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無邪気な瞳

 章時あきときに呼び出された義信は、高時が夜に見廻りに出る事を告げられて後悔を更に深くした。

 正直、義信は怖がりだ。武勇には長けていて勇気も才知もあるのだが、いかんせん幽霊だのあやかしだのなどがどうにも怖くて仕方がない。

 夜の町を出歩くのも怖いが、もしかしたら妖刀の霧雨を探すとなれば、伏して遠慮したいものだ。


「義信様、佐和姫が近頃ご機嫌斜めで困っているのです。今夜は姫の所に行って話し相手になってくれませんか?」

 章時が笑顔を見せる。


 章時は義信が怖がりであることも、佐和姫を憎からず思っているのを知っているだけに、上手に義信が邸に残れるように取りはからう。

 まだ十七歳の若さだが気遣いでは右に出る者はいない章時だ。

 義信は困ったように眉を下げながら、章時の提案に有難く乗らせて貰う。

「ではわがまま姫様のご機嫌伺いに参らせてもらいましょう」

 笑顔がとびきり甘やかで思わず章時もつられてとびきりの笑顔を浮かべた。


 「ねえねえ、聞いておられるのか、義信様?」

 久しぶりに来てみれば、佐和姫は『あかつき紅波くれは』の話ばかりを繰り返す。


 前に町で偶然に出会ってから、更に色々と噂をかき集めたようで、町の娘は紅波様と呼んで憧れているが決して手を出してはこないところが素敵だ、だの、その色香でおなごだけでなく男も夢中にさせてしまうそうだ、などなど聞けば聞くほど怪しい男の話を繰り返す。

 いい加減に笑顔を浮かべながら聞くのにも飽きてしまい、ぼんやりと灯火に揺れる姫の顔を見つめたり綺麗な調度品をぼんやりと見遣ってしまっていた。


 我に返って改めて佐和姫の顔を見ると、その綺麗な顔に憤慨の表情を乗せて義信を睨み付けていた。

「何か、お気に障りましたか?」

 ぷうっとむくれてそっぽを向いてしまう姫が、余りにも可愛らしくて義信は思わずくすりと笑いを洩らしてしまった。

「まあ! 私が腹を立てているのに義信様は笑うのですね! ひどい!」

「す……済みません」

 笑いをかみ殺しながら謝り、笑い顔を見られないように頭を下げてもう一度問う。

「佐和姫、何に腹を立てておられるのか、この義信にお教えくださりませんか?」

「もう、義信様のバカ! 分からないの?」

「はあ、済みません」

「済みませんではないでしょう! 私が他の殿方の話をしても何とも思っては下さらないのですね! 義信様は私など何とも思ってくださらないのですね!」

 またぷいっとそっぽを向いたが、今度は笑うどころではなかった。


 驚いて顔を上げた義信の見開いた目に気がついた姫は、怒りに任せて自分の言った言葉を今更ながら思い返して、ジワジワと白い頬を赤く染めてふるふると頭を振った。

「ちがっ、違うんですっ! あの、私……そんな意味は無くて……。そ、そう、義信様がそんなどうでも良さそうな顔をされていたから、その、売り言葉に買い言葉と申しますか……」

 しどろもどろに言い訳する姫に向けて、義信は少し困ったような甘い笑顔を浮かべて穏やかに告げた。

「分かっておりますよ。佐和姫の言葉を間違えて受け取って、浮かれるほど自惚うぬぼれてはおりませんからご安心下さい」

 穏やかな言葉に、姫の眉が跳ね上がった。

「どうして義信様は物分かりの良いフリをするのですか! 少しは私の事を思っては下さらないのですか? どうして何も言ってはくれないのですか?」

「……では、私が姫を慕っているとでも言って欲しいのですか?」

 目をすがめて佐和姫を真っ直ぐに見つめると、姫の顔がさっと強ばる。

「そ、そんな……私は……」

 姫の言葉を遮るように義信は手を伸ばして佐和姫の細く柔らかい手を握りしめた。

「いいのですか? 私があなたを欲しいと言っても。本気で言ってもいいのですか?」

 あまりにも真剣な顔で迫られた姫は怯えて身を引いたが、その姿にふっと義信が柔らかく微笑んだ。

「冗談ですよ。私は妻子ある身です。姫を慕う資格はありません。あなた様は良き家の方と良いご縁を結ばれる方なのですから――」

「ではっ……! 義信様は私がどんな方に嫁がされてもいいとおっしゃるのですか? 私がどんな所に嫁いでも、心が幸せになることはないと分かっていても喜ばれるのですか?」

「姫……」

「私は、私は……義信様が好きなのですから!」

 そのひと言に驚く。


 愛らしいこの姫が、以前朔夜に執着していたことは知っている。


 事ある毎に朔夜を呼び寄せ、朔夜の事をいつでも見つめ、そして朔夜の消えてしまった後、しばらく食も喉を通らず伏せってしまうほどに気落ちしていた幼い姫が……


 まさか自分のことを、などと。


 驚きを隠せない義信は、手放した姫の白い手を恐る恐る握り直した。

 今まで近しく言葉を交わしながら一度も触れたことのなかった姫の手は、驚くほど華奢で滑らかだった。その白く頼りなげな指先が不意に堪らなく愛おしく感じられた。気がつけば、無意識に姫をしっかりと抱き寄せていた。

「佐和姫……なぜ……」

 朔夜のことは、もう良いのですかと、そう問いかけそうになり喉の奥に言葉を飲み込む。


 もう一年もなるのだ。


 高時様の中にある朔夜は消えていなくても、佐和姫の中の朔夜は消え去っているのだ。あの獣のような鋭い眼差しを持つ男は、もう消え去ったのだ。


 ああ、と義信は小さく嘆息した。

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