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婚約破棄を高らかに  作者: 丹空 舞


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2/2

後編


「ちょ、ちょっとお待ちください!」


 思わず声が裏返った。

 がしっと掴んだ細い肩は、驚くほど華奢で、力を入れれば折れてしまいそうだ。



「だめです! こんなことしたら」



 姫様――いや、もう妻なのか。

 その事実が今さら頭を殴ってくる。


 心はTHE庶民の公爵・俺を見下ろしたまま、姫は首を傾げた。


「何故です?」


 何故です、じゃない。

 いや、政略結婚って確かにそうなんだろうけども。


 無表情の整った白い頬。

 だが、逃げる気配はない。


 むしろ「次は何をすればよろしいのでしょうか」と言わんばかりの待機姿勢だ。

 あ、これ完全に勘違いしてる。

 俺は慌てて、姫から身を離した。


「ええとですね。順序というものがありまして」


 俺は必死に言葉を選んだ。

 前世の社会人スキル、今こそ発揮するときだ。


「今日は……その……何もしません」


 ぴし、と空気が止まった。


 「わ……わたくしに、女性として魅力が無いと」

 「いえいえいえいえ滅相もない」

 「ですが」


 姫の眉が、ほんの一ミリ動いた。

 それだけで、彼女が動揺しているのが分かる。


「……それは、公爵としてのご判断ですか?」


 声は静かだ。

 だが、どこか探るような響きがあった。


「俺個人の判断です」


 そう言って、彼女の肩から手を離す。

 ベッドから身を起こし、距離を取った。


「今日は疲れてるでしょうし。環境も急すぎる。姫様――いや、君が落ち着くまで、無理はしない。というか、えー、なんだ、あれです。いわゆる、白い結婚というやつです。嫌なことはしないって約束します」


 紳士として、否、聖なる日本男児としての誇りを胸に、俺は草食男子としての一生をまっとうすることに決めた。

 決してチキンなわけではない。


 姫はゆっくりと身を起こした。

 シーツを握る指が、少しだけ強張っている。


「王宮では、政略結婚とはそういうものだと習いました。それに公爵ともなれば、女性は花のように自由に幾らでも手折れるものだと」


「あー……うん、分かる。分かるけど」


 言いたいことは分かるんだけど、それをそのまま実行した結果が、アニメ版ヨハンの末路なわけで。

 それにこの姫様、ロボットみたいだ。

 感情が無いような淡々とした口ぶり。



「俺は、君の気持ちが伴わないのに、そういうことはしたくない」




 はっきりそう言うと、姫は初めて視線を伏せた。



「……奇特な方ですね」



 責めるというより、戸惑いに近い声音だった。 

 何とでも言ってくれ。


「世間話でもして解散しましょうか」

 曖昧にへらへらと俺が笑っていると、姫はふふと小さく笑ってくれた。

 うお、笑うとこんな雰囲気になるんだ。

 クールだった雰囲気が少し緩むだけで、ぐっと親しみやすくなる。


「姫様は……お名前は」

「ヴィクトリアです」


それは知っている。


「そうじゃなくて……何て呼ばれてます?」

「姫と」


 あー……そういう感じか。

 俺は悟ってしまった。

 この子、友達とか親しい対等な存在っていうのが、これまでほとんど居なかったんだろう。


「じゃあ、ヴィッキー」

「えっ」


ヴィクトリア姫は端正な顔に驚きの色を浮かべた。


「な、何ですかそれは」

「愛称」

「そっそんな」

「不敬ですか?」

「いやそういうわけではないですけど」


いいんだ。


俺がにっこりすると、姫はうろうろと視線をさまよわせた後で、諦めたように小さく詰めていた息を吐いた。


「そっそういえば」

「何ですか?」

「公爵領の東部。あの水路の整備を先延ばしにしたのは、なぜでしょうか」


 ――は?


