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落差

作者: 速水アオイ
掲載日:2026/07/05

〝その場所〟にたどり着くには、電車を2度乗り換え、合計一時間以上、移動しなければならない。

〝その場所〟にたどり着くには、地下鉄の改札から長い通路を歩き、そのうえで傾斜の厳しい階段を上らなければならない。

 そして〝その場所〟に最終的にたどり着くためには、質量さえ感じられるような分厚い熱気の中、さらに10分あまり、足を進めなければならない。

だが以上の代表的な障害(「~なければならない」)は、いずれも〝その場所〟の魅力を減じることには何ら寄与し得ない。言い換えれば、〝その場所〟は少なくともこの私にとって、いついかなる時も超越的な立場を保ち続けており、だからこそ、外的な要因や事象による影響を受けることなど全くの皆無である。

 そう、そのはずだった。


「すみません、今日先に出ます、後よろしくお願いします」と言ったら、ひどく驚かれた。夏休みがあと2日で終わるという8月30日、午後4時すぎのことである。

「え? アスミさん、先帰るんすか? 珍しいすね、どうしたんすか?」

 私よりだいぶ若いのだが、元気溌剌の感よりも、ふてぶてしさの方が目につくふざけた男は、椅子にふんぞり返った状態のまま、立ち上がる気配さえ見せずにそう返してきた。潰れて上向きの短い鼻と、眼鏡の奥の小さな目、広がった大きな耳、むき出しの二の腕を覆う縮れた茶色の毛、そして何より、小柄でかつ丸みを帯びた全身のシルエット……。それらの細部から構成される全体像を目の端で捉えるたび、私は毎度例外なく二本脚で立ち上がった子豚を連想せずにはいられない。

 そんな「子豚」(以下、Pと記載)に対し、普段私が「お願い」をすることはほとんどない。なぜなら、「できない」からだ。誰かに何かを頼むためには、その「誰か」がきちんと役割を果たしてくれるだろうという信頼が必須だが、もちろん私からPへの信頼度は控えめに言ってゼロであり、そんな奴に何かを頼む気になど、なれるはずがない。

 ただ、この「信頼度0」は、私が個人的にPを嫌っているということを意味しない。いや、「嫌っている」のは事実なのだが、全ての大本にあるのは私の好悪の感情ではなく、Pの筆舌に尽くしがたいヤバさである。

 すぐ前で「筆舌に尽くしがたい」と言っておいてなんだが、一応説明させていただけば、まず私とPは同じ学校の教員だった。私立の女子高で、男前の志願者は面接で落とすという噂がまことしやかに囁かれていたが、Pを見る限り、その噂は本当に思われた。年齢は私の方が5歳年上で、さらにPは一丁前に大学院の修士課程とやらを出たらしいので、勤務年数はさらに私の方が2年長いということになる。つまり7年先輩だ。

 とは言え私は体育科で、Pは英語科の教員なので、本来であれば、接点はそれほど多くないはずだった。基本的に事なかれ主義の私からしてみれば、Pのような畜生は挨拶を交わすことさえ御免蒙りたい相手である。

 だが不幸にも私は、奴の入社直後からすぐに密接な関わりを持たなければならなくなった。なぜならPはよりによって私と同じバドミントン部の顧問に配属されたからだ。

 競技経験はないらしく、それどころか、運動部の経験さえないらしいが、察するに、面接で「どんな部活動でも、全力を尽くしますっ!」とか何とか、口先だけでうまいことを言ったのだろう。想像するだに吐き気が込み上げてくる。もちろんここで言う「吐き気」も、奴の挙動や外見が、生理的に不快であることとは関係がない。問題は、働き始めてから既に5年が経過したというのに、Pの体育館で過ごした時間が計10時間を越えはしないという点にある。

 本当に初めの数日は、恐らく女子高生が運動している様子を観察したいとの切実な思いから、部活に顔を出していたのだが、すぐに自分が「空気」として扱われること(←未経験の部活に宛がわれた教員が、だいたい初めに直面する試練)に耐えられなくなったようで、一週間もすると早くも全く姿を見せることがなくなった。現在話題にしかけている「8月30日」においても事情は同様で、一日練習の日だというのに、奴はそれを全く無視して昼過ぎに登校し、延々空調の効いた職員室で快適に過ごしていたようだ。本当に、いったいどういう了見なのか……?

