第28話 詩人と花束、あるいは午後の奇跡
午後の光が、カウンターの上を斜めに切り取っていた。
豆を挽く音。
湯が落ちる音。
それらが、まるで詩の一行みたいに心地よく響く。
そこへ——。
カラン、とドアベルが鳴った。
けれど、誰も入ってこない。
代わりに、ドアの外の床にひとつの花束が置かれていた。
白い布で丁寧に包まれた、淡いピンクの花。
宛名も、差出人もない。
「……え?」
私は思わず、花束を抱き上げた。
その瞬間、ほんのりとコーヒーのような香りがした。
◇ ◇ ◇
「おや、誰か詩人殿に贈り物か?」
がしゃん。
いつの間にかポエールが立っていた。
「いえ、わかりません。届け物……なのかな?」
「勇敢なる恋文かもしれぬ!」
「いえ、文じゃなくて花です」
「恋は形を変えるものだ!」
「その名言っぽいのやめてください!」
◇ ◇ ◇
そこへ、低音。
「……その花、カフェオレの香りがする」
「え、オグリさん嗅いだんですか!?」
「香りは言葉より確かだ」
「いや、それ今回に限っては違うと思います!」
そして、ぱつん。
「え、なになに? 恋!?」
マーリン登場。
「違います! 誰かが忘れていっただけかも……」
「でもさ、花を“置いていく”って、なんかロマンチックじゃない?」
「……そうですね」
私は花を見つめた。
その花弁のひとつひとつが、まるで詩の欠片のように静かに開いている。
◇ ◇ ◇
「詩人殿、詩を書いてはどうか?」
ポエールが言う。
「この花を題材に?」
「うむ、“勇敢なる花束の詩”を!」
「勇敢じゃないです!」
私は笑いながら、ペンを取った。
“誰が置いたか知らない花。
けれど、ここにあることが詩になる。
名前がなくても、香りは残る。”
書き終えて、静かに読み上げると、
マーリンがうっとりと目を細めた。
「……可愛い詩だね」
オグリが頷く。
「混沌の中に、静かな光がある」
「詩って、そんなふうに感じてもらえるなら十分です」
◇ ◇ ◇
夕暮れ。
私は花をカウンターの上に飾った。
光を受けて、花弁が少しだけ揺れる。
それがまるで、微笑んでいるように見えた。
「……ありがとう、誰かさん」
声に出すと、不思議なことに、
花の香りが少しだけ甘くなった気がした。
◇ ◇ ◇
閉店後、帳面に書く。
——今日、詩がひとつ、花に宿った。
——贈り主は知らなくても、優しさは確かに届いた。
ページを閉じる音が、カップの響きと重なった。
それもまた、この店の日常の一部だった。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第29話「詩人、雨の日に傘を忘れる」
「降り出した雨。詩人マリエル、傘を忘れて大ピンチ!? けれど、思いがけない“誰か”が差し出したのは——」