 俺は一瞬、思考が追いつかなかった。

 姫は少し早口に喋った。


「治水の件です。王宮の資料では、予算不足とありましたが……あれは、違いますわ」


 違うのか?

 姫は淡々と続ける。


「優先順位の問題です。あそこは、氾濫の頻度が低い。ですが、もし一度でも決壊すれば、被害は致命的になる。つまり、リスク管理なのです」


「リスク管理?」


 思わず口を挟むと、姫の顔が上がった。

 ぱち、と目が合う。


「……はい」


 今度は、はっきりと。


「先に水路に手を入れ、リスクを最小限にしてから、道路と倉庫を整え、物流を回し、非常時の物資輸送を確保する。もうすぐ雨期が来ます。その方が、結果的に被害を抑えられます」


 俺は、しばらく言葉を失った。


(いや、これ……)


 俺がこれまで「雰囲気でうなずいていた」案件を、この人は、完全に理解している。


「……それ、誰に教わったんですか?」


「誰にも」


 きっぱり言い切った。


「王宮では、口にすると煙たがられましたので」


 なるほど。

 だから『無口で役に立たない姫』だったのか。


 喋らなければ、賢さは罪にならない。

 俺は、思わず笑ってしまった。


「参ったなあ」

「?」

「ヴィッキー、めちゃくちゃ優秀じゃん」


 その瞬間、姫の目が、ほんの少し見開かれた。

 驚きと嬉しさを、必死に隠そうとする気配がする。


「……そのような評価を受けたのは、初めてです」


 淡々と言いながら、頬が少しピンクになっている。

 ああ、もう。



(これ、完全に当たり引いてるだろ、俺)



 俺は立ち上がり、寝室の扉を指した。


「俺は今から隣の部屋に行きます。今日は別々に休んで、明日から、正式に話をしましょう」


「……何をですか?」


「公爵領のこと。君の考えている全てを知りたい」


ぱちぱちと大きな瞳をまたたかせたヴィクトリア姫は、はにかんで夜着の裾をつまんだ。


ぐらつきそうになる理性に喝を入れる。

おやすみなさい、と言った声は少しぶっきらぼうだったかもしれない。





 翌朝。

 

 俺はねぼけまなこで、顎をさすった。

 なにせ昨夜、ほとんど眠れなかった。

 別に何かあったわけじゃない。

 何もなかったからこそ、頭が休まらなかった。


(とんでもない人を嫁に迎えた気がする……)


 公爵家の豪奢な天蓋付きベッドでそんな反省をしている時点で、すでに俺の人生はだいぶおかしい。


 九時。

 いつも通り起床。

 侍従たちがわらわらと入ってきて、顔を洗わせ、髪を整えさせ、服を着せてもらう。

 昨日までなら勝手にしろという気分だったが、今は違う。


 妻がいるのだ、妻が。

 新婚早々、みっともないところは見せたくない。


 九時半。

 散歩。今日は馬車ではなく、歩き。

 公爵家の庭園を一周するだけだが、頭が整理される。

 そのとき、執事バーニッシュが小走りで近付いてきて、控えめに声をかけてきた。


「旦那様。奥方様が、朝食の席で同席したいと」

「……え?」


 思わず足を止める。


「朝食?」

「はい。『公爵の一日の流れを把握したい』と」


 あの人、もう運営モードだ。

 やる気まんまんじゃないか。


「……分かった。ありがとう」


 バーニッシュは微笑んだ。


「ご武運を」


 完全に察している顔だったな、あれは。

 


 十時、朝食。


 長いテーブルの向かい側に、姫――正式には公爵夫人ヴィクトリアが座っている。


 決して派手さはない。

 だが、姿勢の良さが気品を物語っている。

 高価なドレスやアクセサリーのない、シンプルな朝の風景なのに、彼女がいるだけでぐっと空気が締まる。

 

