第34話 詩人と雨音のブレンド
朝のカフェ<カオスフレーム>は、雨の匂いに包まれていた。
窓ガラスを細いしずくが伝い、屋根を叩く音がやわらかく響く。
コーヒーの香りが、湿った空気と混ざり合って心地よい。
昨夜の夢がまだ、胸の奥で揺れていた。
“詩の国”の書棚、“名を持たぬ客”の声、そして光の中の言葉——
まるで消えかけの詩が、まだページの端に残っているような感覚。
「……雨の音って、世界の呼吸みたいね」
私は独りごちて、静かに豆を挽いた。
◇ ◇ ◇
がしゃん。
「詩人殿、鎧が湿る!」
「湿る前にタオルを使ってください!」
ポエールが店のドアを勢いよく開けた瞬間、外の雨がどっと流れ込んできた。
鎧の隙間から雨粒がぽたぽたと落ちて、床がキラキラと光る。
「外は戦場か!? 傘という防具を持っていなかったのか!?」
「傘は武器ではありません!」
スライムが頭の上でぷにっと鳴き、まるで“だから言ったでしょ”と抗議しているようだ。
私は笑ってタオルを差し出した。
「ほら、拭いてください。今日は静かにしましょう?」
「む……了解した。詩人殿に敬意を表して、今日は静寂の騎士と名乗ろう」
「……三分はもたないと思うけど」
◇ ◇ ◇
続いて、重低音。
「詩人、ストロー二本」
「オグリさん、雨の中よく来ましたね」
「馬は雨に強い」
「それは知りませんけどね!」
新聞を広げる馬の頭。
今日の一面は“雨天競馬中止”。
……なんというか、妙に因果を感じる。
オグリはカップを手に取り、雨の音に耳を澄ませた。
「この音……リズムがあるな」
「リズム?」
「三拍子。心拍と同じ。詩人、淹れてみろ。雨のテンポで」
彼の声が低く響く。
私は笑って頷き、ドリップポットを持ち上げた。
◇ ◇ ◇
お湯が細く落ちる。
ぽたり、ぽたり。
外の雨音と、ドリップの音が重なる。
まるで世界そのものがひとつの楽器みたいに。
「雨の日のブレンドって、ちょっと味が違うんですよ」
「湿気のせいか?」
「それもありますけど……気持ちが落ち着くんです。
なんていうか、“世界が少し遅くなる”感じ」
マーリンがふらりと現れた。
ローブはびしょ濡れ、杖にはしずくが滴っている。
「世界が遅くなる? その理論、興味ある!」
「理論じゃなくて詩的表現です!」
マーリンはくしゃみをして、パフェを注文した。
……雨でも筋肉は元気らしい。
◇ ◇ ◇
ブレンドができあがる。
オグリはゆっくりとストローを差し、ひと口。
「……落ち着くな」
「詩人殿、我も飲みたい!」
「待ってください、あなたの鎧乾いてから!」
私は笑いながら、カップの底に映る雨を見た。
ぽつりと落ちるしずくが波紋を作り、
その波紋がまるで夢の中の光のように広がっていく。
“詩の国”の夢は、まだどこかに続いている気がした。
◇ ◇ ◇
閉店後。
ノートを開き、私は今日の一文を綴る。
“雨は静けさを連れてくる。
滴るたびに、
記憶は少しやさしくなる。”
ペン先が紙をなぞる音も、雨のリズムに混ざって消えていった。
外の雨はまだやまない。
でも、カフェの中は——少しだけ、あたたかかった。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第35話「詩人と空白のレシピ」
「棚の奥から見つかった一冊のノート。それは“カフェの最初の詩人”が書いたレシピ帳だった。
けれど、最終ページだけが——真っ白で。」




