩を指で撫で上げているのに、相変わらず紅波は無表情のまま。

 ただ一言答えた。

「行かない」

 その答えに香弥は驚き目を開いた。


 龍堂と言えばもうすぐ将軍になるだろうと噂されている武家で、その当主の高時は見目も麗しい若い良い男だと専らの噂だ。それに領地では善政を敷いているこの上ない上質の男だと、都の娘達は一目見たいと躍起になっているほどだ。紅波があまり女や男と寝るのが好きではない事は知っているが、それを差し引いても余りあるほどの待遇は期待できる。


「なんで行かないのさ。あんたに興味持ってんなら悪いようには扱わないだろうに。好き者の豪商のおばさんよりよっぽどいいのに」

「……女と寝るのは、金造が必要とするからだ」

 城山が以前勘ぐっていたように、金造は誰かが買い求めたいと思う者は盗んででも手に入れて闇で売買をするあこぎな商売も行っている。

 そのために香弥や他にも抱える女、もしくは紅波のように見目の良い男たちに、目当ての品のある家の主人や女主人に取り入り、在処ありかや邸内の部屋を調べ上げていたのだ。

 答えながらも一向に香弥の方を見ようともしないで闇に沈み行く町を眺めている。


 香弥の白い指が紅波の立てた膝の間に滑り込み、青い着物をはだけさせながら内ももに手を滑らせる。

 日に焼けていない白い内ももの肌の上にある細い月の様な薄赤い痣を撫で上げると、ふいに我に返ったように紅波が香弥に目を向けた。

 煙管の紫煙をふうっと吐き出して雁首がんくびを煙草盆に叩いて灰を落としてから、煙管を挟んだままの手で香弥の細いうなじを撫で上げてやると、女の目が潤む。


「香弥……俺が欲しいのか?」

 ふいっと笑うと、男には得も言われぬ色香が匂い立つ。


 香弥の為にならいくらでも金を積もうとする男は沢山いるし、艶やかさと美貌では金造一家の選りすぐりの女の中でも一番だと自負している。

 だが、この男には敵わない。


 黙ったまま一人でいる時、整った容姿とスラリと伸びた四肢が放つのは、どちらかと言えば峻険な空気に近い。

 しかしその鎧を外すと一気に人を陥れる甘い蜜を滴り落とす。

 人は抗えぬ蝶となりその蜜に惹かれて彼の周りを飛び回るのだ。


 どちらが本当の姿なのかは分からないが、今香弥を見つめてくる瞳は甘い香りを放つ。

 甘いのか鋭いのか、そのどちらをも内包する不思議な瞳に吸い込まれそうになる。

 しなやかで柔らかな髪を結わえる緋色の紐が揺れると、香弥は引き込まれるように紅波の首に白い腕を回した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