 もちろん、様々な意味で「今が旬」と言って過言でない少女たちにPを近づけるのは明らかに危険ではあるので、殊に生徒の身を守るという目的のためには奴の怠慢はむしろ好都合だとも言える。だが、ダメだ。一応繰り返しておくが、顧問が2人しかいないのに、そのうちの一人が、「5年間で計10時間以下」なのだ。普通にヤバすぎるだろ……。

 それでも例えば大会の申し込みファイルを送ったり、予定表を作ったりなど、部に貢献する方法は他にいくらでもある。だが残念ながら、Pはマジで何もしないのだ。それでいて陰で、「バドミントン部キツすぎ、アスミのヤロウ……、一人でアツくなりやがって……、まさしくハラスメントだ、早く他の部に移りたい」など、メチャクチャ言っているらしいのだ。そしてにもかかわらず、毎年の人事希望調査では、(恐らく部活に行かなくても私から何も言われないということで)常に「バドミントン部」を希望しているらしいのだ。……マジで人として終わってるよ。

 いずれにせよ、このような事情から、合わせて30名ほどの割と大所帯の部活を、私一人で運営していかなければならないという帰結がもたらされることになる。なかなかどうして、厄介極まりない状況であろう。

 だがそれでも、人間である限り、私にも学校を早く出なければならない時はある。

 今回の「8月30日」も同様のケースに該当するが、そういう場合、私は極力自分の予定に合わせて練習を切り上げ、誠に遺憾ながら、最後の追い出しだけをPに委ねることにしていた。はっきり言って、実に簡単な任務だ。何しろ頃合いを見計らって部室を確認し、残っている生徒がいたら、「早く帰れよ」と声をかけるだけで足りるのだから。夏真っ盛りの時期に、空調もないのに扉や窓の類が全て閉め切られ、言わば「炎熱地獄」と化したアリーナ内で一日過ごすこと(←私の夏休みのデフォルト)に比べれば、まさしく「雲泥の差」ではなかろうか。

 だが先述の通りPは、そういうごくごく簡単な「お願い」に対してさえ快諾するのではなく、開口一番、まず「理由」を尋ねてきた。しかも親指が2本入りそうなほどバカでかい鼻の穴をさらに膨らませ、わずかに眉根を顰めながらだ。当然のようにひどくムカつかされた私は、Pの脳天に踵落としを食らわせることをイメージしながら、静かにただ一言だけ口にした。

「……ダメですか?」

「いや、でも珍しいすね、どうしたんすか?」

 あくまで「理由」を聞き出してやろうという頑ななPのスタンスに、今度は反射的に後ろ回し蹴りを決めてしまいそうになったが、深呼吸を繰り返し、何とか自分を抑えてからこう言った。

「ああ、病気なんで」

「え?」

「実は大病患ってて、だから定期的に病院で検査しなきゃならないんです」

 Pはこちらの言っていることが理解できなかったのか、怪訝そうな表情を見せた後、なぜか薄ら笑いを浮かべることを開始した。

「へえ……、そうなんすねえ……、それは、そいつは大変だ、アハハ、アハハハハハハ」

「何が面白い?」

「え?」

「……いや、何でもないです、じゃあ、あと、よろしくお願いします」

 私はそう言って学校を後にした。午後4時半、まだまだ衰える気配のない真夏の陽光が容赦なく照り付けてくる。私はアスファルトの地面に長く伸びる自分の影を見据えながら、顎の先から垂れる汗を拭うこともせず、ただひたすら足を前に動かして駅へと向かった。


