第97話 詩人と風聞きのノート
午前の光がゆっくりと差し込み、
カフェ<カオスフレーム>は穏やかな始まりを迎えていた。
風の通り道になってからというもの、
店の空気は以前より柔らかく、静かに揺れている。
カウンターで豆を挽いていると、
扉の鈴が軽く鳴った。
入ってきたのは、昨日の風待ちの少女。
水色のワンピースが、朝の光によく似合っていた。
少女は席につくなり、
胸に抱えていたノートを大事そうに取り出した。
来ました。
風の続きを聞ける気がしたから。
その目は、昨日より少しだけ強くなっていた。
◇ ◇ ◇
私は風待ちブレンドを淹れながら尋ねた。
何か書かれましたか。
昨日のページに。
少女はこくんと頷き、ノートを開いた。
一ページ目には、淡い線が一本。
風が走り抜けた痕跡。
少女は続ける。
帰ってから見たら、この線……
少しだけ濃くなっていたんです。
風が、私の家にも来たのかな。
オグリが新聞から顔を上げる。
風は案外、約束を守るぞ。
誰にも言わないだけでな。
ポエールは真剣な声で頷いた。
風とは、静かなる戦友のようなものだ。
マーリンは筋肉を動かして空気を感じる。
今日は確かに、風が近いわ。
◇ ◇ ◇
少女はノートを開いたまま、
風待ちブレンドの香りをゆっくり吸い込んだ。
その瞬間、店にふわりと風が流れた。
ほんの一瞬だけ紙がめくれ、
少女のノートの次のページが開く。
そして、白紙の中央に
淡い文字が浮かび始めた。
少女は息をのみ、私は思わず身を乗り出した。
文字は短く、まっすぐだった。
ここにいる
少女は震える声で言った。
いま……誰かいましたか。
私は静かに首を振る。
でも、風は確かに通ったんですね。
◇ ◇ ◇
少女はページを胸に抱きしめる。
風が語った、その短い一言。
ここにいる。
誰が言ったのだろう。
少女の記憶の誰かか、
それとも風が拾ってきた別の声か。
ポエールがゆっくり言う。
風は、声を運ぶ。
それは誰の声とも限らぬ。
だが、必要な人に届けられる。
マーリンはカップを片手に微笑む。
ここにいる、なんて……優しい言葉。
オグリがストローをくわえたまま頷く。
風が味を覚えるなら、声も覚えるさ。
◇ ◇ ◇
少女はノートを閉じ、
少しだけ瞳を潤ませて言った。
また来ます。
もっと……聞いてみたくなりました。
私は微笑んだ。
ええ。
風はきっと、続きを書きたがっています。
少女が店を出ると、
ノートの端が一瞬だけふわりと揺れた。
まるで風が、次の言葉を準備しているように。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第98話 詩人と風の囁き
風聞きのノートに、三つ目の文字が刻まれる。
その言葉は、カフェの外で誰かが落とした
とても小さな秘密だった。




