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死に戻り令嬢ブランカの無邪気な復讐

作者: 愛崎アリサ
掲載日:2026/10/24

 ブランカお嬢様には、何か秘密があるようです。


 お嬢様は、執事のダミアンさんに連れられてお屋敷に来た私を、ジロジロ眺めて言いました。


「新しい侍女なんていらない、って言ったのに。このロザリー・ハイツに、よそ者はいらないわ。この子を追い返してよ、ダミアン!」


 |ロザリー・ハイツ。生い茂る野茨(のいばら)の間を乾いた風が吹き抜ける、人里離れた荒涼とした地の名です。そんなこの地を、人々はこう噂していました。『人と魔が出逢う、逢魔(おうま)の地』と。


 お嬢様があからさまに私を警戒する中、年若い男性執事ダミアンが、淡々と言います。


「お言葉ですが、お嬢様。旦那様と奥様が亡くなられて一年。使用人も減り、お嬢様のお世話をする侍女もいなくなりました。この子は私の遠縁の娘ですが、いい仕事をしますから試しに雇ってみたらどうですか。但し、幼い頃に熱病にかかって喉を傷め、声が出ないのが難点ですがね」


 お嬢様は「声が?」と眉を上げ、急に明るく態度を改めて、私に言いました。


「ふうん、そう。……いいわ! この子を雇ってあげる! 私は、お金持ちだもの。侍女の一人くらい増えたって、なんてことないわ!」


 ふわふわの金髪を揺らして笑うお嬢様に、私は頭を下げます。この豪奢(ごうしゃ)な館の主であるウィルコット伯爵ご夫妻は、昨年船の難破事故で帰らぬ人となり。一人娘だったブランカお嬢様が莫大な遺産を相続されたというのは、世間でも有名な話です。


 お嬢様は、黒髪の地味な私に興味など無さそうです。彼女は私の名前すら聞かずにさっさとダミアンに視線を移し、はしゃいで言いました。


「ねえ、そんなことより、さっきアルバート様から荷が届いたでしょう! 早く持って来てよ、ダミアン!」


 すぐさま、居間に大きな荷物が運び込まれました。『愛しのブランカへ』と書かれた大きな荷には、ブランカお嬢様のご婚約者であるアルバート伯爵令息の美しい肖像画と、彼直筆のお手紙が入っていたようです。お嬢様はそれを見ると飛び上がって手を叩き、アルバート様の肖像画を私に見せて叫びました。


「お前も見てご覧! 私の婚約者のアルバート様よ! 素敵なお方でしょう! お前にも、アルバート様からのお手紙を読んで聞かせてあげる!」


 お嬢様は、私をその場に立たせたまま、ご自分はふかふかのソファに腰かけ、自慢げに読み上げました。


『可愛いブランカ。きみは今、どうしているのだろう。私は、きみに会えないのが辛くてたまらない。月光に輝く黄金の髪、真珠のように滑らかな肌、そして、優しいとび色の瞳。人づてに聞くきみの姿の、なんと愛らしいことか。とりわけ、皆が噂する、月のしずくのように美しいと言うきみの声! その魅惑の声をこの耳で聞ける日を、私は心の底から待ち焦がれている……』


 お嬢様はお手紙に何度もキスをして、はしゃいで言います。


「ね、すごいでしょ? ハデリアス伯爵家の一人息子アルバート様は、私に夢中なのよ! 私は、生まれた時から、あの方の花嫁になることが決められているの。うふふ……あはは! お前、ダミアンに手伝ってもらって、この肖像画を壁にかけておいて頂戴! 屋敷の中の、一番目立つところよ! あの、階段の上がいいわ!」


 お嬢様は、歌いながら軽やかに居間を出て行かれ。私はダミアンと二人で、大きな両階段の踊り場に肖像画をかけに行きました。黒髪に、濃いエメラルドグリーンの瞳。都中の女性を虜にしているアルバート様が、絵の中から、優しくこちらを見下ろしておられます。


