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無邪気な姫君

 雨上がりの京の町はしっとりと濡れそぼり、秋の澄んだ気が重たく沈んでいる。

 漸く射し込み始めた陽射しに照らされて、赤く色づいた紅葉が誇らしげに艶やかに山を飾っている。比叡の山の見事な赤に、目を細めた一人の姫が隣に座る野間義信のまよしのぶ日置章時ひおきあきときに横顔のままでつまらなさそうに口を尖らせる。


「こんなにお願いしているのに、義信様も友三郎ともさぶろうもけちん坊じゃ!」

佐和姫さわひめ、何度も申し上げていますが、私は元服して友三郎から章時あきときになりました。いい加減覚えて下さい」

「同じ年なんだからどんな呼び方したって良いのです!」

「いえ……その理屈が分かりません」


 ため息をつく友三郎こと、章時は額に手を当ててため息をついた。それを横目でちらと見て義信がくすりと笑う。

「姫様、高時たかとき様から時の字を一文字頂いた名前を章時は誇りに思っているのです。どうか章時と呼んでやってください」

 甘い笑顔でいなされた佐和姫は、瞬時顔を赤らめてからぷいとそっぽを向く。

「い、今はそんな事、どうだっていい。私はちょっと出掛けたいと申しているのです。義信様か友三郎がお供するなら出られるのだろう? 後生じゃ、ちょっとだけでいいから」

 お願い、と可愛らしい手を合わせて二人に笑顔を向ける。

 自分がどれほど愛らしいかを十分に知っているとしか思えない仕草だ。それを見た二人は顔を見合わせて少し笑う。


 佐和姫は龍堂高時りゅうどうたかときの異母妹で、現在十七歳。

 歳よりいくらかあどけなく見えるのは大切に育てられた証しなのだろう。

 姫の母親は今は亡き次男、則之のりゆきと同じで、母親は高時に対して良い感情は持ってはおらず、今は剃髪して尼寺に籠ってしまっている。だがこの姫は駿河本城するがほんじょうで父親の龍堂時則が手元に置いて可愛がり育てていたために、母親の感情に流されることなく、ただ無心に兄の高時を慕っている。


 龍堂高時。

 現在二十歳にして京都から関東全域を治める大大名である。


 今は中国四国を治める盛一成もりかずなりと小競り合いと睨み合いを続けているが、天皇は高時に将軍の座を約束している。事実上、高時は戦国の世の頂点に立っていると言えるが、高時自身が盛一成を倒して名実共に制圧するまではと、宣司をお預けしてもらっているのだった。


 その妹の佐和姫も高時が駿河から京へと本拠を移したのに従って、京の邸に昨年遷ってきたのだ。

 それからちょくちょく町に出かけるのを楽しみにしており、今もどこぞからいらない噂を仕入れて、それを見に出かけたいと駄々をこねているのであった。


「ね、迷惑はかけないから、いいでしょう?」

「姫様、お出かけがいけないとは申しておりません。ただおっしゃるような怪しげな人物に会いたいと言うのが問題なのですよ」

 噛んで含めるように義信は甘やかな笑みで、それに似合いの甘い声で告げると、姫がムッとしたように頬を膨らませた。

「怪しいかどうかは見てみないと分からないでしょう? 京の娘達の間ではすごい噂になっている方だそうなんですよ。私だってちょっと見たいって思っても無理はないでしょ。見るだけ、そっと見るだけだから」

「これは困りましたね。佐和姫の我が儘には私は勝てませんよ」

 困り顔で眉を下げる義信だが、決して心底困っているわけではないのは一目瞭然だ。甘えられて悪くはない、と顔に書いている。


 花のかんばせと言われた母親に似た清楚で美しい顔でありながら、幼子のように無垢で甘え上手なこの姫を義信はとても気に入っていた。いや、有り体に言えば愛しく思っていたのだ。

 義信は駿河の領地に妻子がいる。高時が寺を出て支城の満願寺城まんがんじじょうを任された頃に迎えた妻で、今三歳になる息子が一人いる。だがそれとは別に、この佐和姫を可愛らしくも愛おしく感じていた。

 少し前までは本当に子供子供していた姫だが、幼いながらに慕っていた高時の側仕えの男が出奔して以来、物憂げな表情を手に入れて、近頃はハッと目を引くほどに美しい姿になった。 

 それでいて無垢で甘えたな姫は誰からも愛されていた。


 そんな義信の感情をさとい章時はちゃんと分かっている。だから助け船のように口を挟んだ。

「ならば日よりの良い日に義信様と出かけられてはいかがですか? 義信様ならば必ずや姫をお守りになられましょう。それにいかな怪しい者でも、今をときめく龍堂家の一の家臣に盾突くことはありませんでしょう」

「ほら、友……ええっと章時もそう言ってるのだから、お願い、義信様」

 渡りに舟の提案を受けて、猫がおもちゃに飛びつくように目を輝かせながら期待を寄せる佐和姫に、結局義信は負けてしまうのであった。

「……はあ、分かりました。では高時様にもお願いして日を決めましょうか」

「嬉しい! だから義信様も章時も大好きなのじゃ!」

 無邪気な姫の言葉に二人は呆れながらもくすぐったいような笑みを浮かべた。


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