第59話 詩人と風の便り
朝の風が、ページをめくった。
誰も触れていないのに、ノートの端がそっと揺れる。
カフェ<カオスフレーム>の中に、
新しい“息づかい”が生まれていた。
◇ ◇ ◇
「詩人殿、ドアが勝手に開いておるぞ!」
ポエールの声に顔を上げると、
扉がほんのわずかに軋んでいた。
外から吹き込む風が、やわらかい。
春の匂いを少しだけ含んでいて、
どこか懐かしい気配がした。
カウンターの上のノートがぱらりと開く。
その中に、見覚えのない紙が一枚。
私の字ではない。
◇ ◇ ◇
“マリエルさんへ。
あの日の白いページ、ちゃんと書けました。
でも書いても書いても、詩は止まらなくて、
どうしたらいいのか分かりません。
だから、風に乗せて送ります。
――『未来の詩人』より”
文字は拙いが、確かに生きていた。
まだ幼い筆跡が、まるで風そのもののように踊っている。
「……あの子だ」
私は小さく笑った。
“白紙のページ”を持っていった少年。
どうやら、ちゃんと詩を書いたらしい。
◇ ◇ ◇
「誰からの便りだ?」
オグリが新聞を閉じて尋ねる。
「未来の詩人、だそうです」
「ほう……風の配達とは、詩人らしい」
「本当にね」
マーリンが封筒を手に取り、
魔力の波を調べるように指を滑らせる。
「この手紙、魔法じゃないわ。
風の流れそのものが運んでる。
つまり、世界が“届けたい”と思ったのよ」
「世界が?」
「そう。
あなたが詩で世界に息を吹き込んだから、
今度は世界が“返事”をしたの」
◇ ◇ ◇
私は改めて手紙を見つめた。
紙の隅に、もうひとつ小さな詩が添えられていた。
“風は声を持たない。
けれど、言葉を覚えている。
あなたが呼吸をくれたから。”
思わず、胸が熱くなった。
あの子はもう“詩人”だ。
そして――
世界もまた、ひとりの詩人だったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
ポエールがカウンター越しに顔を覗き込む。
「詩人殿、返事は書かぬのか?」
「返事?」
「便りには返すのが礼儀であろう!」
「……そうですね」
私はノートを開き、ペンを取った。
風がページを撫でる。
まるで、「書け」と促しているように。
“風へ。
あなたは言葉を運ぶ手。
私は、それを受け取る耳。
こうして詩が、世界を往復していく。”
書き終えた瞬間、
ページがひとりでに揺れた。
ペン先から小さな光が飛び、
外の風に混じって消えていった。
◇ ◇ ◇
マーリンが呟く。
「今のは……魔法?」
「たぶん、詩法です」
「そんな学問あるの?」
「いえ、今できました」
笑いがこぼれた。
グラスが“ぷにぃ”と鳴き、
ポエールが得意げに言う。
「さすが詩人殿! 新しい術式を生み出したのだな!」
「言葉は術じゃありませんよ。
でも、魔法よりずっと強い時もあるんです」
◇ ◇ ◇
外では、風が少し強くなった。
その風の中に、
遠くから届くような声が聞こえた気がした。
“また書きます。
次の詩ができたら、
ちゃんと風にのせて。”
私はそっと目を閉じて、
その言葉を心の奥にしまった。
“詩は届く。
たとえ声を失っても、
風が、誰かに運んでくれるから。”
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第60話「詩人と春のカップ」
「季節が巡り、カフェに春が訪れる。
新しい花と新しい客、そして――
詩人のカップに注がれる“再会”の香り。」




