表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/101

第29話 詩人、雨の日に傘を忘れる

空が低い。

 朝から湿った風が街を撫でていた。

 カフェ<カオスフレーム>の窓ガラスを、ぽつぽつと雨粒が叩く。

 その音が、まるで小さなドラムのように静かなリズムを刻んでいる。


「今日は静かになりそうだなぁ」

 私はカウンターに肘をつき、外の景色を眺めた。

 傘の群れが、通りを行き交う。

 そんな中、気づく。


 ——私、傘を持ってきてない。


◇ ◇ ◇


「詩人殿、また忘れ物か?」

 がしゃん。

 ポエールが入ってきた。鎧はすでに雨でびしょ濡れだ。

「いや、またって言われる筋合いは……ありますね」

「勇敢なる雨浴びである!」

「風邪ひきますよ」


 スライムがぴょん、と跳ねてポエールの鎧をぬぐう。

 その動きが、雨粒よりも優しく見えた。


「今日も手伝ってくれるんだね」

「ぷにぃ」

「えらいなぁ。……私もちゃんと傘持ってくればよかった」


◇ ◇ ◇


 昼過ぎ。

 雨脚は強くなる一方だった。

 通りの景色は灰色に沈み、ガラス越しの世界が滲んでいく。


「詩人さん」

 低音。

 オグリ・ジュンがカウンターに座っていた。

 いつの間にか来ていたらしい。

「雨の日は、音が変わる」

「音?」

「屋根を叩く音、地を打つ音、心に落ちる音」

「詩的に言ってるのか、哲学的に言ってるのか……」

「混沌的だ」

「ですよね」


 彼は新聞を広げる代わりに、今日は詩集を開いていた。

 濡れた指先でページをめくり、低い声で呟く。


“雨の音、

詩の声に似て、

胸の奥を叩く。”


 静かに、カフェの空気がその一節に溶けた。


◇ ◇ ◇


 やがて、ドアが勢いよく開く。

 ぱつん。

「うわぁぁ! びっしょびしょー!!」

 マーリンがずぶ濡れで突入した。

 ローブが肌に張りつき、腕の筋肉が強調されている。

「マリエルぅ! 傘、飛んでっちゃったぁ!」

「飛ぶほどの雨じゃないですよ!?」

「風の魔法の練習してたらさ……あっ」

「それはもう自業自得です!」


 スライムがとことこ寄ってきて、マーリンのローブの裾を拭う。

「ぷにぃ」

「ありがと〜! 可愛いねぇ!」

「スライムくん、今日大活躍ですね……」


◇ ◇ ◇


 夕方になっても、雨は止まなかった。

 私はため息をつき、カウンターの端に座り込む。


「帰れないなぁ……」

「詩人殿、ここが家ではないのか?」

 ポエールの言葉に、私は思わず笑った。

「……そうかもしれませんね」


 その時だった。

 オグリが立ち上がり、静かに傘を差し出した。

 黒い布地、長い柄。

 彼の背丈に合わせたものだから、少し大きい。


「使え」

「えっ、でも……」

「詩人は濡れても詩的だが、風邪をひくと読めない」

「……ありがとうございます」


 手にした傘は、少し温かかった。

 雨の匂いと、焙煎の香りが混ざる。


◇ ◇ ◇


 私はドアを開け、雨の外へ一歩踏み出した。

 傘の内側に落ちる雨音が、優しく耳を包む。

 街の光が滲み、カフェの灯が背中に残る。


 その瞬間、胸の奥でひとつの言葉が生まれた。


“差し出された傘は、

混沌の中の、

一滴の優しさ。”


 私は振り返って、微笑んだ。

「おやすみなさい、みんな」

 店のベルが、小さく答えるように鳴った。


◇ ◇ ◇


 閉店後、帳面に書く。

 ——雨の日の詩は、香りで書く。

 ——優しさは、静かに差し出される傘のかたち。


 インクが雨音のように滲んだ。


◇ ◇ ◇


――次回予告――

第30話「詩人と夜明けの一杯」

「雨の翌朝。カフェに差し込む光と、少し冷めたブレンドの香り。——詩人の胸に、また新しい詩が生まれます」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