表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/101

第83話 詩人と灰のカフェ

街の中心から外れた通り。

 瓦屋根の向こうに、薄い煙の帯がゆらいでいた。

 香ばしいような、甘いような――でも、どこか焦げた匂い。

 風の流れに導かれるように、私はその方角へ歩いた。


 やがて、古びた木の看板が見えてくる。

 そこには、かすれた筆致でこう書かれていた。


Café des Cendres(灰のカフェ)


「……カフェ?」


 扉の前に立つと、かすかにベルが鳴った。

 音が遠くで響くような、不思議な残響。


◇ ◇ ◇


 店内は、薄明かりに包まれていた。

 壁際には古い本棚。

 そして、棚の上には――燃えかけた紙の束。


 灰の粒が静かに舞っている。

 でも、煤けていない。

 むしろ柔らかな光を反射していた。


 カウンターには、

 一人の初老の男が座っていた。

 白髪混じりの髭、やせた指先、

 そして琥珀色の瞳。


「いらっしゃい。風に導かれて来たのかね?」


「……たぶん、そうです。

 “詩の匂い”を追ってきました」


 男は小さく笑った。

「そうか。なら、君は詩人だ」


◇ ◇ ◇


 私はカウンターに腰を下ろした。

 店内には、どこか懐かしい香りが漂っていた。


「この匂い……焙煎豆、じゃないですよね?」

「詩だよ」

「詩、ですか?」

「そう。

 燃え尽きた言葉の灰を、

 少しだけ香に混ぜているんだ」


 男は湯気の立つポットを傾け、

 琥珀色の液体をカップに注いだ。


「名づけて、“灰のブレンド”。

 心の余韻が長く残る」


◇ ◇ ◇


 私はカップを口に運んだ。

 苦くはない。

 でも、胸の奥に“終わり”のような温かさが広がった。


「……詩みたいな味ですね」

「詩の灰を飲んでるんだから、当然さ」


 男は煙草をくゆらせながら、

 遠くを見ていた。


「この店は、かつて詩人たちの“終着点”だった。

 言葉を燃やし尽くした者たちが、

 最後に一杯を飲みに来る場所」


「あなたも、そのひとり?」


 男は、ゆっくりと首を振った。

「いや、私は“灰を見送る役”だ」


◇ ◇ ◇


 私はスプーンを回しながら訊いた。

「灰になった詩は、もう終わりなんですか?」

「終わりでもあり、始まりでもある。

 灰は土になる。

 そして土から、また新しい言葉が生まれる」


「……再生の詩、ですね」

「そう言える。

 君のような“若い詩人”が訪れたなら、

 それはすでに、再生が始まっている証拠だ」


 男の声は静かだったが、

 その言葉は確かに響いた。


◇ ◇ ◇


 私はポケットから、

 風のスプーンを取り出した。


「このスプーン、知っていますか?」

「“C・F”の刻印……。

 ああ、それは昔、ここにいた詩人のものだ」


 “昔、ここにいた詩人”。

 つまり――“影の詩人”。


「彼女は、ここで言葉を燃やした。

 けれど、その灰が君を導いた。

 ――詩は、死なないんだよ」


 男は微笑んで、カップを掲げた。

「再会に、乾杯しよう」


 カップが触れ合い、

 静かな音が響いた。


◇ ◇ ◇


 私はノートを開き、

 ページに小さく書いた。


“灰の中から、生まれた香り。

それは終わりの匂いではなく、

はじまりの焙煎。”


 書き終えたとき、

 灰のカフェの空気が少しだけ明るくなった気がした。


◇ ◇ ◇


 店を出ると、

 風が軽く頬を撫でた。

 振り返ると、店の看板が夕陽に照らされていた。


Café des Cendres


 その下に、小さな文字でこう刻まれていた。


“ここに眠るは、詩の余韻。”


◇ ◇ ◇


――次回予告――

第84話「詩人と夜明けの焙煎」

「灰のカフェで学んだ“再生の詩”。

 夜明け、マリエルは自らの焙煎で“新しい香り”を生み出す――。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