第76話 詩人と声の残響
夜のカフェ<カオスフレーム>は、
客のいない静けさに包まれていた。
窓の外では、風が看板を軽く揺らしている。
それがまるで、遠くの誰かがノックしているように思えた。
私は、昨日見つけた銀のスプーンを磨いていた。
磨けば磨くほど、
表面に映る光が深くなっていく。
そして――その時。
ふっと耳元に、声が流れた。
“そこにいますか、二度目の詩人。”
◇ ◇ ◇
息をのむ。
店の中には誰もいない。
だけど、確かに“声”がした。
「……あなたは、前の詩人?」
“名はもう要らない。
けれど、詩の灯を託した者として、
あなたの声を聞きたかった。”
スプーンの柄が、かすかに震えている。
まるで脈を打つように。
◇ ◇ ◇
「この店を、あなたが……?」
“いいえ。
この店はもっと昔から“言葉の揺りかご”としてあった。
私も、あなたも、詩の流れのひとしずくにすぎない。”
声は優しく、それでいてどこか懐かしい。
風の図書館で聞いた“影の詩人”の面影と重なる。
「……あなたが、“影の詩人”なんですね」
“そう呼ばれていた時期もあった。
だが私はただ、
言葉を忘れそうな世界で、
一杯の珈琲を淹れ続けただけだ。”
◇ ◇ ◇
その声が、不思議な温度を持っていた。
冷たくも、温かくもない。
まるで“時間そのもの”の温度。
「あなたの詩……まだ続いています」
“ええ。あなたが書いてくれている。”
私は、胸が熱くなるのを感じた。
◇ ◇ ◇
“覚えていますか、マリエル。
最初の一杯を淹れたときのこと。”
記憶がふっと滲む。
転生した日の朝――
カウンターに立っていた自分の姿。
エプロンを掴む手が震えていたこと。
その時、背後で確かに“誰か”が笑っていた。
あの声だ。
“恐れなくていい。
詩は失敗しても、必ず香りが残る。”
◇ ◇ ◇
スプーンの銀面に、光が集まっていく。
そこに淡く浮かび上がる筆跡。
“灯りは書く人の心に。
そして読む人の手の中に。”
私はペンを取り、
その続きをノートに書き加えた。
“言葉の残響は、
風の中でも、静けさの中でも、
いつか誰かの声になる。”
◇ ◇ ◇
ポエールが扉の陰から顔を出す。
「詩人殿……誰と話しておる?」
「少し、昔の人と」
「昔の人? まさか幽霊では……」
その足元で、スライムのグラスが“ぷにぃ”と鳴いた。
ポエールは鎧をがしゃりと鳴らしながら、
スライムに跨って近づいてくる。
「詩人殿の世界は……奥深いのだな!」
「そうかもしれません。
詩は、時々ちょっと“霊的”ですから」
グラスがもう一度“ぷにぃ”と鳴き、
ポエールの足元でぽよんと跳ねた。
どこか楽しそうだった。
◇ ◇ ◇
マーリンが入ってきて、
スプーンの光を見て眉を上げた。
「……声、聞こえたのね」
「やっぱり、あなたにも経験が?」
「ええ。昔、修行中に。
“沈黙の詩”って呼ばれてた術があったの。
言葉が残る代わりに、魂が消える詩。」
「……その人は?」
「消えたわ。でも、詩だけは残った」
マーリンは、スプーンを見つめて微笑んだ。
「その人の続きが、あなたの声なのかもね」
◇ ◇ ◇
私は深く息を吸い、
カウンターにスプーンを置いた。
そして、静かに言った。
「ありがとう。あなたの詩、私が受け継ぎます」
“ならば、もう十分。”
スプーンの光がゆっくりと弱まり、
最後のひとすじの声が響いた。
“詩は声ではなく、響き。
あなたが語らずとも、
世界があなたの代わりに歌う。”
◇ ◇ ◇
光が消えたあと、
カウンターにはただ銀の輝きが残った。
けれど、その沈黙は――
確かに“声”だった。
私はノートの最後のページを開き、
ペンを走らせる。
“詩人の声は、
時を越えて、器を渡り、
今も私の手の中で鳴っている。”
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第77話「詩人と心の転写」
「スプーンの声が消えた翌日。
マリエルは、詩を書こうとした自分の文字が“知らない筆跡”に変わっていることに気づく――。」