 これが王家の格というやつだろう。



 料理が運ばれ、俺がナイフを取ると、彼女も同じタイミングで動いた。

 しばらく無言。

 だが、重苦しくはない。


「……あの」


 先に口を開いたのは、彼女だった。


「本日のご予定を、簡単で構いませんので教えていただけますか」


「ええと……」


 俺は、自分のスケジュールを思い出す。


「十一時に手紙とカードの整理。使用人との打ち合わせ。

 十三時に昼食。十四時からエスター男爵を訪問。

 十五時に散歩。十六時にアトレ侯爵夫人を訪問。

 十七時にお茶。十八時から夜会、かな」


 言い終えて、少し照れた。


「まあ、正直、社交がほとんどです。俺は政治とか……そういうの、あまり自信が無いから、周りの人たちにたくさん聞いちゃってて」


 姫は、頷いた。


「公爵として、適切です」

「え?」

「人と会い、顔を繋ぐ。それは統治の基盤です」


 そう言ってから、少し考える。


「ですが……午後の訪問で配るカード。あれは、順番を変えた方がよろしいかと」

「どういう意味?」

「影響力のある家を後回しにすると、軽んじられます。逆に、小規模な家は後でも不満を持ちません。ですから、侯爵夫人を先にされた方がよろしいのでは」


 ……正論だ。


「それと、十五時の散歩ですが」


「はい」


「その時間、役人を一人ずつ呼び、短時間で話を聞くのはいかがでしょう。散歩のついでで構いません」


 俺は、口を開けたまま固まった。

 天才か。

 なにそれ、めちゃくちゃ効率的じゃん。


 姫は、淡々と続ける。


「一人あたり五分でいいです。嘘をつく者は、短時間に矢継ぎ早に質問をされると必ず綻びが出ます」


 怖い。

 だが、合理的すぎる。


「……ヴィッキーさ」

「はい」

「王宮で、そういうの言ったことある?」

「ございます」

「で?」

「女が政治を語るな、と言われました」


 表情は変わらない。

 だが、その一言に、すべてが詰まっていた。

 俺は、バターナイフを置いた。


「ここでは、言っていいから」


 姫が、ゆっくりとこちらを見る。


「というか、教えてくれ。君は、もう姫じゃなくって、公爵夫人だ。俺の妻で、俺のパートナーだ。そうだろ?」


 少し照れくさいが、続ける。


「遠慮は要らない。むしろ俺は、君についていきたいくらいだよ」

「わたくしに?」

「うん。情けないかもしれないけれど、それくらい君のこと、頼りにしてるんだ」


 本当に一瞬だけ、ヴィクトリアの頬が緩んだ。


「分かりましたわ」


 それは、服従する妻の返事ではなかった。

 対等な相棒としての返事だった。


 この日からだ。

 公爵領の空気が、静かに、だが確実に変わり始めたのは。




 俺は相変わらず、優雅に着替えて、散歩して、社交に出る。

 だがその裏で、妻は数字を読み、人を見抜き、流れを変えていく。


 そして俺は、何度も思うのだ。


(……ほんとに、めっちゃくちゃ優秀では!?)


 しかもこの人、

 俺にだけ、たまに不安そうな顔をする。

 それがもう、反則だろうというくらい可愛い。




 今日の姫はというと、いつもと少し違った。

 髪だ。


 普段はきっちりとまとめている濃い色の髪を、今日はゆるく編み込み、片側だけ肩に流している。

 装飾は控えめ。だが、不思議と目を引いた。


(……あれ)


と、思った俺は、心中をそのまま口にしてしまった。


「その髪型もいいね」


 ――しまった。


 言った瞬間、姫の動きが止まった。


「……え?」


 一拍。

 二拍。


 彼女の視線が宙を泳ぎ、指先がわずかに震えた。


 そして――


「……そ、そうでしょうか」


 声が、微妙に裏返っている。


(あ、これは……)