 ダミアンが、エントランスホールを歩み去るお嬢様を眺めながら、低く呟きました。


「お嬢様は、大層ご機嫌な様子。……だがここは、逢魔の地ロザリー・ハイツなのだ。お嬢様の身の上に、何事も起こらねば良いが」


 厳格なご両親の方針で、17になっても、決してロザリー・ハイツを出なかったブランカお嬢様。そのせいで、お嬢様の愛くるしいお姿と魅惑の声の噂だけが独り歩きし、婚約者のアルバート様も、お嬢様との対面を待ちわびているそうです。そのせいで、ブランカお嬢様は、見知らぬ女性達から、激しい嫉妬を向けられているそうです。それこそ……殺意じみた嫉妬を。


 ダミアンが不吉な言葉と共にその場を去り、私は、立派な両階段の上から、屋敷のエントランスを見下ろしました。雲に覆われて翳(かげ)りゆく陽ざしが、広い邸内に、闇の気配を投げかけておりました。


 ロザリー・ハイツの屋敷は、少し変わっています。使用人が少ないので、大きなお屋敷の大部分は暗く、使われていません。けれどブランカお嬢様は、気にもしていないようです。


「私は、結婚してここを出て行く身だもの。この屋敷なんてどうだっていいわ。私がいなくなったら、こんな気味の悪い屋敷、すぐに売り払ってやるから!」


 お嬢様はそう言って笑い、自室で朝食の葡萄パンを頬張ります。ここは気味の悪い屋敷、でしょうか? 私には、とても素敵な屋敷としか思えません。だって、暖炉前の椅子で丸まっている黒猫も、その隣にいる緑の三角帽子を被った小人の人形も、とても可愛いのですもの! 私は、小人君を屋敷のどこかで見かけるたびに、その頭を撫でて、丁寧に暖炉の椅子に座らせてやっていました。


 この屋敷には、他にも変なところがありました。ブランカお嬢様の肖像画が、見当たらないのです。伯爵ご夫妻の肖像画は飾られているのに、お嬢様の肖像画だけは、どこを探しても一枚もありません。でもお嬢様は、肖像画の壁を見上げる私に「私は絵描きが大嫌いなの!」と笑うだけで、やっぱり気にもしていません。不思議な人です。


 ある夜、私は一日の仕事を終え、暗い廊下を歩いていました。すると廊下の先にチラチラと、蝋燭(ろうそく)の灯りが見えます。……あれは、お嬢様だわ。こんなところで、一体何を? 私は、足音を忍ばせて、急いでそちらへ向かいました。


 彼女は、いつもは使われていない暗い廊下に入って行きます。赤い絨毯の敷かれた長い廊下では、いつもの黒猫が前足を舐めていて、そのそばには、小人の人形も転がっていました。まあ、こんなところに、と思っていたら。廊下を歩いていたお嬢様は「邪魔よ!」と人形を思い切り蹴飛ばして、さっさと歩いて行きます。黒猫が「ニャッ?!」と飛び上がり、私もまたビックリしました。人形は壁に激突して、へにゃ、と床に落下します。私は急いで彼を拾い上げて丁寧に埃を払い、傷がないかあちこち見てから、廊下に座らせてやりました。黒猫も「にゃあ」と心配そうな声を上げ、私の手にすり寄ります。


 私は、黒猫の頭をそっと撫で、お嬢様の後を追いました。お嬢様は、突き当りの立派な扉を開けて入って行きます。大きな部屋はがらんどうで室内には何もありませんが、座り込んだ彼女の前には、大きな黒い羽根と、茶色い粉の入った黄金の皿、何種類かの香木が並び、その横には小さな肖像画もありました。これはもしや、呪いの魔術? 呪いの魔術には、恐ろしい代償が伴う、と聞いたことがありますが……。


