第83話 詩人と灰のカフェ
街の中心から外れた通り。
瓦屋根の向こうに、薄い煙の帯がゆらいでいた。
香ばしいような、甘いような――でも、どこか焦げた匂い。
風の流れに導かれるように、私はその方角へ歩いた。
やがて、古びた木の看板が見えてくる。
そこには、かすれた筆致でこう書かれていた。
Café des Cendres(灰のカフェ)
「……カフェ?」
扉の前に立つと、かすかにベルが鳴った。
音が遠くで響くような、不思議な残響。
◇ ◇ ◇
店内は、薄明かりに包まれていた。
壁際には古い本棚。
そして、棚の上には――燃えかけた紙の束。
灰の粒が静かに舞っている。
でも、煤けていない。
むしろ柔らかな光を反射していた。
カウンターには、
一人の初老の男が座っていた。
白髪混じりの髭、やせた指先、
そして琥珀色の瞳。
「いらっしゃい。風に導かれて来たのかね?」
「……たぶん、そうです。
“詩の匂い”を追ってきました」
男は小さく笑った。
「そうか。なら、君は詩人だ」
◇ ◇ ◇
私はカウンターに腰を下ろした。
店内には、どこか懐かしい香りが漂っていた。
「この匂い……焙煎豆、じゃないですよね?」
「詩だよ」
「詩、ですか?」
「そう。
燃え尽きた言葉の灰を、
少しだけ香に混ぜているんだ」
男は湯気の立つポットを傾け、
琥珀色の液体をカップに注いだ。
「名づけて、“灰のブレンド”。
心の余韻が長く残る」
◇ ◇ ◇
私はカップを口に運んだ。
苦くはない。
でも、胸の奥に“終わり”のような温かさが広がった。
「……詩みたいな味ですね」
「詩の灰を飲んでるんだから、当然さ」
男は煙草をくゆらせながら、
遠くを見ていた。
「この店は、かつて詩人たちの“終着点”だった。
言葉を燃やし尽くした者たちが、
最後に一杯を飲みに来る場所」
「あなたも、そのひとり?」
男は、ゆっくりと首を振った。
「いや、私は“灰を見送る役”だ」
◇ ◇ ◇
私はスプーンを回しながら訊いた。
「灰になった詩は、もう終わりなんですか?」
「終わりでもあり、始まりでもある。
灰は土になる。
そして土から、また新しい言葉が生まれる」
「……再生の詩、ですね」
「そう言える。
君のような“若い詩人”が訪れたなら、
それはすでに、再生が始まっている証拠だ」
男の声は静かだったが、
その言葉は確かに響いた。
◇ ◇ ◇
私はポケットから、
風のスプーンを取り出した。
「このスプーン、知っていますか?」
「“C・F”の刻印……。
ああ、それは昔、ここにいた詩人のものだ」
“昔、ここにいた詩人”。
つまり――“影の詩人”。
「彼女は、ここで言葉を燃やした。
けれど、その灰が君を導いた。
――詩は、死なないんだよ」
男は微笑んで、カップを掲げた。
「再会に、乾杯しよう」
カップが触れ合い、
静かな音が響いた。
◇ ◇ ◇
私はノートを開き、
ページに小さく書いた。
“灰の中から、生まれた香り。
それは終わりの匂いではなく、
はじまりの焙煎。”
書き終えたとき、
灰のカフェの空気が少しだけ明るくなった気がした。
◇ ◇ ◇
店を出ると、
風が軽く頬を撫でた。
振り返ると、店の看板が夕陽に照らされていた。
Café des Cendres
その下に、小さな文字でこう刻まれていた。
“ここに眠るは、詩の余韻。”
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第84話「詩人と夜明けの焙煎」
「灰のカフェで学んだ“再生の詩”。
夜明け、マリエルは自らの焙煎で“新しい香り”を生み出す――。」




