第38話 詩人と星を煮る夜
夜がすっかり更けていた。
カフェ<カオスフレーム>の扉の外では、風が静かに鳴いている。
客も去り、カップも磨き終え、
あとは明日の朝に備えて灯を落とすだけ。
——そのとき、扉の鈴が“からん”と鳴った。
「……もう閉店ですよ?」
そう言いながら振り向くと、
そこには白い外套をまとった旅人が立っていた。
長い髪は夜のように黒く、瞳はまるで星を溶かしたように輝いている。
「詩人の店は、夜でも開いていると聞いた」
「……場合によります」
「では、詩を煮る時間はありますか?」
◇ ◇ ◇
詩を煮る? コーヒーを淹れるでも、茶を出すでもなく?
思わず聞き返すと、旅人は外套の裾から小瓶を取り出した。
瓶の中には、星屑のような光が詰まっていた。
まるで、夜空を一口分すくって閉じ込めたような。
「星を煮るんですか?」
「ええ。これをお湯に落とすと、少しだけ夜が甘くなる」
「……詩的ですね」
「本職ですから」
「えっ」
「詩を煮る科学者、兼 流星蒸留士です」
なんという肩書きだ。
この店の常連たちに混ざってもまったく違和感がない。
◇ ◇ ◇
旅人は手慣れた様子で瓶の蓋を開けた。
星の粉がふわりと宙に浮かび、
そのままカップの中に落ちていく。
湯を注ぐと、淡い光が湯面に広がった。
星が溶ける音が聞こえた気がした。
「……これが、“星の煮出し”」
「すごい……」
「ほんの少し、夜を味わうだけです」
旅人はカップを差し出した。
光の揺らめきが、静かに私の顔を照らす。
飲むというより、見入ってしまう。
◇ ◇ ◇
「……あなたも詩人ですか?」
「昔は。詩を紡ぐたびに、星が落ちた。
だから、拾って蒸留する仕事に変えたんです」
「詩が、星になる?」
「言葉は火花です。空に飛べば光になる。
ただし、燃え尽きるまでの短い時間しか輝かない」
彼は少し笑って、遠い夜を見つめた。
その横顔は、まるで誰かを探しているように寂しかった。
「——あなたの詩は、まだ燃えていますか?」
「……どうでしょう。焦げないように見張ってるところです」
◇ ◇ ◇
星の煮出しは、ゆっくりと色を変え始めた。
青から金へ、金から淡い銀へ。
最後に残ったのは、まるで“夜明けの香り”だった。
「この味、言葉にできますか?」
「うーん……“眠る星のため息”?」
「詩人ですね」
「職業病です」
二人して笑った。
その音が、カップの光に吸い込まれていった。
◇ ◇ ◇
「あなたの名前を聞いても?」
「……そうですね。昔は“アステル”と呼ばれていました」
「星の、という意味ですね」
「ええ。でも、もう本当の名は風に消えました」
アステルはカップを飲み干すと、静かに立ち上がった。
光は完全に消え、残ったのは透明な夜の香りだけ。
「詩人。あなたのカップにも、星は沈んでいます」
「え?」
「夢を見たあと、そこを覗くといい。
——きっと、名前のない星がひとつ、あなたの詩を待っています」
◇ ◇ ◇
旅人が去ったあと、
私は彼が座っていた席に残されたものを見つけた。
一枚の紙。
そこには短い詩が書かれていた。
“星は煮て飲むものじゃない。
けれど、忘れないためには——
一口、心に注ぐのがいい。”
私はそれをノートに貼り、
ランプの火をゆっくりと絞った。
◇ ◇ ◇
眠る前に、カップを覗く。
底には、確かに小さな光が沈んでいた。
まるで、言葉になり損ねた詩のように。
“夜の果てにも、温度がある。”
私はそう書き残し、静かに目を閉じた。
夢の中で、湯気の向こうに星がまたたいていた。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第39話「詩人と朝の交響曲」
「翌朝、カフェの扉を開けると、常連たちが楽器を持って集まっていた。
“朝の一杯に合う曲”を探す詩人たちの、優しい混沌が始まる——。」