 驚いた私は、バランスを崩し、カタン、と小さな物音を立ててしまいました。お嬢様が「誰?!」と振り返ります。その顔は、酷く青ざめていました……まるで、死人のように。お嬢様は私を見つけると、一瞬驚いたようですが、すぐに笑い出しました。


「なんだ、誰かと思えば! 口のきけない侍女さんじゃない!」


 お嬢様は「ここに来て御覧なさいよ!」と言って、私を部屋に引き入れます。私は抵抗もせず従いました。お嬢様は、肖像画を指さして楽しそうに言います。


「下品な女でしょ? この女はメリッサ。侯爵の娘だけど、とんでもない淫乱なのよ。気に入った男がいると、既婚者だろうが親友の恋人だろうが、平気で奪い取る泥棒女! そんな雌豚が今狙っているのが、誰だと思う? ……私の婚約者、アルバート様よ」


 低い声。沸き上がる憎悪が、彼女の身を内から闇色に塗りつぶして行くようです。私に言わせれば、そのメリッサさんより、お嬢様の方がよほど悪人だわ。お嬢様は、夢見るようにうっとりと言います。


「アルバート様は、他のどんな男とも違う。あれほどの美貌に、隠しきれない高貴さと鋭い知性。あの方の声は、草原を渡る夜風のように涼やかで、あの声を耳にすれば、どんな女だって、虜になるに決まってる。何よりも、あのエメラルドグリーンの優しい瞳! あの瞳で見つめられると、何も考えられなくなるの」


 お嬢様は、その場でじっとしている私に、ニヤリと笑って囁きました。


「お前にいいことを教えてあげる。私はね……魔術が使えるの。それも、とても強い魔術よ。メリッサの奴、後悔すればいいわ。私のアルバート様に、手を出したことをね!」


 そう言って、肖像画に黒い羽根で呪言を描き始めるお嬢様は、それがいかに可愛らしい人間の少女の外見であったとしても、私には、得体の知れない不気味な存在としか思えませんでした。そこへ、突然、背後から冷たい声がかけられます。


「……失礼します。お嬢様。こんな時分に、こんなところで、一体何を?」


 お嬢様が「ひっ?!」と息を飲んで振り返りました。ダミアンです。執事のダミアンが、扉から無表情な顔を覗かせていました。


「先日、お伝えしたはずです。あのアーチ型の両扉からこちらは、廊下の修繕中で危険なので、決して入らないように、と。……覚えておられませんか?」


 怒りと冷酷が滲む彼の声に、お嬢様が、呪術の道具を背後に隠して叫びます。


「も、もちろん、覚えてるわ! これは、その……私じゃなくて……この侍女さんが、ここに入って行くのが見えたから! 私は、戻るように伝えに来ただけ! それだけよ!」


 お嬢様は、私に否定する間も与えない、とばかりに、すごい剣幕で喚きたてます。


「とにかく、こんなところに用は無いわ! へ、部屋に戻るわよ!」


 彼女は呪術の道具を隠しながら、一目散に長い廊下を逃げ去りました。執事ダミアンが、その後姿を見ながら呟きます。


「全く、なんと危険な」


 数日後、ダミアンが、不幸な話を入手して来ました。侯爵令嬢メリッサ様が、遠乗り中に落馬して重傷を負ったそうです。その話を聞いていたお嬢様は「お気の毒ね」と神妙に言いましたが、私は見逃しませんでした。彼女の口角が、僅かに上がって歪んだ笑みを浮かべたことを。


 その日の昼下がり、私はお嬢様に連れられて、ロザリー・ハイツの丘陵(きゅうりょう)を歩いていました。この辺りには、生い茂る野茨(ノイバラ)の他、何もありません。お嬢様は不機嫌に言いました。


「陰気な所! 私は、こんな所早く出て、あっちのお城に行ってやるんだから!」


 アルバート様のハデリアス伯爵家は、このロザリー・ハイツの、谷を挟んでちょうど真向かいなのです。この高台からは、ハデリアスの古城が良く見えました。お嬢様は丘陵の縁に立って、うっとりと言います。