 大学生の時に全国優勝したという経歴を持つ母の影響で、私は物心ついた時、既にバドミントンを始めていた。こう言うと、何やらエリートのようだが、実際には母親はただ全国優勝した大学の部に籍を置いていただけというのが真実らしく、私も大学まで競技を続けはしたが、充実感や達成感の類を得たことはない。戦績に関しても鳴かず飛ばずで、成果と言えるのも、せいぜい「体育教師になった」ことぐらいだ。

 それでも一つだけ、バドミントンは私に対し、とてつもなく大きな「贈り物」をくれた。


 身体の違和感は、まず右足の妙な感覚としてもたらされた。

 部活を引退し、一応就職(つまり今の学校への採用)も決まった直後、大学4年の9月だった。

 普通に歩いている時は問題ないのだが、階段を上ったり、右足に体重をかけたりすると、一瞬地面を踏み抜いたような感じを覚えるようになったのが始まりだった。もっとも初めのうち、その「感じ」は全然強いものではなく、「気のせい」だと自らに言い聞かせられるぐらいのものだった。

 しかしほどなくして右の膝のお皿の上、わずかに内側にあたる箇所が熱をもって腫れ始めた。見た目だけでなく動きの面でも異常をきたし始め、特に伸ばす時に明らかな「引っ掛かり」を覚えるようになった。とりあえず冷やしてみたところ、腫れの方はそれでだいぶ収まったが、「引っ掛かり」感には全く薄れる気配がなかった。また「患部」を指で押してみると、梅干しの種ぐらいの大きさの塊が中に潜んでいるような感触が得られた。明らかに、何かおかしかった。

 それから私の病院通いが始まった。

 初めは地元の接骨院に行き、CTを撮ったのだが何も映らなくて、「たぶん筋肉がずれてるんでしょうねえ~、とりあえず、これからリハビリに通ってくださいねえ~、ガシガシ動かして、いきましょ~」とか何とか言われてお開きとなったが、どうにも自分の感覚と合致しなかったので、後日近くの大学病院にかかってみると、やはり膝の中に何かがあるのだというところまでわかった。でもその「何か」が何なのかわからなくて、結局に11月ごろまで病院を転々とし続けた。

 そんな中で出会ったのが、MRIである。


 建物内に入っても予想したほど涼しくはなかったが、奥へと進むにつれ、徐々に汗が引いていくのがわかった。平日の午後は外来の診療がないらしく、待合室や廊下には人の姿がまばらだった。

自動受付機に診察券を通し、出てきた受診票を手にして、いったん窓口へ向かう。そこで保険証を提示してから地下一階へ降りるのがいつものルーティンだった。

 エレベーターを出ると短い通路を抜け、正面に現れる扉を開けてさらに道なりに進んだ。一歩一歩、足を進めるたび、胸の鼓動が高まっていく。地下に降りたせいか、足音が先ほどよりも大きく聞こえ始めた気がする。

 2度ほど角を曲がり、最後に少しだけ長い廊下を歩き終えた先、あらかじめ期待していた通りのタイミングで、〝その場所〟は私の前に姿を現した。

 もはや皆まで言わずともよいだろう。〝その場所〟とは、MRI検査室のことである。 

 

 MRI、正式名称Magnetic Resonance Imaging、通常「磁気共鳴画像法」と訳されるそれは、強力な磁石と電波を使って体の断面を画像化する検査のことだ(そうだ)。放射線を使わないため被ばくの心配がなく、CT検査では区別がつきにくい臓器の病変や筋肉などの軟部組織の状態診断に有用である(とか何とか……)。

 最初にその検査を受けた時の衝撃は今でも忘れられない。

 細長い台に乗り、仰向けに横たわると、患部が動かないよう、膝の上下に重しを宛がわれ固定された。続けてヘッドフォンと、何か押しボタンのようなものを渡され、機械的に説明が施される。

「検査中は動かないでください、それと、大きな音がするので、ヘッドフォンをしてください、気持ち悪くなったり、何か異変を感じたりした時は、ボタンを押して知らせてください、じゃあ、行きますね」

 そうして検査技師が扉の向こう側に消え、かと思うと台が動き始める。耳に直接流れ込んでくるオーケストラか何かの曲を、少しやかましく思いながら目を閉じた。やがてピピーだとか、ガガーッだとか、ブーッだとか、言語習得前の幼子が好んで口にしそうな音がメロディを引き裂くように断続的に生じ始め、その背後でトントンという音が一定のリズムを刻んでいると思った次の瞬間、声をかけられて私は驚いた。

「はい、お疲れさまでした」

 ……?

