第4話 三時の合奏
昼下がりの三時。
カフェ<カオスフレーム>にとって、この時刻は特別な拍子を刻む。午前の喧噪が去り、夕暮れのざわめきはまだ来ない。窓から差し込む陽は角度を変え、テーブルの木目に金色の譜線を描く。私はカウンターに並べたカップを磨き、深呼吸した。
三時——それは常連たちが自然に集まってくる刻限。
新聞を読みたい者。勇敢を求める者。甘いものを楽しみにしている者。
理由はバラバラなのに、不思議と三時になるとみんなが揃ってしまう。
私は、これをもう「日課」と呼んでいいのかもしれないと思った。
◇ ◇ ◇
——カラン。
最初に扉をくぐったのはオグリ・ジュン。
濃紺のジャケットをまとい、馬面(物理)を涼しい顔で揺らしながら入ってくる。
「ブレンドを。今日は……ストロー二本」
「二本?」
「予備だ。混沌には備えが必要だからね」
さらりと言われると格好良い。だが実際は不便のカバーでしかない。私はストローを二本添えることにした。
席に着いたオグリは今日も新聞を広げる。見出しは競馬欄。
馬が馬の名前に赤ペンで印をつけている姿は、なにか哲学的な風刺画を見ている気分だ。
私は口元を押さえて笑いをこらえた。
続いて——ぴとん、がしゃん。ぴとん、がしゃん。
鎧をがしゃがしゃ鳴らしながら、騎士ポエールがスライムに乗ってやってきた。
スライムが床に水滴を残すたびに、ポエールの鎧が勇敢に響く。
「勇敢な飲み物を! この忠実なるスライムには砂糖水を!」
「はいはい……勇敢=ブレンド、ですね」
私は慣れた手つきで準備にかかる。
最後に——ぶんっ。
栗色のツインテールがローブをぱつんと弾き、マーリンがやってきた。杖を軽く担ぎ、頬を紅潮させている。
「パフェ! 今日はベリーが食べたい!」
「ご用意してます」
「可愛いは準備力だね!」
三人(と一匹)が揃った。三時の店内は、楽団が集結した舞台のように空気が張りつめる。
◇ ◇ ◇
私はカウンターに立ち、真鍮の細口ポットを手に取る。
沸かした湯を静かに注ぎ、粉床が乾かないようにパルスを重ねる。ぽた、ぽたと滴がリズムを刻む。
砂糖水を溶き、透明のグラスに注ぐ。
パフェグラスにはスポンジ、ベリー、ナッツ、クリームを重ね、蜂蜜を糸にして落とす。
音が重なった。
ドリップの滴。鎧のがしゃん。スライムのぷるん。椅子のミシミシ。イケボの低音。マーリンの呼吸。
カフェは合奏になった。
私は心の中で詩を一行。
——日常よ、混沌を合奏に変えよ。
——合奏よ、調和を乱すな。
◇ ◇ ◇
「マリエル殿」
ポエールが真面目な声で言った。
「この香り、戦の前の間合いに似ている」
「剣は抜かないでくださいね」
「心得た」
「……よく落ちているな」
オグリが新聞の陰から低音でつぶやいた。
「はい。今ちょうど豆を“説得”しているところです」
「説得、か。いい言葉だ」
「可愛いはある?」
マーリンが身を乗り出す。椅子が悲鳴を上げかけたので、私は足で支える。
「はい。ベリーに宿しておきました」
「やった! 可愛いの味!」
三人のやりとりに私は眩暈を覚える。でも、嫌じゃない。音楽のリズムに心臓が合っていく。
◇ ◇ ◇
料理と飲み物を配り終えると、三人が同時に口をつけた。
ストローでスマートに飲む馬。鎧の音と一緒に味わう騎士。パフェを抱える筋肉魔法少女。スライムは砂糖水にぷるんと沈む。
この光景を「普通」と呼べる日が来るのだろうか。……少なくとも、今はまだ「合奏」と呼ぶのがふさわしい。
私は閉店帳に小さく書き込んだ。
——三時。合奏。日常が混沌を受け入れる。
インクが乾く前に、私は指で軽く撫でた。輪郭が少し滲んで、可愛く見えた。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第5話「カフェに必要なのは椅子の耐荷重」
「ミシミシいう音が増えてきました。……椅子の悲鳴は、詩になるんでしょうか。それとも請求書になるんでしょうか」