「ああ、アルバート様に会いたい。アルバート様は、可愛い私のことを、さぞ大切にして下さるに違いないわ!」


 その時、突然ざあっと強い風が吹いて、私は体を丸めました。と、お嬢様の悲鳴が聞こえます。顔を上げると、強風に煽られたお嬢様が、谷底に転がり落ちそうになっているではありませんか! お嬢様は、どうにか持ち直し私を怒鳴り付けました。


「何をぼさっとしているのよ、お前! 私に何かあったら、どうするつもり?! もし私が、ここに落ちたら……」


 と言って、急に彼女は口を閉ざし、奇妙な顔付きで谷底を見下ろしました。暗い谷底には、野茨がびっしりと生い茂っています。針のような棘だらけの、野茨が……。


 再び、強い風がロザリー・ハイツを吹き抜けました。谷底の野茨が、ざあっと一斉にざわめきます。お嬢様が、谷底を見つめたまま、ごくり、と唾を飲み込んで首を振りました。


「……いいえ、何でもないわ。こんな陰気な所、もうたくさん! 屋敷に帰るわよ!」


 お嬢様は急いで立ち去りました。私はひとり、薄暗い谷底をじっと見つめます。それから顔を上げて、谷の向こうの、美しい古城に目を向けました。アルバート様は今、あのお城にいらっしゃるのかしら。崖上に立つ古城は、沈みゆく夕陽を受けて、オニキスのように黒々と輝いていました。


 翌日のことです。屋敷中に、お嬢様の悲鳴が響き渡りました。


「な、何よ、これは! ダミアン!! ダミアン、ちょっと来て!」


 私は、執事のダミアンと一緒に駆けつけました。両階段の踊り場で、お嬢様が顔を真っ赤にしてダミアンに喚きます。


「ダミアン! これは一体、どういうことなの?! あなたの仕業(しわざ)?!」


 見ると、アルバート様の肖像画の横に、ブランカお嬢様の肖像画がかかっていました。金の縁取りのされた、立派な肖像画です。けれどお嬢様は、それを見上げようとした私を突き飛ばしました。


「私が呼んだのはダミアンよ! お前はあっちにお行き!」


 背の高いダミアンが「まあまあ」と私達の間に割って入り、嬉しそうに微笑みます。


「これは、お嬢様の16の誕生日の際に描かれた肖像画ではありませんか。暫く目にしておりませんでしたが、相変わらずお麗しい!」


「そんなこと、どうでもいいわ! さっさとこれを下ろして! ダミアン、あなたなの? この肖像画をここにかけたのは?!」


「私が? いいえ、滅相も無い。むしろ私は、お嬢様の肖像画が行方不明になって以来、ずっと探していたのですからね」


「嘘! 屋敷の使用人でこれを持ち運べるのは、ダミアンくらいじゃない!」


「知らぬものは知りません。……この肖像画が、どこかから自分で歩いて来たのでは?」


 ダミアンはフン、と鼻を鳴らして笑います。お嬢様が、彼を睨みつけました。


「……つまらない冗談ね」


「さあ、どうでしょう? 何しろここは、逢魔の地、ロザリー・ハイツですから。何が起こっても、不思議はありませんよ」


 沈黙が下りました。お嬢様は暗い顔で「冗談も大概にして」と低く言い、立ち去ります。肖像画の中のブランカお嬢様は……微笑んで、こちらを見下ろしていました。


 それから数日経った、黄昏時。ダミアンが外に薪を取りに行き、私はひとり、一階浴室のバスタブに湯を張っていました。そこへ、お嬢様が血相を変えて飛び込んできます。


「誰か! 誰かいないの!」


 私は、立ち上がります。お嬢様が「ダミアンは?! どこなの!」と叫ぶので、窓の外を指さしました。けれど、彼の姿は見えません。薪小屋は、ここから少し離れているから。お嬢様は舌打ちして、私の腕をガシッと掴みます。


