第1話 転生先はカフェでした、どういうことですか?
私――白石真理恵は死んだ。
——と、こう切り出すと唐突すぎて不謹慎かもしれない。けれど事実なのだから仕方がない。事実は唐突だし、不謹慎だ。
事故だったのか病気だったのか、あるいはただの寿命だったのか。そんなことはもう思い出せない。死んだ時の記憶なんて、前世の家計簿と同じくらい役に立たない。
ただ一つ覚えているのは、目を覚ました時、私はカフェのカウンターに立っていたということ。カウンターに立っていた。と聞くと店員よろしくカウンターの中に立っていると思われがちではあるけれど、読んで字の如くカウンターに立っていた。そう、上に、である。結構高くて怖いし、まずお行儀が悪い。私はオロオロした。し過ぎず、しなさす過ぎず、ちょうど良いオロオロ加減だった。気付いたらカウンターに立っていたらもっとオロオロしそうな話ではあるが、私はここ一番での度胸はある方だと自負している。私は黙ったまま冷静にゆっくりとカウンターを降りた。
そう、「転生先がカフェ」だったのだ。
人生ゲームに例えるなら——ええと、人生スタート直後に「いきなり結婚して三児の母」マスに止まったくらいの理不尽さ。
異世界転生するならもっとこう、「異世界の勇者」とか「魔王の娘」とか「チート能力持ち」とか、そういう“いかにも”な肩書きを期待していたんですけどね。
代わりに私が与えられたのは「エプロンと雑巾」だった。
……まあ、どちらも似たような布ですけれども。
けれど、私はその瞬間から妙に納得していた。
だって、前世だって別に勇者でも魔王でもなかったのだから。
普通に暮らして、普通に働いて、こっそり趣味のポエム書いて、普通に疲れて、普通に寝て——そして普通に死んだ。
ならば転生後も、普通に働いて、普通に疲れて、普通に詩的に愚痴をこぼす人生でいいじゃないか。
カップを磨く音が、私の新しい心臓の鼓動みたいに響いている。
今日もまた、異世界の日常が始まる。
「いらっしゃいませ。ようこそ、カフェ<カオスフレーム>へ」
私はマリエル。十九歳(転生後)元の年齢は非公開です。肩書きは「カフェ店員」。
どうですか、異世界転生ものとしては地味すぎるでしょう?
でも地味さこそが日常を編む糸。その糸を一本一本、詩と屁理屈で紡いでいくのが、私の異世界生活だ。
◇ ◇ ◇
最初の常連は、彼だった。
扉の鈴が鳴り、姿を現した瞬間、私は言葉を失った。
人生は時々、説明不要のパンチラインをかましてくる。顔が長い人を馬面ということはあるが、これは比喩ではない。頭が馬だった。
仮装でもかぶりものでもない。毛並みは艶やかに光り、鼻先がひくつき、耳がぴくりと動く。まぎれもなく本物の馬の顔だった。
なのに体は人間そのもので、濃紺のジャケットを着こなし、足取りは落ち着いていた。
手は人間の手。長い指先が扉を押し、新聞を小脇に抱えている。
そして声は、驚くほど低く響くバリトンボイス。つまりイケボだった。
「ブレンドを。今日は……ストローも一本」
馬の顔でイケボ。矛盾しているようで、妙に絵になる。
私は条件反射で口をついて出た。
「……ストロー、ですか?」
「そうだ。口吻の構造上、直接は少し不便でね」
「なるほど」
私は真顔で頷いた。納得してはいけないのに、イケボの説得力は恐ろしい。
彼は窓際の席に腰を下ろすと、濡れた新聞を広げた。
見出しに踊る文字は……競馬欄だった。
馬が馬を見て何を思うのか。……私には一生分からないだろう。
彼の名はオグリ・ジュン。
馬面(物理)の紳士であり、カフェ<カオスフレーム>の最初の常連だった。
◇ ◇ ◇
その日、カウンターの上には馬の吐息と珈琲の香りが並んだ。
私は帳面に一行だけ記した。
——初めての常連は、馬の顔をした紳士。
◇ ◇ ◇
――次回予告――
第2話「騎士とスライムの来訪」
「がしゃんがしゃんと騎士が跳ねる。床はぬるぬるに光る。……勇敢って、掃除の大変さと同じ意味なんですか?」