第50話 詩人と帰還のブレンド
旅の道を戻る途中、私はずっと香りのことを考えていた。
夜を取り戻すための詩。
その詩は、香りのように広がって、世界に染み込む。
カフェで淹れる一杯のブレンドと、どこか似ている気がする。
◇ ◇ ◇
丘を越え、街が見えてきた。
あの屋根、あの煙突――懐かしい。
カフェ<カオスフレーム>が朝の光の中に立っていた。
「帰ってきたな」
ポエールが感慨深げに言う。
スライムのグラスが“ぷにぃ”と鳴き、
オグリが静かに頷いた。
マーリンは少しだけ目を細めて呟く。
「やっぱり、ここの空気が一番ね」
扉を開けると、
ベルがいつも通り鳴った――が。
「……あれ?」
◇ ◇ ◇
カウンターの奥に、私ではない誰かがいた。
長いコートを着た、背の高い青年。
ゆるやかにカップを傾け、
蒸気の向こうから、淡い笑みを浮かべている。
「……いらっしゃいませ?」
反射的に言ってしまう。
青年は、少し困ったように笑った。
「いや、こちらこそ。
“あなたの詩”を読みに来ました」
◇ ◇ ◇
どうやら、私が旅立っている間に
このカフェに立ち寄った客らしい。
そして――壁に書かれた“詩の断章”を読んだという。
「『影は言葉。失えば、人は心を忘れる。』
あれを見てね、どうしても作者に会いたくなった」
彼の声はやさしく、けれどどこか“夜”の匂いがした。
「あなたは?」
「ただの旅人さ。……夜を探している」
◇ ◇ ◇
マーリンが杖を軽く鳴らす。
「夜を……探してる?」
「ええ。最近、この世界から“夜”が減ってるだろう?」
「まるで、詩人と同じことを言うのね」
青年は少しだけ目を細め、私を見た。
「あなたが“詩人”?」
「まあ、そう呼ばれてます」
「じゃあ、ひとつ頼みがある」
青年は立ち上がり、
カップの底に残ったコーヒーをそっと差し出した。
その液面には――光の粒が浮かんでいた。
「この光を、詩にしてくれ」
◇ ◇ ◇
私はカップを覗き込んだ。
その光は、まるで“星の種”と同じだった。
けれど、色が違う。
赤く、静かに燃えている。
まるで心臓の鼓動みたいに。
「……これは?」
「夜明けの前に消えた星だ。
誰も覚えていない光の名を、君の詩で呼び戻してほしい」
胸の奥が震えた。
言葉が、自然に浮かんでくる。
“消えた光よ、
まだ世界を諦めるな。
私たちは、
君の眠る空を知っている。”
◇ ◇ ◇
詩を口にした瞬間、
カフェの窓がわずかに震えた。
外の空で、ひとつ星が灯る。
淡く、けれど確かに。
「……成功したね」
青年が笑う。
その姿が、光に溶けていく。
まるで星の影そのもののように。
「あなたは……誰?」
「夜明けの向こうで待つ者だよ」
その言葉を残して、青年は消えた。
残ったのは、カップに残るわずかな温もり。
◇ ◇ ◇
私は静かにカウンターを拭いた。
香りは、懐かしい朝のブレンド。
けれどそこに、かすかに夜の余韻が混じっていた。
“帰る場所に夜がある。
だから人は、また朝を迎えられる。”
私はカップを洗いながら微笑んだ。
外では星が、まだ小さく瞬いていた。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第51話「詩人と夜明けの青年」
「再び現れる“夜明けの旅人”。
彼の正体は、世界の“夜”そのものなのか――
それとも、詩人の中に眠る影なのか。」