「なら、お前でいいわ! 来て! 二階の廊下に、誰かいるのよ!」


 私達は二階へ急ぎます。冴えた月明りの照らす長い廊下には……けれど、誰もいませんでした。お嬢様は、私の視線を受けて必死に叫びます。


「嘘じゃないわ! 絶対に、誰かいたの! 使用人の足音なんかじゃない、なんだか、子供が走り回っているみたいな、薄気味悪い……」


 私は首を傾げます。彼女は、頭をぶんぶん振って叫びました。


「あああー! もう、頭にきた! こんな気味の悪い屋敷、今すぐ出てってやる! 今すぐにここを出て、アルバート様のところへ……」


 お嬢様の振り乱す髪が……差し込む月明りに照らされました。そのすっかり艶が失せた髪はオレンジ色で、やけにパサパサしています。自慢の金髪は、どうしたのでしょう。私の視線に気づいたお嬢様は、パサパサ髪を急いで束ね、怒鳴りました。


「変な目で見ないでよ! お前は、来た時からずっとそうだわ! なんだか、私のことをじっと見て……まるで、監(・)視(・)で(・)も(・)し(・)て(・)い(・)る(・)みたいに!!」


 その時でした。パタ、パタパタ……。暗い廊下の向こうから近づいて来る、軽い足音。お嬢様が飛び上がって「ヒッ!?」と叫びました。


「だ、誰か来る! ねえっ! 聞こえるでしょ?! この、不気味な足音が!」


 私は、お嬢様をじっと見つめ……真顔で首を振ります。お嬢様は驚愕の顔で訳の分からないことを叫び、口から泡を飛ばして後ずさりしました。


「な、何よ、これ……何なのよ! ふざけるのも大概にして! 私は、魔術を使えるのよ?! ここに何が居ようが、そんなもの、私は……」


「でも……私を谷底に突き落としたのは、あなたよ。忘れたとは、言わせないわ」


 突然響いた、少女の声。お嬢様は絶叫して屋敷を飛び出して行きました。私は、二階の廊下の窓から、大きな満月の下を狂ったように逃げ去る彼女を見下ろして、にっこりと笑います。


「……良かった! やっとあの子を、追い出すことが出来たわ!」


 パタパタパタ! 軽い足音と共に、小さな人影が、月明りの廊下の向こうから走って来ました。緑のとんがり帽子を被った小人の人形が、笑顔で私に抱き着いてきます。この子の名は、ティム。ずっと人形の振りをしていた、本物のノーム(こびと)族の少年です。ティムは、私に抱き上げられて、大声で言いました。


「ブランカー! やっと、あの変な女の人が、出て行ったねえ! あの人、怖すぎるよ! 僕、あの人に壁に蹴っ飛ばされて、目を回しちゃったもん!」


 にゃーん、と甘えた声を上げて、黒猫のローラが、暗がりから飛び出して来ました。


「あたし、ブランカとお喋りできるのを、ずうっと待ってた! ねえ、聞いてよ、ブランカ。あの偽ブランカったら、酷いんだから! 『魔女には黒猫が必要よ!』とか言って、あたしを見ると、縄を持って追いかけ回すの。人間って、なんて怖い生き物なのかしら!」


 私は笑って、ローラも反対の腕で抱き上げました。彼らは、ずっとこのロザリー・ハイツで私と一緒に暮らして来た、大切なお友達です。


「ごめんね、ティム、ローラ! 私の傷が、なかなか治らなかったから。あの子を追い出すのが、遅くなっちゃった!」


 私は、彼らを両腕に抱いたまま、一階の浴室に向かいます。そこには、私が湯を張ったバスタブが置いてありました。私は、ティムとローラを床に下ろし、束ねていた黒髪を解いて湯に浸します。黒い染料が、黒いリボンのように溶け出して……私の長い金髪が、広がりました。バスタブの縁に座ってそれを見守っていたティムが、ぱちぱち、と手を叩いて喜びます。


