第51話 詩人と夜明けの青年
朝の光が差し込むカフェ<カオスフレーム>。
昨日の出来事――あの青年との出会いが、
まるで夢のように霞んでいる。
けれど、カウンターの上に残されたカップには、
確かに“夜の香り”が漂っていた。
少し焦げたブレンドのような、
深くて懐かしい匂い。
「……やっぱり、彼は“夢”なんかじゃなかったんだ」
◇ ◇ ◇
扉のベルが鳴った。
「詩人殿、早朝から詩作とは熱心だな!」
ポエールが笑いながら入ってくる。
スライムのグラスも元気に“ぷにぃ”と鳴いた。
「おはようございます。昨日の青年、覚えてます?」
「青年?」
ポエールが首を傾げる。
マーリンとオグリも入ってきたが、
誰もその存在を知らないようだった。
「……やっぱり、私にしか見えなかったのかも」
◇ ◇ ◇
マーリンがカップを覗き込む。
「これは……“夜の残香”ね」
「残香?」
「夜が人の姿をとって訪れたとき、
その気配が香りとして残るのよ。
つまり、あなたが見たのは――
“夜そのもの”」
「彼が、“夜”?」
「そう。
そして今、夜があなたを試しているのかもしれない」
◇ ◇ ◇
私は黙ってカップを見つめた。
その中の液面に、淡い光が映っていた。
まるで、誰かの瞳のように。
「……あなた、また来たんですか?」
そう呟いた瞬間、
カウンターの端に“影”が差した。
朝の光の中ではありえないはずの影。
そこに、青年が立っていた。
◇ ◇ ◇
「どうして……」
「君が呼んだからだよ。詩人」
青年は穏やかに笑い、
手のひらを広げる。
そこには小さな光の粒――
昨日、空に戻した星の欠片があった。
「夜は消えない。
ただ、朝が来るたびに姿を変えるだけだ」
「じゃあ、あなたは“夜の終わり”?」
「いいや、“夜明け”さ」
◇ ◇ ◇
青年の瞳には、
朝焼けの色が混ざっていた。
金でも橙でもない、不思議な色。
それは“終わり”と“始まり”の間にある光だった。
「詩人。
夜を取り戻すというのは、
暗闇を増やすことじゃない。
“光が生まれる場所”を思い出すことなんだ」
「光が……生まれる場所」
「そう。
詩はそのためにある。
夜がなければ、言葉も生まれない。
だから君は、夜と朝のあいだに立ち続けなければならない」
◇ ◇ ◇
その言葉に、胸の奥が震えた。
詩を書くという行為が、
この世界に“夜の居場所”を作ることだなんて、
考えたこともなかった。
「でも、怖いです。
夜は、時々とても深くて……届かない」
「だからこそ、君が必要なんだ」
青年はそう言って、
私のノートを指で軽く叩いた。
すると、ページがひとりでに開き――
そこに、見知らぬ詩が浮かび上がる。
“夜は心臓。
朝は息吹。
詩人はそのあいだで、
世界を呼吸させる。”
◇ ◇ ◇
青年は微笑み、背を向けた。
扉の外は、夜でも昼でもない薄明。
光が差すたびに、彼の輪郭が淡く揺れる。
「……また会えますか?」
「いつだって。
君が“詩を書く限り”ね」
その言葉を最後に、彼は影の中に溶けていった。
◇ ◇ ◇
静けさが戻る。
マーリンが息を吐いた。
「詩人……見えたのね」
「ええ。
今度は、ちゃんと“朝”としての夜を」
私はカウンターの上に新しいカップを置いた。
香りはいつものブレンド。
けれど、ほんの少しだけ――夜明けの色が混じっていた。
“夜は終わらない。
詩がある限り、
その光はまた生まれる。”
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第52話「詩人と消えない光」
「夜明けを見送ったマリエルのもとに、
今度は“光を嫌う少女”が訪れる。
その瞳には、夜の欠片が宿っていた――。」




