第68話 詩人と雨のメトロノーム
朝から、雨だった。
窓に当たる雨粒が、
規則正しく音を刻んでいる。
ぽつ、ぽつ、ぽつ。
まるで世界がメトロノームになったみたいだった。
店の中も、今日はいつもより静か。
火も灯さず、照明も落とし気味にして、
私はカウンターでただ、雨音を聴いていた。
◇ ◇ ◇
カップの底に映る雨の揺らめき。
それを眺めていると、
雨粒の一つひとつが“言葉”のように思えてくる。
天から落ちる音。
地に弾ける音。
混ざって消える音。
全部、違う詩のリズム。
「詩人殿、外は戦場のようであるな!」
ポエールが扉の向こうを見ながら叫んだ。
「いやいや、ただの雨ですよ!」
「我が鎧が湿気で鳴く! メトロノームとはこのことか!」
「それは金属疲労です!」
……平和だ。
◇ ◇ ◇
マーリンが奥から現れた。
髪がしっとり濡れていて、
いつもの筋肉ローブも少しだけ重たそう。
「外、すごい雨ね」
「マーリンさん、傘は?」
「杖で防いだわ。筋肉も役に立つのよ」
「雨を防ぐ筋肉って新しい概念ですね」
彼女は肩をすくめ、カウンターに腰を下ろした。
「でも、嫌いじゃないわ。
雨って、世界が静かに“思い出してる”音だから」
「思い出してる?」
「うん。
誰かの歩いた道とか、泣いた場所とか。
雨が降るたび、地面が昔を語るの」
――その言葉が、詩みたいだった。
◇ ◇ ◇
私はペンを取った。
雨の音に合わせて、一行ずつノートに書く。
“雨が落ちるたび、
世界は小さく呼吸する。
それを聴ける人だけが、
今日を詩にできる。”
書き終えた瞬間、
店の外の音が変わった気がした。
◇ ◇ ◇
ぽつ、ぽつ。
そのリズムが、まるで心臓の鼓動みたいに整っていく。
ポエールが静かに言う。
「詩人殿……雨が、歌っておる」
私は頷いた。
「ええ。たぶん、“世界が詩を書いてる”んです」
◇ ◇ ◇
その時、扉が小さく開いた。
入ってきたのは――フードを脱いだ“沈黙の読者”。
彼(彼女)は何も言わず、
ただ窓際の席に座った。
濡れた指で、ガラスをそっとなぞる。
その指先の軌跡が、
曇りガラスに“詩”を描いていた。
“雨は声を持たない。
けれど、すべてを語っている。”
私は思わず微笑んだ。
言葉を持たない読者が、今、詩を書いている。
◇ ◇ ◇
マーリンが小声で囁いた。
「ねえ、マリエル。
この店、もう完全に“詩の巣”になってるわね」
「確かに……放っておいても詩が生まれてます」
「詩人っていうより、巣守ね」
「詩の巣守……なんか響きは悪くないです」
◇ ◇ ◇
私は新しいカップを用意した。
“雨音ブレンド”――今日だけの特製。
少し酸味を強くして、
口に含むと静かな余韻が残るように。
「詩人殿、それはどんな味だ?」
「――しとしと系の詩の味です」
「……それは美味なのか?」
「飲む人の心次第ですね」
◇ ◇ ◇
“沈黙の読者”は、ゆっくりと頷いて、
そのカップを受け取った。
そして、両手で包むように持ち、
しばらく目を閉じていた。
雨音と心音が重なって、
まるで世界そのものが呼吸しているようだった。
◇ ◇ ◇
私はノートにもう一行、書き足した。
“詩は音になる前に、静かに鼓動している。”
ペン先から一滴、インクがこぼれる。
それが雨粒のように、紙に染み込んだ。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第69話「詩人と夜明けのドリップ」
「雨が止んだ翌朝。
静かな夜明けに、マリエルが淹れる一杯のコーヒー。
その香りが、新しい詩人を呼び覚ます――。」




