79 魔導炉の生贄
アリエルは、ライナルの登場で最悪の事態を悟った。
連日痛めつけられ、今も防御魔法すら許されず殴られ、更に室内の魔力依存の煙にさらされ続ける。
体も心も、なんとか精神力で支えてきたがすでに限界だ。
だが――王妃が元魔術師だったなんて。
そんなこと、常識なのか?
アリエルは世間話に疎い。
ダリウスの社交界の姿にいまだショックを受けるくらい、自分の身の回り以外の世界のことには本当に無頓着だった。
「アリエル。今日こそ、王にいい返事を持ってきてくれたんだろうね?」
ライナルが微笑む
「……っ!」
ライナルが大量の魔力を握れば、ろくなことにならない。
しかも、この正気を失った王に、操っている元魔術師の王妃が加わる。
百歩譲って魔導炉を造るとしても、その原料となる魔核を集めるため、自分が奴らの命令に従い魔物を狩り続ける未来など絶対にあり得ない。
アリエルは目を閉じ、呼吸を整え、数秒で決意した。
「断る! 私は魔導炉は作らない!」
ライナルが口元を吊り上げる。
「へえ。じゃあ君の大切な人たちに何があってもいいんだ?」
「私には、もう大切な人はいない。ダリウスとも縁は切れた。弟子も、もう私の手を離れている」
胸は痛む。でも、迷惑をこれ以上かけられないーー
迷いのない声で、きっぱりと伝える。
本当は声にしてしまうとつらい
だが、アリエルの予想と異なり、反応したのは王妃だった。
「ダリウス……って、セドリック様の息子?」
マーガレットは舌打ちする。
(あの男には私の魅了が効かない。その息子を刺激すると厄介ね)
そして、王はその名を聞くだけで感情を爆発させる。
「くそっ! また弟が邪魔をしているのか!」
アリエルは混乱した。
(なぜ魔導炉を拒否する話が、ダリウスやその父親のことになるの?)
「何度でも言う。ダリウスとは、もう関わりはない!」
もう一度、毅然と、揺るがず。
しかしライナルは嘲笑を浮かべる。
「ほう……もう、ね。ずっと貴族に媚を売ってきたわけだ。王、王妃。ただ殺すだけじゃ面白くないでしょう? こいつは国のことなど考えず、自分の欲のためだけに動く女ですよ」
マーガレットは血のついた扇子を口元に寄せる。
「良い案でもあるの?」
「ええ、とっておきのが」
ライナルは王妃に囁くと嬉しそうに笑みを浮かべる。
そのまま、アリエルに近づき、魔力制御の手錠と足枷をはめる。
アリエルは、抵抗できなかった。
ダリウスの名が出ると動きが止まる。
動けば、彼にどんな被害が及ぶかわからない。
「この女を魔力源にしましょう。魔力は高い。魔物には及ばなくても、血を抜いて魔力を搾り取り、ハイポーションで回復させる。それを繰り返せば、延々と未来永劫使えますよ」
王の目が輝き、王妃の残虐な笑みが浮かぶ。
アリエルには、まだライナルがつけた鎖を断ち切れる力が残っていた。
けれど――。
自分が犠牲になることで、彼らが満足し、ダリウスやミレイユが被害を受けないなら。
どうせもう命はない覚悟だった
なら、この身は彼らが飽きるまでの遊び道具にされてもいい。
アリエルは、そう覚悟を決めた。
──
アリエルは王の呼び出しを受けてから戻ってこなかった。
樹海防衛部隊を探しても、部隊長室には何も残されていない。
塔へ行くと、生活道具が並び、四階には木箱が積まれていた。中身は魔導炉の設計図や魔物討伐の資料。
これは、わざと隠されている。
やはり危険なことに巻き込まれていたのだ、とダリウスは悟る。
後悔に胸を掻きむしられる。叫び出したい衝動に駆られる。
(アリエル、どこにいる……? 簡単に死ぬ女じゃないだろ。どこに閉じ込められてるんだ)
彼は、アリエルの言葉通りに行動した。
第一騎士団団長レオンハルトに、強引にミレイユを託す。
平民出身。王や貴族に好意など持たない。
圧力で簡単に折れる男でもない。
だからこそ、安心して任せられる。
騙し討ちのようで心苦しかったが、塔の指輪や樹海で戦える剣、短剣を情報屋の武器屋経由で渡す手筈を整えた。
そして王へ謁見に向かう。
(アリエルはどこだ? なぜ魔導炉の話に魔術師団が絡んでいるのに、総司令官の俺には一切知らされない?)
問い詰めようとしたその時――。
「お前の女なら、もう別れたと言って、魔術師団長に愛を囁いていたぞ」
王の周辺に漂う、気色悪い精神干渉を、ダリウスは弾き飛ばす。
間違いなく嘘だ。
ライナルを気持ち悪いと怯えていた彼女が、愛を囁く? そんなわけがない。
「アリエルを返せ! ライナルはどこだ!」
だが王は笑うばかりだった。
やがてダリウスは濡れ衣を着せられ、横領犯として追われる。あっという間に「アリエルと金を持ち逃げした男」にされてしまった。
とんでもないことが起きている。
あの王ではもうダメだ。
だから決意する。
必ず、あの王を討つ。
討って――アリエルを取り戻す。