 姫は、無意識のうちに胸元に手を当て、姿勢を正そうとして、逆にぎこちなくなった。

 さっきまで堂々としていた公爵夫人の威光が、音を立てて崩れていく。


「何か……不都合がございましたか」


 いや、違う。

 それ、不安になってるときの顔だ。


「いや、全然」


 俺は慌てて手を振った。


「似合ってる。

 いつもきっちりしてるのもいいけど、こういうのも……その、好きだなって」


 ――あ。


 余計な一言を足した。


 姫の耳が、みるみる赤くなる。

 白い頬に、じわっと熱が広がるのが分かる。


「……っ」


 彼女は一歩、後ずさった。


「そ、そのようなことを急に言われると……」


 視線が合わない。

 さっきまで政治の話をしていた人間とは思えない動揺っぷりだ。


(ああ……)


 俺は、内心で頭を抱えた。


(これ、完全に褒められ慣れてないやつだ)


 王宮では「飾り」「地味」「役に立たない」と言われ続けてきたのだろう。

 外見を評価されることも、ましてや好意を向けられることも、ほとんどなかったに違いない。


 姫は小さく息を吸い、落ち着こうとする。


「……公爵は、その……女性を、気軽にからかうお方なのですか」


「からかってない!」


 即答した。


「本気だ。本音だ。可愛いと思ったから言っただけ」


 ――言ってから、気づく。


(俺、何言ってんだ)


 姫は完全にフリーズしていた。

 数秒後。


「申し訳ありません。少し、気分が……」


 そう言って、そっとソファに腰を下ろす。

 表情は平静を装っているが、目が泳いでいる。

 不安そうで、落ち着かなくて、でも逃げない。


(この人……)


 俺は、急に胸が苦しくなった。


 政治の場では誰よりも強く、

 人を動かすときは迷いがなく、

 公爵夫人として堂々としているのに――

 俺に褒められただけで、こんな顔をする。


「……ごめん」


 俺は声を落とした。


「急に変なこと言って」


 姫は首を振る。


「いいえ。その……嫌では、ありません」


 小さな声。

 それでも、はっきりと言った。


 俺は、思わず笑ってしまった。


「じゃあ、また言う」


「……心の準備を、させてください」


 その返事が可愛すぎて、

 俺は本気で、天井を仰いだ。


(だめだ。この人、可愛すぎる)


 優雅だと揶揄されようが、

 公爵が妻に甘いと噂されようが、

 そんなの、どうでもいい。


 堂々とした公爵夫人が、

 俺の前でだけ見せる、この戸惑い。


 それを守れる立場にいることを、

 俺は心から、誇りに思っていた。



 改革は着実に進んだ。

 侮蔑されていた「公爵家の嫁」は、いつのまにか真の公爵夫人として敬われる存在になっていた。


 俺から見ても、誰より誇り高い。


 ミオナは第二王子に嫁ぎ、男の子を産んだ。

 魔力の高い子を産めたことに、彼女なりの達成感があったのだろう。

 王宮の花となり、王太子を産んだことで、国母として実権を握る。


 姫は慈善事業の場で言った。


 「確かに人には役割がありますわ。でも、これからの女性は――自分で役目を決めるのです」


 民衆の女たちが、どっと沸く。

 誰だって女の腹から産まれる。

 強い女から育つ子は、強い。


 俺は姫と共に、穏やかに幸せに暮らしている。

 優雅だと揶揄されようが構わない。最高だ。

 公爵家は姫のおかげで驚くほど快適になった。


 人の使い方を心得、いつも堂々としている姫が、

 俺にだけ見せる、あの戸惑った表情――。

 あれがたまらない。


 かつて貸し付けた負の遺産は、姫の手腕で相殺された。

 異民族の執事の働きで、むしろ黒字だ。

 破産もせず、人を見る目を養い、王宮から融資を求められるほどになった。


 財も、名声も、手に入れた俺が手折りたい花は、今までもこれから先も、賢くて可愛いヴィッキーだけなのだ。




 END


俺主人公の男目線での話を書いてみんとすしたんですけど難しぃいぃぃ!!!かったです。

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