グルダにチーズにワイン
ホテルのテレビを点けると、グルダという男がショパンを弾いている。
ボビーがそう、教えてくれた。
外はもう少しで雪になりそうなまま、どんよりと暮れ果てていた。
重く切ないピアノの旋律が、空の色にそのまま溶け込んでいきそうだ。
少しボリュームを絞ろうと手を伸ばしたら、ボビーから
「ちょっと、そのまま聴かせてよ」
と止められ、仕方なく代わりに窓のカーテンをぴったりと閉ざした。
少なくとも陰鬱な空の色は見えなくなった。
ボビーに風呂を使わせると長いので、サンライズが先に入る。
風呂からあがると、ボビーはシヴァと電話していたらしく、ちょうど電話をおいたところだった。
「シヴァ、夕飯買ってないんだって。今から外に行って来るって」
「一人で街に出すのは心配だなあ」
言いつつも、自分も体がせっかく温まったところでまた、冷たい外気の元に出るのは嫌なので放っておくことにした。
「なんだ、一緒に行かないの?」
「シヴァが勝手についてきただけだから、いいんだよ。それにオレは肩もまだ痛いし」
「肩、凝ってるの?」
「違う、タイで撃たれた所。それに腰も痛いんだよ」
言っていて、一挙に老けたような気がして思わず口走る。
「オレは湯治に来たジイサンかよ」
「トウジ? トウジって何?」
「それはだね……まあいい」
急に立ち上がったサンライズを見て、ボビーが笑う。
「やっぱり気になるんでしょう」
「いやまあ、危険はないだろうが」
そう言いながらも上着を出してくる。
「またどこかでヘンな部品でも仕入れてこないだろうか、心配だからね。やっぱり一緒に行ってくる。風呂入って先にメシ食ってて」
「そうだ、ワインあったら買ってきて」
即座にボビーの声が背中に飛んだ。
「やだよ」
「ボルドーがいい、あまり高くなくていいから」
「だからやだよ」
「あとチーズも、普通のがいいな。グリュイエールとか」
サンライズは大きくため息をついて、コートに手を通しながら部屋を出た。
シヴァと街の中を行くとすぐに、こじんまりしたデパートを見つけた。
「セイブだって」へえここにもセイブあるんだ、とうれしそうにシヴァが入っていく。
サンライズは、さっき駅から帰る時にすでにサンドイッチを買っていたが、食品売り場で揚げものとポテトサラダを余分に買い足した。シヴァはピザを二枚買っていた。
そうだ、ワインだった、とサンライズは辺りを見回してみる。
隅にはワインセラーまでついた、やや本格的な酒屋があった。
「ボルドーのワインください」
と言ってみたものの
「メドックでしょうか?」
と聞き返されて「はあ?」と立ち尽くす。
ワインと言えば赤玉ポートワインくらいしか知らない彼に、若い店員はいんぎんに聞いてくる。
「こちらにメドックを取りそろえておりますが、シャトー・ラフィット、シャトー・マルゴー、それに……」
「マルゴーでいいです」
「ご予算は?」え? 予算編成が必要?
「ちなみにお幾らくらい?」
声が卑屈になってきているのが自分でも感じられる。
「ねえリーダー」
ここではリーダーと呼ぶな、とにらむ。それにオマエはオフだろう?
「ああ、ねえアオキくん」いきなり上司風だ。
「これ、三万八千円だって」
完全に固まる。財布の中には三千円しかない。
「あのぉ」
試しに店員に聞いてみた。
「二千円で買えるボルドーはありませんか?」
そうですねえ、とすでに否定的な笑みを浮かべながら、店員は目をさまよわせる。
結局、よく分からないワゴン品を勧められた。
「一応、ボルドーですから。コーディアのメドックで」
もう横文字は嫌いだ。
シヴァをみたが、同じようにきょとんとしているので、それ下さい、と早口で言うと、
「包装は、どうされます?」ときたので「すぐ飲むので要らない」とそこは即答した。
店を出てから、隅にチーズコーナーもあるのに気づく。
いやなこった、あの店には戻らないぞ。
結局、さっきの食品売り場で、4個入り98円のQ・B・Bチーズを買ってよしとした。