 台が初めとは逆向きに引き出され、開けた視界の先が、すぐに薄暗い灰色の天井に覆われる。放心したままの私をよそに、技師が重しを外しながらもう一度声をかけてきた。

「はい、じゃあこれで今日の検査は終わりですので、気を付けて台から下りてください」

「……」反射的にうなずき、身を起こしたが、私はまだ現実に馴染めていなかった。

 私服に着替える際、携帯電話の表示で時刻を確認すると、検査開始から30分近くが経っているとわかり、さらに驚愕の思いが強まった。なぜならその事実は、私が検査の最中、時間の経過にも気づかないほど深く眠り込んでいたことを意味していたからである。

 ……お分かりいただけただろうか? 

 つまり端的に言えば「熟睡」の提供、それこそバドミントンが私に施してくれた「贈り物」の内容である。


 初めての検査から一週間後、気楽に画像診断の結果を聞きにいった私は、自分の膝に腫瘍ができているということを聞かされた。正確には「PVS」という、「滑膜(?)」とやらが異常増殖する病気で、症例が極めて少なく、原因も不明で、だから実際には腫瘍なのかどうかについても諸説あるとのことだった。

 担当の医師もよくわかっていないらしく、「どうやら限局型(病変が広範囲に広がっていないということ?)みたいなので、無理に開いて手術するより様子を見た方がいいかもしれない」とか何とか、非常に曖昧な治療方針を示されるだけで終わった。「医師」というよりも「坊さん」と言われたほうがしっくり来そうなスキンヘッドのオッサンが、さも大したことではなさそうにニコやかな笑みを浮かべながら伝えてきた見立てに不安は拭えなかったが、もちろん一患者にすぎない私は従う以外ない。

 以来、毎年一回MRI検査を受け、後日改めて診察のために通院するということを繰り返してきた。かれこれ10年になる。その間、膝の状態には全く何の変化もなくて、「医師(=坊さん)」の方も初めの内こそ、画像を示しながら熱心にいろいろ説明してくれたのだが、5年目を越えたあたりから「変わってないですねえ、とりあえず来年同じ時期に予約取っておきますか」ぐらいしか言わなくなった。相変わらずの軽い口ぶりから、暗に「もう来なくていいんじゃない?」との意を伝えたがっているようにも感じられたが、私は絶対にそのこと(「もう来なくていいですか?」)を自分から切り出さないようにしていた。言うまでもなく年一回のMRI検査での「熟睡」こそ、今の私にとってほとんど唯一の「安息時間」だからだ。


 今年の検査技師は眼鏡をかけた年配の女性だった。「今年の」とは言ったが、「昨年」と違う人物なのかどうかなどもちろん判別がつかない。だが、女性であることは僥倖だと、私は検査着に袖を通しながら密かに考えていた。体育教師として直射日光を浴び続けているので肌は焼けてボロボロだし、テントやネットを運んだり、バレーボールコートの杭をグラウンドに打ち込んだりといった力仕事も多いので、同年代に比べて皺も多いように思う。また胸はほとんどなく、対象的に脚が太いということで、所謂「魅力的な身体のライン」など望むべくもない。だがそれでも、私は一応女である。台の上に載せられ、文字通り「俎板の上の鯉」のような状態で男の技師に近寄って来られなどすると、本能的に構えてしまい、せっかくの「熟睡」に支障が生じる恐れがある。