「綺麗! ブランカにはやっぱり、金色が似合うよ! いくら正体を隠すためだからって……髪を黒くしちゃうなんて!」


「あの子を近くで監視するには、正体を隠して、専属の侍女になるのが一番いいと思ったから。黒髪も悪くはなかったけど……この色を全体に塗るのは、本当に大変だったわ!」


 私は体を起こし、濡れた髪を両手でぎゅっと絞ります。私の、魔力に満ちた長い髪が、月の光を受けて黄金に輝きました。ローラが、喉を鳴らしてうっとりと言います。


「ああ、なんていい匂いの魔力だろう! ブランカが治れば、もう心配ないね。みんな、安心して、祝祭の日を迎えられる!」


 裏庭からダミアンが戻って来ました。彼は私の姿を見て、嬉しそうに叫びます。


「ブランカお嬢様! 私共は、この日を、どれだけ心待ちにしていたことか!」


「お待たせ、ダミアン。ごめんね、みんなには、迷惑をかけたわ」


「とんでもございません! 全く、あの人間の娘のお陰で、我々は、とんでもない迷惑を被りましたね! あの娘……アルバート様と結婚したいがために、ブランカお嬢様を亡き者にして、なり替わろうとするなんて!」


「あの子に背中をナイフで刺された時には、ビックリしちゃった。人間と違って、私に呪いは効かないけれど……ナイフで刺されたら、血も出るし、ちょっと気も遠くなるわ。でも、それでふらついた私を、イバラの谷底に突き落とすなんて。あの子はそのあと、平気な顔で、私の振りをしてこの屋敷に来たのでしょ? なんて酷いことをするのかしら!」


 ロザリー・ハイツは、この季節は茶色い枝と棘ばかりの荒涼とした地ですが、初夏には、一面に白く可憐なバラの花が咲く、美しい場所なのです。私はそのバラを摘もうと、半年ほど前にハデリアスの古城が見えるあの谷間へ出かけ……あの人間の女の子に襲われました。


 ダミアンが、「フン!」と見下したように酷薄な笑みを浮かべます。


「あの娘がふらりと屋敷にやってきた時には、何事かと思いましたよ。どうも、ご自慢の魔術で、私共を騙せると思っていたようですが……魔族の私共に、あんな陳腐(ちんぷ)な腐れ魔術が通用するはずありません。ですが、ブランカお嬢様のお体が完全に再生するまで、あの娘を追い出すな、と命じられておりましたから。あの娘の茶番に付き合いながらこの屋敷の秘密を守るのには、まあまあ骨が折れましたよ」


 ため息交じりに言うダミアンに、私は笑って謝ります。


「ごめんね、ダミアン。……このロザリー・ハイツは、古くから、人間界と魔界を繋ぐ唯一の玄関口。でもあの子、まさか自分がそんな重大な場所に入り込んでいたなんて、知りもしないと思うわ!」


 私達ウィルコット家は、魔界の扉を守護するために人間界にやってきた、魔の一族です。私は昨年、任期を終えて魔界に帰還した(人間界では、海で死んだことにした)両親に代わって、その役割を継承しました。でもまさか、その矢先、こんな予想もしないことで、私が瀕死になるなんて! けれど、私には強い再生の力があります。半年という時間がかかりましたが、ナイフとイバラの傷は、もうすっかり癒えました。ダミアンが谷間で私を見つけて、屋敷地下にある回復室に運んでくれて、本当に良かった。


