第57話 詩人と一杯の未来
朝の光が、カフェ<カオスフレーム>のガラスに反射していた。
カウンターの上では、昨日焙煎した豆がまだほのかに温かい。
夜が終わり、世界は新しい詩を歌っている。
風の音も、人の足音も、すべてが言葉のように聞こえた。
「……ほんと、静かになったな」
オグリが新聞をたたみ、ひと息つく。
「世界が、呼吸を思い出したんですよ」
「詩人の言葉にしては、随分あっさりしてるな」
「たまにはね。詩も、深呼吸が必要なんです」
私が笑うと、スライムのグラスが“ぷにぃ”と鳴いた。
ポエールがスプーンを手に構える。
「詩人殿、朝の詩を聞かせてくれぬか!」
「朗読会はコーヒー淹れてからです」
「おお、では急げ!」
鎧の音ががしゃがしゃ鳴って、マーリンに眉をひそめられた。
「ちょっと静かにしなさい。せっかく未来が来てるのに」
◇ ◇ ◇
そう言った瞬間、扉のベルが鳴った。
入ってきたのは、小柄な少年だった。
まだ十にも満たない年齢。
泥だらけの靴と、擦れた肩掛け袋。
けれど瞳だけは、真っ直ぐに光っていた。
「……ここ、カフェですか?」
「ええ、ようこそ。朝のブレンドでいいですか?」
「僕、詩を探してるんです」
その一言に、みんなの動きが止まった。
◇ ◇ ◇
「詩を?」
私が尋ねると、少年は小さく頷いた。
「昨日の夜、空に光が流れたでしょう?
あれを見てたら、胸の中で何かが鳴ったんです。
名前のない音です。
それを“詩”って言う気がして……探してるんです」
マーリンがそっと呟く。
「……新しい詩人、ね」
ポエールは感極まって立ち上がる。
「詩人殿! 後継が来たぞ!」
「後継って……私はまだ引退しませんよ」
「では弟子であるな!」
「弟子って言葉もなんか違う気がしますけど……」
オグリが新聞を畳みながら笑った。
「ほら、詩人。お前が言葉を渡したんだろ。
夜明けの火を見た子どもが、こうして来た」
「……そうか。
世界が、詩を読んでくれたんだ」
◇ ◇ ◇
私は少年の前に小さなカップを置いた。
「これが“詩”です」
「これ?」
「うん。飲んでごらん」
少年がそっと口をつける。
少し苦そうに眉をしかめたあと、
目を丸くして笑った。
「……あったかい。胸の中が、です」
「それが詩です」
私は静かに答えた。
「詩は読むものでも書くものでもなく、
感じて、誰かに渡すもの。
それが“言葉”になる前の、いちばん最初の温もりです」
◇ ◇ ◇
少年はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「僕、分かった気がします。
詩って、誰かを照らす灯なんですね」
「そう。
そして君が灯を持ったなら、
もう一人の詩人です」
少年は少し照れたように笑って、
外の光の中へ歩いていった。
扉のベルが、いつもより優しく鳴る。
◇ ◇ ◇
私は残されたカップを見つめながら、
そっとノートを開いた。
“未来はまだ、言葉を知らない。
だからこそ、美しい。
名もなき心が、
最初の詩を紡ぐ。”
書き終えたとき、
カフェの窓に差す光が少し強くなった。
それはまるで、
新しい詩人の背中を照らしているようだった。
◇ ◇ ◇
「詩人殿」
ポエールが言う。
「これからどうなる?」
「分かりません。
でも、それでいいんです。
未来は、詩のつづきだから」
私は新しいカップを磨きながら微笑んだ。
その中に、朝より少しだけ明るい光が映っていた。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第58話「詩人と消えたページ」
「新しい詩人が去ったあと、
マリエルのノートから一枚のページが消える。
その白紙が語るのは、“まだ書かれていない未来”の詩だった――。」