 だから、着替え用のスペースから外に出た時、くだんの女性技師が看護師らしき男と会話しているのが目に入ったところで、私は身体を固くしたものだった。確認しておけば、この時私の服装は「検査着」だった。水色のごくシンプルなその衣類は、服というよりもむしろ布切れを纏っている感覚に近い。「検査」のために最適化されたものなのだから当然と言えば当然だが、その分、異様に無防備で、やはり男性の前にその姿を晒すことには抵抗を禁じ得ない。

 だがそれでも、一刻も早く検査を受けたい(=安息を得たい)という思いが止まらなくて、私は何やら深刻そうな表情でしゃべくる2人に声をかけずにいられなかった。

「あのぉ、着替え、終わりましたけど」

 便宜上「2人に声をかけ」た、とはしたが、私の発言が向かっていたのは、もちろん女性技師の方である。だが、結果としては技師だけでなく、こちらに背中を向けていた看護師さえもが振り返り、私に視線を向けてきた。

「……!」

 思わず息を呑んだ私は、「痛っ! 目にゴミが」と嘘をつき、慌てて俯いた。目を擦るふりをしながら息を長く吐き、動悸が収まるのを待つ。しかし、意識しないようにと自らに言い聞かせるほど、呼吸は荒さを増し、胸の辺りの苦しさもまた、増大していく……。

「ちょっと、アスミさん、大丈夫ですかぁ?」

 顔を上げると、女性技師が予想よりも近くから、心配そうに声をかけてきているのがわかった。長い髪を一つに結わえ、眼鏡をかけてマスクをし、白衣を来たその女性は、まさしく「知的なたたずまい」という表現の似合う見た目をしているなあと、私は頭の中で場違いな感想を抱きつつ、返答した。

「……全然大丈夫です、すみません」

 ほぼ同時に男性看護師の姿が見えなくなっていることに気づき、少しだけ胸を撫で下ろす。だがそれでいて、身内の奥深くにこびりつく衝撃の残滓は、棒状の金属探知機での最終チェックを経て、いざ検査が始まってからもなお、弱まりもせずに私を苛み続けていた。

 

 私は今年で32歳になる。独身で、お付き合いしている相手もいない。今は多様性が叫ばれる時代なので、このような特徴を持つ女性への偏見は昔ほど強くないのかもしれないが、個人的には内心焦りを感じる日々である。年齢を重ねると、事実としてできないことが増える。しかも「できること」と「できないこと」の境界は存外曖昧で、だから気づいた時には、できていたはずのことができなくなっている。そういうのが私の現状である。

 だが、私が「眠れないこと」とその「現状」とは、正直あまり関係がない。


 その男は、気づいた時、既に家の中にいた。

 確か、小学校に上がった年の真夏の早朝だった。母親の横で母親より先に目覚めた私は、でも母親を起こすと怒るので、しばらく目を瞑ったまま動かずにいた。だが「動かない」ことはそれ自体、子どもにとって非常に厳しい苦行となる。寝苦しい夏の朝であればなおさらだ。

それゆえ、すぐに耐えられなくなった私は音を立てないよう慎重に立ち上がると、ひとまずトイレに行き、その足で台所へ向かった。あまり覚えていないが、たぶん水を飲もうと考えたのだと思う。

男と遭遇したのはそのタイミングだった。

 男は冷蔵庫の扉を開け、険しい表情で中を覗いていた。集中して何かを探しているようだったが、私の存在にはすぐ気づいたようで、向こうから先に話しかけてきた。

「ねえ、アイス、ないの?」

 私は全身に鳥肌が広がるのを感じた。知らない男が家の中にいたこと、いきなり話しかけられたこと、挙動の不審さ、アイスがどうたらとかいう言葉の意味不明さなど、「鳥肌」の要因はいろいろ考えられるが、最も強く作用したのは恐らく男の美しさである。若さを象徴するように鍛えられた肉体、高く細い鼻梁、切れ長の二重の目と鋭い眼光……。なぜか右の目尻を中心に、殴られた時にできるような青い痣が広がっていたが、それでさえ幼い私には神秘的で魅力的なものに思えた。

