第74話 詩人と途切れた手紙
朝のカフェ<カオスフレーム>は、
いつもより冷たい風に包まれていた。
開店準備の途中、店の外のポストに何かが差し込まれているのを見つけた。
厚手の封筒。
けれど、宛名も差出人も書かれていない。
ただ、封の代わりに一枚の葉――
カモミールの乾いた花弁が挟まっていた。
「……また、誰かの詩が届いたのかな」
◇ ◇ ◇
封を開けると、中には一枚の便箋。
淡いインクで綴られた、わずか十行の詩。
“風に乗せて
言葉を出した
あのときの私を
もう一度見つけたい
でも筆が進まない
声が届かない
光は遠い
けれどそれでも
まだ……
”
――途切れていた。
最後の行は、インクが滲んで紙の奥に消えている。
◇ ◇ ◇
私は思わず息をのんだ。
誰かが“詩を書こうとして、途中でやめた”。
その迷いの跡が、手紙の中に残っている。
「詩人殿、それは……新たな挑戦状か?」
ポエールが肩越しに覗き込んできた。
「挑戦状じゃなくて、“途中の心”です」
「途中の……?」
「ええ。誰かがまだ言葉を探してる」
グラスが“ぷにぃ”と鳴き、便箋の端をぺたんと押さえた。
まるで“続きを書いて”と言っているみたいだった。
◇ ◇ ◇
マーリンが入ってきた。
袖をまくり、相変わらず筋肉の主張が強い。
「おはよう。今日はずいぶん静かね」
「静かですけど、風が詩を運んできました」
「風?」
「宛名もない手紙。途中で止まった詩が入ってたんです」
マーリンは便箋を手に取り、眉をひそめた。
「……“光は遠い”で止まってるのね」
「はい。これ、書いた人はきっと今も迷ってる」
「だったら、あなたが続きを書けばいいじゃない」
「えっ、わたしが?」
「詩の連鎖って、そうやって繋がっていくものよ」
◇ ◇ ◇
私はノートを開いた。
便箋の詩の最後に、自分の言葉で続きを綴る。
“……光は遠い
けれど、風がいる。
あなたの言葉を運ぶ
小さな羽音が、
今ここに届いた。”
ペン先が止まると同時に、
店の外の風鈴が鳴った。
まるで詩が返事をしてくれたみたいに。
◇ ◇ ◇
「ふむ、詩人殿の追記、見事である!」
「ありがとうございます。……でも、これでいいのかな」
「詩とは完成を拒むもの。続きがある限り、まだ生きておる」
ポエールの言葉は、まるで哲学者みたいだった。
「ねえ、マリエル」
マーリンが少し真面目な声で言った。
「この詩、“沈黙の読者”が送ったんじゃない?」
「え……?」
「“光は遠い”っていう表現、あの人がよく使ってたわ」
◇ ◇ ◇
その言葉に、胸の奥がじんと温かくなる。
――確かに。あの沈黙の人なら、
“途切れた詩”さえ、静かに風に乗せて送ってきそうだ。
「たぶん、この手紙は“呼吸”なんだと思います」
「呼吸?」
「ええ。まだ言葉にならない気持ちを、
世界に向けて吐き出した“息”」
マーリンはうなずいた。
「じゃあ、その続きを吸い込んだのは、あなたね」
◇ ◇ ◇
私は便箋を折りたたみ、
昨日の“紙の舟”の隣に置いた。
舟と手紙が並んでいる光景は、
まるで“言葉の旅の地図”のようだった。
“詩は風に乗り、舟に乗り、誰かの胸に届く。”
私はその言葉をノートの余白に書き添えた。
◇ ◇ ◇
夕暮れ時。
扉がふと開き、柔らかな風が吹き込んだ。
便箋がひらりと舞い上がり、
窓の外へ――光に溶けるように消えていった。
でも、不思議と悲しくなかった。
詩がまた“誰かのもとへ”旅立っただけなのだ。
◇ ◇ ◇
“風が途切れても、
言葉は流れる。
それを信じる人を、
詩人と呼ぶ。”
私はペンを置き、
コーヒーを一口啜った。
苦みの奥に、微かな甘さが残っていた。
それは、手紙の続きを書いた者だけが知る味。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第75話「詩人と記憶のスプーン」
「棚の奥から見つかった一本の古いスプーン。
それを握ると、マリエルの脳裏に“失われた記憶の詩”が流れ始める――。」




