第81話 詩人と鐘楼の午後
昼下がりの光が、ゆっくりと街の屋根を撫でていた。
風は穏やかで、まるで昨日の旋律の続きを奏でているようだった。
私はリリクと並んで歩いていた。
目的地は、街の高台にある古い鐘楼。
彼が言うには、そこに「風を閉じ込める鐘」があるらしい。
「風を閉じ込める?」
「うん。昔、この街の詩人が作ったんだってさ。
鐘を鳴らすたびに、過去の声がこだまするんだ」
その言葉に、私は小さく息を呑んだ。
――詩人が作った鐘。
まさか、あの“影の詩人”のことじゃないだろうか。
◇ ◇ ◇
階段を上ると、鐘楼の影が長く伸びていた。
錆びた鉄の鐘は、もう誰も鳴らさない。
それでも、風が当たるたびに
ほう、とかすかな音を立てていた。
「ここ、静かだね」
「ええ。まるで時間が止まってるみたい」
私は鐘の台座に手を触れた。
冷たい。
けれど、その奥には微かな振動があった。
まるで“心臓”のように。
◇ ◇ ◇
リリクがピアノの鍵盤に似た石畳を踏むように、
指先で鐘の縁をなぞる。
その瞬間――
空気がふるえた。
音ではない。
言葉でもない。
それは“残響”だった。
“――詩を忘れないで。”
誰かの声が、確かに聞こえた。
◇ ◇ ◇
「いまの……聞こえた?」
「うん。でも、誰の声?」
リリクが不安そうに空を見上げる。
雲の間を風がすり抜けていく。
鐘楼の頂で、光が揺れた。
「たぶん、“あの人”です」
「影の詩人?」
「ええ。
風に言葉を託した人。
この鐘は、彼の“詩の骨”みたいなものなんです」
リリクは目を見開いた。
「じゃあ、今の声は……生きてる?」
「ええ。詩が生きてるのよ」
◇ ◇ ◇
私はノートを開き、
鐘の音をそのまま詩に写した。
“鐘は息をしている。
言葉を飲み込み、
また新しい風として吐き出す。”
筆を止めると、リリクが微笑んだ。
「それ、歌にしていい?」
「もちろん。詩は風、音は翼。
一緒になれば、どこまでも届くわ」
◇ ◇ ◇
リリクは鐘の台座に腰かけ、
口笛のように軽く旋律を吹いた。
その音が鐘に反射し、
丘の上の風が答える。
“言葉と音が重なり合うとき、
世界は少しだけ、優しくなる。”
私は思わず笑ってしまった。
「ねえ、リリク。
あなた、もう“詩人”になってるかもしれないわよ」
「詩人……か。
じゃあ、あなたは“音楽家の先生”だね」
そう言って笑う彼の目が、どこか昴のように澄んでいた。
◇ ◇ ◇
午後の鐘が鳴る。
風が頬を撫でる。
遠くで市場の音が響き始める。
世界は、詩と音楽でできている。
――そんな気がした。
◇ ◇ ◇
私はノートを閉じ、リリクに微笑んだ。
「ねえ、この詩が完成したら、
カオスフレームで演奏してもらえる?」
「もちろん。詩人殿のカフェ、絶対に人気になるよ」
「……詩人殿って。誰の真似です?」
「鎧の人。あの“がしゃんがしゃん”って音がする人」
二人して笑い合うと、
鐘楼の中に柔らかな風が満ちていった。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第82話「詩人と灰色の手紙」
「鐘楼を後にしたマリエルのもとに届いたのは、
灰色の封筒。差出人の名はなく――
けれど、封を切った瞬間、詩が涙を流し始める。」




