汚い商談 01
開通したばかりの上信越自動車道、上田菅平インターチェンジを見おろす丘の上に、その公園はあった。彼らはすでに、一時間以上その場所で相手を待っていた。
車はエンジンをかけっぱなしだった。
中に乗りこんだたまま、南は時計を見ては窓の外に目を凝らしている。
助手席では、大倉晶子が落ちつかなげに座っている。時々、後ろで眠っている少女に目をやって、ちゃんと息をしているのを確かめていた。
南が突然、晶子のいる離れを訪ねてきたのはその日の午後4時過ぎのことだった。
以前から、たまにふらっと寄っては、こっそり車で買い物に連れて行ってくれたり、余裕があればホテルに行ったりすることもあったが、ここしばらく来た事はなかったし時間的に半端な感じだった。
いぶかしげに見る彼女を、あわてて母屋から見えない脇に連れていき、彼が言った。
「ケンジの居場所を知ってる、って人がいた」
つい水曜に彼に泣きついたばかりなのに、彼はもう情報を手に入れたのだ。
やっぱり、頼りになる。すがりつくように目をみると、彼は、辛そうに顔をゆがめた。
「ちょっとばかり、やっかいなことになってる」
「先見のことね」
「この間、ケンジが川原に突き落とした男の仲間だ」ひっ、と彼女は息を吸い込んだ。
「なんで? あれは事故じゃないの。ケンジはただ掴まれて振り払っただけだって……」
南は急いで彼女を少し離れた所に停めてある車(今日はダイハツのミラだった)に連れていく。
運転しながら、彼は続きを話す。
「相手は別に、ヤツについて責任を取れ、って言ってるわけじゃあない。ケンジ、あの後東京でヤツらに見つかったらしい。それでも先見のことで役に立ってくれるんだったら、ってことでアパートも世話してもらったんだと。でもケンジの先見を再テストしたら、それほどでもなかったんで帰っていい、って言われたらしい。ケンジとも話ができた。元気だったよ」
「ほんとに?」声が裏返る。
「ただヤツら、一つだけ条件を出してきた」
南はずっと、辛そうに声を絞り出している。
「ミヨを連れて来いってさ」
晶子は目をむいた。
「ミヨがさわれちまえばよかった」と吐き捨てた、自分のことばを思い出していた。
「もしかしてアンタ……」揺らいでいた瞳をはたと彼に据える。
「アンタがミヨの話をしたの? ヤツらに。それにどうしてアンタのところに?」
「ばっかだなあ、ミヨの話は向こうはもう知ってた、ケンジと同じくらい、いやもっと力がありそうだって」
車は市街地を少し外れ、集落から離れた山際の農道に停車した。
「オレに連絡がきたのは、ケンジから聞いたんだとよ。しかも今度また調査が来ただろう? それも知ってた」
今夜11時、ミヨを連れて信越道の上田インターに来い。隣接地に新しい公園があるからその駐車場で待つように、との指示だったと言う。
「オレじゃあ、佐伯のオヤジが不審に思うだろう? オマエ、電話してミヨを誘い出せよ」
「無理よ。あのオヤジはワタシのこと嫌ってるし」
「とにかく、友だちのフリでも何でもいいからミヨと直接話するんだ。ケンジ見つかったって言や、すぐ出てくるだろう?」
そこで、途中の公衆電話から佐伯のうちに連絡をしたのだった。
幸運にも、ミヨの弟が出た。彼女の声なぞ知らないだろうし、特に気にしてもいないようだった。それでもつくり声で、同級生を装ってミヨを出して下さい、と頼んだら、外出して戻りは8時過ぎになる、と言われた。
「どうしよう?」
「いいさ、待ち伏せしようぜ。あそこの裏に人目につかねえ空き地もあるし」
8時少し前に再び、南が晶子を迎えにくることになった。それから二人して、佐伯家の裏手でミヨの帰りを待つことにした。
「素直に来るかしら?」
夕暮れの斜めに射す光を晶子は、不安げに見つめた。
「だいじょうぶだよ、ミヨにもちょっと協力を頼みたい、って言ってるだけだし。先見の再調査をしたらすぐ帰してくれるって言ったからさ」
南は、少しだけ落ち着いたのかようやく笑顔をみせた。
「だいじょうぶだって」
家まで送るよ、と言ってくれた南の横で晶子は目を閉じて、少しだけ「先を見よう」とした。幼い頃には彼女にも少しだけできた事だった。
しかし実際のところ、ケンジが成人式の夜慌てふためいて帰ってきた時にもその後いなくなってしまってからも、まるで、未来が見えたためしはなかった。
たとえわずかにでもできていた事が、全然できなくなっているということでますます不安が増す。
晶子には、この先の景色は雪の降りしきる荒野しか見えていなかった。
そして、彼女は知らなかった。
雪の荒野の中で唯一頼りにしているこの男が、実は大嘘つきだということも。
南は発作的にまた時計を見る。ホームセンターで買った安い腕時計だった。
この間大金が入る予定だったので、カタログでロレックスをみつくろっていたが、結局ダメだったのだ。
今回は絶対、うまく立ち回ってやる。
彼は乾いてしまった唇をなめた。そして、また時計を見た。