 だからなのか、気づけば私はごく普通に、質問に対する答えを返していた。

「そこ、は冷蔵庫、アイスなら、下の冷凍庫」

「あ、そうなんだ、ありがと」

 私が指をさしながら教えると、男はそう言ってしゃがみ込み、今度は冷凍庫をあさり始めた。そこでようやく私は目の前で起きている出来事の異常さを悟ったが、面倒事を嫌う生来の性向が、「まだ夢を見ているのかもしれない」というありがちな解釈を私にもたらし、事態を収拾しにかかった。つまり私はそのまま床に戻り、再び眠りについたということである。

 そして次に目覚めた時、男は跡形もなく我が家から姿を消していた。

 これだけ言うと、やはりそれは夢で、ただ私が寝ぼけているだけだったということで話が落ち着きそうだが、もちろんそうではない。仮に「そう」だとすれば、わざわざここで重々しくエピソードを披露などしないだろう。

 結論だけ端的に申し上げれば、「次に目覚めた時」、「跡形もなく我が家から姿を消していた」のはその「男」だけではなかった。

 私の横で寝ていたはずの母親、その姿もまた、どこにも見当たらなくなっていたのだ。

 通帳や印鑑、さらに衣類や歯ブラシ等、基本的な生活必需品は手つかずまま残っていた。逆に言えば、無くなっていたのはアイスぐらいである。冷凍庫に3つあったはずのカップアイスが全て取り去られていた。

 それゆえ私は初め、母親はただ買い物かどこかに出かけただけだと考えていた。

 しかし実際にはいつまで待っても帰ってはこず、結局今に至るまで、姿を目にしたことはない……。

 当時推理物のアニメが流行り始めていたこともあり、その影響を受けていた私は、この件についても未曽有の失踪事件が発生したのだと考えた。しかし、もう一人の家族である「父親」は違った。

 もともと両親は折り合いが悪く、家庭内では諍いが絶えなかった。その意趣返しのつもりでもあったのか、なぜか父親は「捜索願」を出そうとさえせず、というよりも、特別なことなど何も起こらなかったかのように、平然と生活を送り続けていた。もしかすると、いなくなってせいせいしたというぐらいに考えていたのかもしれない。こちらが何度「探偵」に調査を依頼するよう進言しても全く取り合ってはくれず、やがて業を煮やした私は、所謂「家庭の問題」全般に関わることをやめてしまった……。

 もちろん今考えても、男の出現と母親の「失踪」との間に因果関係があったのかどうかについては定かではない。

 だが反面、私が満足に眠れなくなったのは、間違いなくこの出来事がきっかけである。

 あの時、これは夢だなどと思いこまず、そのまま起きて朝食をとり始めていたら、いや、それよりも両親を起こし、見知らぬ男が家の中にいることを伝えていれば、結果は変わっていたのかもしれない……。

単に「後悔」と表現するだけではあまりに零れ落ちるものの多すぎる負の感情、それこそが私の眠れなさの根本にある。逆に言えば、MRI検査を受けている間だけ、私はなぜだかその「後悔」から逃れ、何も考えず眠りに身を委ねることができるのである。


 待合室に戻るまでの間も、待合室で会計の順番を待っている最中も、私は注意深く周囲に視線を配り、検査室に現れた男性看護師を探していた。会計を終えた後、すぐに出口に向かうのではなく、いったんトイレに寄りなどしてそこら辺を無闇にうろつき回ったのも、やはり同じ目的のためである……。

 もはや皆まで言わずとも明らかだろうが、私がそのような不審者と紙一重の奇行に手を染めていたのは、くだんの男性看護師があの夏の朝に我が家に現れた男とそっくりだったためだ。単に全体の雰囲気が似ているというだけでない。右目の痣の位置までぴったりと合致していた。

