第53話 詩人と消えたランプ
夜のはじまりを知らせる鐘が遠くで鳴った。
カフェ<カオスフレーム>の窓辺には、
いつも通り、淡い灯りが揺れていた。
――はずだった。
私はカウンターの上に置かれたランプを見て、息をのむ。
炎が、ない。
昨日まで“消えない光”として少女が残していったはずの炎が、
どこにも見当たらなかった。
◇ ◇ ◇
「……消えた?」
マーリンがランプの台座を調べる。
「燃料は残ってる。芯も湿ってない。……物理的には消える理由がない」
ポエールが鎧を軋ませて首をひねった。
「詩人殿、これは呪いか?」
「いいえ、違うと思う」
私は静かに言った。
「これは、言葉が消えた音」
「言葉……?」
「昨日、わたしたちは“夜を怖がる少女”の心を照らした。
でも――その夜を、誰が見送った?」
沈黙。
まるで世界そのものが呼吸を止めているようだった。
◇ ◇ ◇
その時、カウンターの上に黒い滴が落ちた。
影のような、液体のような。
ゆっくりと広がって、床を這う。
それはまるで、“闇”が形を持ったかのようだった。
「……来たか」
オグリの声が低く響く。
「詩人。この闇は、言葉を飲み込む」
「つまり――」
「お前の詩が試されている」
◇ ◇ ◇
影は、足元からゆっくりと上がってくる。
カップの縁に触れ、カウンターを包み込む。
視界がじわじわと暗く染まっていく。
私は震える手でノートを開いた。
けれど、書いた文字が――消えていく。
「詩が……読めない……!」
「これは“無名の闇”よ」
マーリンが呟く。
「名前のない存在は、言葉の光を奪う。
名前を与えるまで、何も見えないわ」
◇ ◇ ◇
私は息を整え、ペンを握り直した。
「なら、わたしが“名づけ”ます」
ページに震える文字を刻む。
“名もなき闇よ、
私の言葉を奪うなら、
その名を私に貸して。”
ペン先から光が滲み、闇の輪郭が浮かび上がる。
それは、かつて“夜を失った少女”の影に似ていた。
「あなた……少女の、影?」
闇は何も答えない。
けれど、確かに見ていた。――私を。
◇ ◇ ◇
私はもう一行、書いた。
“恐れは消せない。
だから、灯す。
影を怖れた光こそ、
本当の夜を知る。”
光が弾けた。
闇が裂ける。
そして、ランプの芯に再び炎がともる。
その色は、純粋な“夜明けの青”だった。
◇ ◇ ◇
マーリンが息をつく。
「……“名を得た闇”ね。あなたの言葉が、恐れを照らしたの」
オグリが低く笑う。
「詩人。お前の詩は、火を起こす」
「そうだな」
ポエールがランプを掲げる。
「この光、まさに勇気のブレンドである!」
グラスが“ぷにぃ!”と鳴いた。
◇ ◇ ◇
私はノートを閉じ、そっとカップを磨いた。
ランプの光がカウンターをやわらかく照らす。
“言葉は火。
恐れを焦がさず、
心をあたためるためにある。”
詩を記すたび、
世界のどこかで灯がともっていく気がした。
今日の珈琲は、ほんの少しだけ苦い。
でも、それもまた“夜の味”だ。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第54話「詩人と無名の客」
「ランプが再び灯った翌朝、
名を名乗らぬ客がカフェを訪れる。
彼(彼女)は“この世界で最後の詩人”を探しているという――。」