 髪の色を落した私は、皆と共に二階へ向かいます。隣を歩いていたティムが、私を見上げて言いました。


「ねえ、ブランカ。なんであの人間を、もっと早く追い出さなかったの? ブランカが望むなら、僕、いくらでも脅かしてあげたのに! 今日、廊下で走り回ったみたいにさ!」


 私は、ぷう、と頬を膨らませます。


「だって、あの子を追い出すと、そのままアルバート様のお城に押しかけちゃうと思ったんだもの! 私が体を再生してる間に、あの子がアルバート様に近づくなんて……絶対に嫌! それよりは、この屋敷に留め置いて、そばで監視した方がいいと思ったのよ!」


 ダミアンが、ちょうど通りかかった、階段の踊り場の肖像画を見上げて鼻で笑います。


「お嬢様がそう言うから、我々も渋々協力しましたが……アルバート様が、あの娘の嘘を見抜けないことなんて、ありますかねえ。アルバート様は、お嬢様と対面したことはなくとも、肖像画は持っているでしょう。あの娘の腐(・)れ(・)カ(・)ボ(・)チ(・)ャ(・)みたいな顔は、お嬢様と、似ても似つきませんよ? あの娘が、来た途端にお嬢様の肖像画を手当たり次第に外して、裏庭に捨てたのも納得です。肖像画と違い過ぎますからね!」


 ダミアンは、そう大笑いするけれど。自分の婚約者に、自分を殺そうとした女が言い寄るのを、許せる女がいるかしら? 私は、プイッと顔を背けて言いました。


「だとしても、嫌なものは嫌なの! それに、腐れカボチャだなんて。私に言わせれば、パ(・)サ(・)パ(・)サ(・)カ(・)ボ(・)チ(・)ャ(・)よ!」


 私は、大きな衣裳室で、夜空のように滑らかな漆黒のドレスを身に纏(まと)い、月のように輝く黄金の首飾りとティアラをつけました。魔界の扉ロザリー・ハイツの女主人として相応しく、そして、アルバート様をお迎えする婚約者としても恥ずかしくない装いになっているかしら?


 衣裳室を出ると、黒マントの正装姿のダミアンと、キラキラの星を緑の三角帽子に付けたティム、真っ赤なリボンを首に巻いたローラが待っていてくれました。私は、彼らと共にあの長い赤絨毯の廊下に向かいながら、ダミアンに聞いてみます。


「結局、あの子は誰だったの? 何でこんなことをしたのかしら」


「街で調べました。あの娘は、胡散臭い魔術屋の娘です。街には、怪しい魔術の店がやたらありますからね。彼女は、アルバート様と昨年の祝祭で一度だけ踊り、歪んだ恋心を持ったようです」


「アルバート様は、魔族の中でも特に『魅了』の力が強い家系だから。人間の女の子達が夢中になるのも、当然だわ。だからって、婚約者の私を殺そうとするなんて」


 アルバート様も、私と同じく、人間界にいる魔族です。彼の役割は……人間世界を調べること。だから、社交界にも出ているのです。そんな私達の家は古くからとても仲良しで、私達の結婚は、生まれる前から決められていました。ダミアンが言います。


「ブランカお嬢様はロザリー・ハイツを出ていませんから、誰も本当の姿を知らない。だからあの娘は、屋敷の使用人さえ騙せれば、簡単にすり替われると思ったんでしょう」


「酷いわ。私、そんなこと、考えてもみなかった」


 私達は、赤い絨毯を敷いた長い廊下を通り、突き当りの部屋に入ります。この部屋は、あの夜、あの子が呪いの魔術をしていた部屋。一見、がらんどうに見えますが……。


「いい? いくわよ」


 私は、両手を胸の前で合わせて、魔力を開放しました。空気がビリビリと揺れ、この部屋の本当の姿……黒曜石(こくようせき)と黄金に輝く魔界の扉が、姿を現します。ダミアンが嬉しそうに言いました。


