第58話 詩人と消えたページ
朝が続いていた。
夜の余韻も、詩の波も、すべてが穏やかに混ざり合って。
カフェ<カオスフレーム>は今日も、静かな時間の中にあった。
――けれど、何かが違う。
微かな違和感が、カウンターの奥に残っていた。
私はノートを開く。
そして、息をのむ。
一枚のページが、抜け落ちていた。
◇ ◇ ◇
「どうかしたの?」
マーリンがカップを拭きながら尋ねる。
「……ページが、ないんです。昨日書いたはずの」
「破られた?」
「いえ、そんな痕跡は……」
ノートの綴じ目は、きれいなままだ。
まるで最初から“そこに何もなかった”ように。
「詩人殿、それは何かの魔法では?」
ポエールが首をかしげる。
「魔法じゃないと思います」
私はノートを撫でた。紙が少し震える。
「……“消えた”んです。たぶん、自分から」
◇ ◇ ◇
オグリが新聞を閉じ、こちらを見る。
「自分から消えた、とは?」
「書かれていない詩は、まだ“生きてる”んです。
だから、私が閉じた時点で――逃げたのかもしれません」
マーリンが小さく笑う。
「まるで言葉が意思を持ってるみたいね」
「言葉には意思がありますよ。
特に、まだ“形になってない”言葉には」
私は、昨日の朝来た少年の顔を思い出していた。
あの真っ直ぐな瞳。
胸の奥に“詩の音”を聴いた子。
……まさか。
◇ ◇ ◇
外では風が吹いていた。
店の看板が軽く揺れる。
その風の中に、かすかに紙の匂いがした。
私は扉を開けた。
朝の光が、足元まで伸びてくる。
通りの向こう――木の根元に、一枚の紙が舞い落ちていた。
拾い上げると、それは私のノートのページだった。
けれど、何も書かれていない。真っ白だ。
ただ、紙の端がほんのり温かい。
◇ ◇ ◇
私はそのページを、そっと胸に抱いた。
風が髪を揺らす。
その瞬間、紙の表面にうっすらと文字が浮かんだ。
“僕は、書かれていない未来。
でも、きっと誰かの手で綴られる。
だから、今はここにいる。”
――あの少年だ。
彼が、このページに“詩”を見つけたのだ。
◇ ◇ ◇
私はページを店に持ち帰り、
ノートの間に静かに戻した。
そこには、確かに“白”が存在していた。
「詩人殿、それでよいのか?」
「はい。
空白もまた、詩の一部です」
オグリが新聞の端で小さく笑う。
「なるほどな。
言葉がある限り、沈黙も息をするってわけか」
「そうです。
詩は音だけじゃない。
“書かれなかった想い”だって、生きている」
◇ ◇ ◇
マーリンが静かにランプに火を灯した。
橙の光がノートを照らし、
その上で白紙がゆらりと光った。
ポエールが手を胸に当てて言う。
「ならば、そのページも勇気の証であるな!」
「ええ、未来への勇気です」
私はノートを閉じ、
カウンターにそっと置いた。
“空白は、終わりではない。
書かれなかった詩が、
いつか新しい朝を呼ぶ。”
◇ ◇ ◇
その時、ベルが鳴った。
風が、カフェに吹き込んだ。
ページの端がふわりと揺れて――まるで笑ったように見えた。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第59話「詩人と風の便り」
「白紙のページをきっかけに、
マリエルの元に“風に乗った詩”が届く。
それは、世界のどこかで新しく生まれた詩人からの手紙だった――。」




