第30話 詩人と夜明けの一杯
夜が終わろうとしていた。
カフェ<カオスフレーム>の窓辺に、かすかな光が差し始める。
外はまだしっとりと濡れていて、雨の名残が路地を包んでいた。
私は早く目が覚めてしまい、ひとりで店に来ていた。
椅子を整え、ブレンドを淹れる。
昨日の傘のおかげで風邪はひかずに済んだが、
胸の奥にはまだあの雨の音が残っている。
◇ ◇ ◇
お湯を注ぐ。
粉がふわりと膨らみ、香りが立ちのぼる。
その香りの中に、昨日の情景が混ざる。
オグリの差し出した傘。
マーリンの笑い声。
スライムの“ぷにぃ”という音。
どれも混沌で、どれも優しい。
この世界の詩は、いつだってそんなふうに出来ている。
◇ ◇ ◇
ドアベルが、まだ朝も早いのに鳴った。
がしゃん。
「詩人殿、朝稽古帰りである!」
「早いですねポエールさん。……って、それ新しい鎧ですか?」
「昨日の雨で錆びたので、磨き直した!」
「朝日より輝いてますね」
ポエールは胸を張ってカウンターに座り、
目を閉じて香りを吸い込んだ。
「ふむ、勇敢なる朝の香り!」
「もう少し静かに勇敢でいてください」
◇ ◇ ◇
続いて、低音。
「……朝の詩、淹れたか」
オグリ・ジュンが現れる。
傘を置き、いつもの席へ静かに座る。
「昨日のお礼、まだ言ってませんでした。傘、ありがとうございました」
「礼は不要だ。詩人が濡れると紙が滲む」
「名言っぽいですけど、あんまり深い意味はないですよね?」
「香りがあれば意味は要らない」
「やっぱり分かりません」
◇ ◇ ◇
カップを配りながら、私はふと気づいた。
カウンターの上に、昨日の花がまだ残っている。
雨のせいか、花弁がしっとりと光っていた。
私はペンを取り、帳面を開いた。
“夜明けの香り、
雨の余韻を抱きしめて、
一杯の詩になる。”
書きながら、湯気を見つめる。
この世界の詩は、いつも目の前にある。
それを言葉にできるかどうかは、たぶん勇気の問題だ。
◇ ◇ ◇
マーリンがローブぱつんでやってきたのは、そのすぐ後だった。
「おはよ〜! 朝トレしてきた!」
「……この時間に筋トレですか?」
「朝日を浴びながらやるスクワットが最高なの!」
「……平和だなぁ」
ポエール、オグリ、マーリン、そしてスライム。
みんなが集まると、朝の光すら少し騒がしくなる。
けれど、それが“いつもの音”だ。
◇ ◇ ◇
私はコーヒーを啜る。
冷めかけていたけど、味は悪くない。
むしろ、少し落ち着いた苦味がちょうどよかった。
「……冷めても、美味しいんだな」
「詩人殿、それは人生のようである!」
「また名言風に……」
「冷めても香る混沌。それがこの店だ」
「なんかオチがついた気がします」
◇ ◇ ◇
帳面の最後に書く。
——夜が明けても、混沌は眠らない。
——けれど、その香りはやさしくなる。
私はカップを置き、笑った。
今日も、詩人の日が始まる。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第31話「詩人と来訪者、名を持たぬ客」
「朝の光に紛れて現れたひとりの旅人。名前も名乗らず、ただ“詩を一杯”と告げたその客は——?」