 もちろん男を見たのは20年以上前の一度きりで、だから記憶が正しいかどうかさえ、定かではない。【ずっと昔】の記憶の中の男と、【今】目の前に現れた人物とが「そっくり」というのもまた、おかしな話だろう。

 だから冷静に考えてみれば、「他人の空似」という可能性は否定できないはずだった。そしてそのことは、私にもよくわかっていた。容易に想像のつくように、曖昧な「確信」は成果の約束されていない探索行の原動力として長らくは機能し続け得ない。しかしそれでいて私がしつこく男の姿を探していたのは、「同一人物であってくれなければ困る」という、怒りに似た願望が自分の中で激しく燃え上がっていたためだろう。いずれにせよ私が平穏を取り戻すためには、あの男本人から当該の朝の真相を確かめ、「後悔」を断ち切るしかない。その思いが、ともすれば止まりそうになる私の足を叱咤し、動かし続けていた。

 30分ほどが経過した頃だろうか。

 さすがに諦めの念が強まり、最後にもう一度、検査室をのぞきに行ってから帰途に就こうと考え始めた時、私の目は不意にその看護師の姿をとらえていた。紺色のナースウェアのまま、売店のレジ前に立っていた。要するに購買活動の最中だったわけだが、何を買っているかまでは見えなかった。

 やはりこの人物は幻でも何でもなく現実に存在したのだ……。私はそんな当たり前のことを思いながら近くのソファに腰を下ろし、様子を窺い始めた。そして看護師が店を出たのを確認するとこっそり後をつけていった。尾行の経験などもちろんなく、我ながら、随分ずさんな追跡だったかと思う。だが看護師はこちらに気にする様子もなく、手に提げた白いビニール袋をわずかに揺らしながら、ゆっくりと廊下を進んでいった。

 正面玄関ではなく、別の通用口の方から外に出る。

 途端に張り出した熱の幕が早速行く手を遮蔽しにかかってきたが、私はそれを突っ切るように距離を詰めると、後ろから男に声をかけた。いや、かけようとした。

 次の瞬間、計ったようなタイミングでポケットの中の携帯電話が振動し、着信を告げた。

 もちろん私は無視したかった。当たり前だ。私の人生にとって、今が一番重要な時だと言って過言ではない。だが、何となく嫌な予感がして発信者の表示を見ると、Pからの電話だということがわかり、呼び出しに応じずにはいられなくなった。部員に何かあったのかもしれない……。その可能性が頭をよぎったためである。

 耳に当てるや否や、こちらが何か言うより前に、Pが喚き立ててきた。

「あ、アスミさん、やっと出た、あの、ヤバいっす、マジでヤバいっす、部室にカメラが仕掛けられてたみたいで、今ヤバいことになってます、どうしましょう、ねえアスミさん」

「は? カメラ? ……アホかっ! んなもん知るかっ! ……というかお前だろ? 明らかにお前の仕業だろ? なら自分で何とかしろやっ!」

 私は受話器越しということもあり、珍しく感情に任せてそれだけ言い放つと、通話を断ち切った。全く本当にとんでもないお荷物だな……。そう考えながら改めて目の前の現実に目を戻すと……、「あれ?」

 Pとのその茶番めいたやり取りはものの数十秒に満たないはずだった。にもかかわらず、既に看護師の姿はどこにも見当たらなくなっていた。首をかしげながら、それでも他にどうしようもないということでひとまず植え込みに近寄ると、ビニール袋が放置してあることがわかった。迷ったが、周囲を見渡し、誰もいないことを確認してから中を見た。

「……ハハハ、ハハハハハハハハハハ……」

 気づくと笑みが漏れていた。間髪を入れず袋に両手を差し入れ、中身を眼前に捧げ持つ。

 未開封なまま縦に三つ積み重ねられた、溶けかけの柔らかいカップアイス。

 その側面から垂れた水滴が、指から手首を伝って地面へと落ちた時、私は唐突に次の「熟睡」まで一年待たなければならないことに思い至り、深く果てしない絶望を覚えた。


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