第44話 詩人と消える虹
雨が止んだ午後。
世界は静かに呼吸をしていた。
舗道の石畳には、まだ水の線が残り、
空は透明な青を取り戻しつつある。
カフェ<カオスフレーム>の窓から外を見上げた私は、
思わず声を漏らした。
「……虹だ」
けれど、それは――どこかおかしかった。
七色のはずの虹が、
まるで“色を忘れた影”のように、灰色に揺れていた。
◇ ◇ ◇
扉の鈴が鳴る。
「おおっ、詩人殿、虹だぞ!」
ポエールがスライムのグラスを連れて飛び込んでくる。
スライムは窓にぴったり張り付き、外の空を見上げて“ぷにぃ”と鳴いた。
「……見えるか?」
「見えるけど……」
「だが、色がない?」
「ええ。まるで鉛筆で描いた線みたい」
ポエールは鎧の顎に手を当てて考え込む。
「勇敢な虹というのは、色を捨ててなお空に立つのだ!」
「……無理やりポジティブですね」
「ポエールさん、それは詩というより哲学」
◇ ◇ ◇
奥の席で、オグリが新聞を畳んだ。
「詩人、街では“色盗りの霧”の噂が出ている」
「色盗り……?」
「ああ。雨上がりに現れて、
空や花の色を一時的に奪うという」
「でも……どうして虹まで?」
「虹は光と水の詩だからな。
霧が詩を喰うなら、虹から奪うのがいちばんだ」
なんとも理屈のようで理屈でない理屈。
けれど、オグリの言葉には妙な説得力があった。
◇ ◇ ◇
そのとき、マーリンが現れた。
濡れたローブを脱ぎながら、息をつく。
「外の色、どんどん薄くなってるわ」
「やっぱり……本当に色が消えてるんですか?」
「ええ。多分、魔法的な現象。
“光の詩”がどこかで途切れてるの」
「光の詩……」
「色ってね、言葉のようなものなのよ。
世界が“何を感じてるか”を表す声。
それが今、沈黙してる」
マーリンの目には、空の灰色が映っていた。
その瞳の奥に、一瞬だけ、失われた色が光った気がした。
◇ ◇ ◇
私はカウンターに戻り、帳面を開く。
詩を書くことが、
世界の沈黙に触れる唯一の方法のような気がした。
“色は言葉の影。
声が消えるとき、
虹はモノクロの詩になる。”
ペン先が止まる。
その瞬間、カップの中のブレンドが淡く光った。
香りが揺れ、
灰色の虹の中に、かすかな赤が差した。
「……戻り始めてる?」
「詩が、色を呼んでるのよ」
マーリンが微笑む。
◇ ◇ ◇
ポエールがスライムを掲げた。
「見よ、勇敢なグラス! 詩が空を染めるぞ!」
「ぷにぃ!」
スライムが虹色に透きとおり、
オグリの新聞に反射して七つの色が踊った。
マーリンは杖を掲げ、
ほんの少しだけ魔力を込める。
光が彼女の掌から溶け出して、
消えかけた虹の残響を照らした。
灰色のアーチが、少しずつ色を取り戻す。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫――
世界の息が戻ってくるように。
◇ ◇ ◇
「詩人。
お前の詩が、空に届いたのだな」
オグリの低い声が響いた。
「……届いた、というより、思い出したのかも」
「思い出した?」
「うん。
虹の色は、世界が“笑う”ときに見えるんです。
だからたぶん――この世界が、また笑ったんですよ」
◇ ◇ ◇
外の空には、
もう完全な虹が架かっていた。
けれど、それはほんの数分の奇跡。
やがて風が吹き、色が溶けて消える。
でも私は知っている。
消えた色は、きっとどこかで香りに変わって残ることを。
カップの中のブレンドを口に含む。
味の奥に、微かな光の気配があった。
“虹は、笑った空の涙。
その雫を飲むたび、
世界は少しやさしくなる。”
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第45話「詩人と光を忘れた街」
「虹が消えたあと、街の灯りまでがひとつずつ消えていく。
“光の詩”が途絶えた世界で、
マリエルは初めて“自分の影”と対話する。」