「遂に始まるのですね! 年に一度の祝祭が!」


 祝祭。一年に一度、この夜だけは、魔界の住人は、人間界に遊びに来て良いのです。別に、悪さなんてしません。ただ、短い生を精一杯営む人間達を、月の影から、楽しく、密やかに、覗き見ているだけ。私はニコニコ言いました。


「間に合ってよかったわ。私が完全に再生していなければ、この扉を開けなかったもの。魔界に帰ったお父様に、大目玉を食らうところだった!」


 私は、この扉の守護者です。この扉の鍵は……私自身。この大扉を開くには、私の強大な魔力が絶対に必要なのです。ダミアンが笑って言いました。


「あの娘、よりにもよってこの部屋で、呪いの魔術とはね! ここに本物の魔界と繋がる扉があると知っていたら、一体どうしたんでしょうね」


「さあ? あの子なら、魔界にだって突撃していくかもね。魔族は美形揃いだから」


 黒猫のローラが、にゃーん、と私の足に身を摺り寄せて言います。


「ねえ、ところで、ブランカは良かったの? あの女に、仕返ししなくて!」


「いいのよ。だって、あの子はきっと今頃、黄泉(よみ)の悪霊に追いかけ回されているから!」


 呪いの魔術で呼び出した黄泉の悪霊は、『呪われた者か、呼び出した者を祟るまで』決して黄泉に帰れない掟です。あの子は当初、私を呪おうとしました……あのメリッサにしたのと、同じように。けれど私には、呪いを弾くなど容易いこと。ダミアンが笑いました。


「あの娘のあとを追って行った黒い靄(もや)は、そういうことでしたか! ま、自業自得ですね」


 私はニコニコ頷きました。彼女がこの先どうなるかは……知りません。でも、あんまりいい未来ではなさそうね。黒猫のローラが、耳をピン、と立てて飛び跳ねました。


「ブランカ! 早く、早く! ハデリアスの黒鷲(くろわし)が、近づいて来るよ!」


 今夜は、年に一度の華やかな祝祭。そして……私とアルバート様が、初めて会う夜なのです。私はウキウキと言いました。


「本当?! ああ、どうしよう。どきどきして来ちゃった! ねえ、私、変じゃない?!」


 自分の姿をあちこち見下ろす私に、ダミアンが、腕組みをして笑います。


「とても素敵ですよ。アルバート様も、さぞお喜びでしょう。『魅了』と言うなら、ブランカお嬢様だって、負けていませんから!」


 ティムが、パチパチ手を叩いて踊りながら言いました。


「良かったねえ、ブランカ! やっと、大好きな人に会えるね!」


 私の父は、厳格な人でした。だから、私はこれまで、ロザリー・ハイツを出たことがありません。でもそれは、父が私を守るためだったと知っています。だって、人間界は……魔界よりも、とっても怖い所だから! 私はうふふ、と笑います。


「本当は、お父様が魔界に帰ったら、こっそりアルバート様に会いに行こうと思っていたのに。あんな大怪我をしちゃうなんてね! でも、やっと再生して、今夜こそ会えるのよ! 私、ずうっと、この日を待っていたわ!」


 魔界の扉の向こうが、なんとなく賑やかです。屋敷の外からは、ハデリアスの黒鷲の翼の音が聞こえてきました。アルバート様の乗る、大黒鷲(おおくろわし)の翼の音が。私は、体中に満ち溢れる魔力を感じながら、気分よく言いました。


「さあ、行きましょうか。アルバート様をお迎えしたら……祝祭の始まりよ!」


 初めて会うアルバート様は、一体どんな方なのかしら。どきどきが止まりません。今夜は、賑やかで楽しい、最高の夜になりそうだわ! 


 FIn.




最後までお読みいただき、ありがとうございます♪

ハロウィン向けの物語、お楽しみ頂けましたでしょうか

もし本作が面白い、気に入った、と思われたら、ぜひぜひ、ポイント、ブクマなどで応援してもらえたら嬉しいですー!次作もどうぞお楽しみに♪

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