76 毒と幻影とダリウス
アリエルは、ずっとダリウスに負い目を感じていた。
――ダリウスも、わたしなんかに出会わなければ。
もっと自由に、白い目で見られることもなく、幸せな人生を送れたはずなのに。
「ダリウスも、お前のような女に引っ掛からなければな」
国王の言葉は、まるでアリエルの胸の奥をえぐるように突き刺さった。
自分が抱えていた負い目を、そのまま形にしたかのように。
だが同時に、王の声には――どこか奇妙な力が混ざっていた。
精神を揺さぶる、黒い影のような干渉。
王の目は、何かに追い立てられているようでいて……
それでいて「自分こそが世界の頂点だ」と信じて疑わない、傲慢な光でぎらぎらと輝いていた。
(……おかしい。防御魔法が反応して輪ゴムで弾かれるみたいな違和感がずっとある。どこから操っている?この室内じゃない……)
操られているわけじゃない。ただ王自身の意思が、ありえないほど増幅されているのだ。
誰がこんな力を? 魔術師団? それとも……。
アリエルは息を詰め、必死で防御魔法を強めた。
王に、意見を述べることはできても、攻撃は許されない。
精神干渉に対応するとしたら防御だけ。
それでも――王の言葉はじわじわと侵食してくる。
(ダリウスにとって、わたしは邪魔。私を愛したばかりに彼は犠牲になった。わたしは何も返せていない。なら、身を引くしか……)
「……っ!」
奥歯を噛み、唇を切って血を流す。
勝手に悪い思考が流れてくる。
痛みで意識を繋ぎ止めようと必死に試みた。
だが王は、そんなアリエルの苦悩を楽しむように笑っていた。
そしていつものように、魔導炉の建築の話を持ち出す。
必ず同席させるのは――魔術師団長ライナル。
ライナルはいつも必ず無遠慮にアリエルへと手を伸ばした。
弱っているか確かめるように、血管をなぞるいやらしい魔力探知。
「……!」
さらに強力な防御を張った瞬間、ぱん、と目に見えぬ衝撃が走った。
ライナルの顔が引きつり、震える手を必死に抑えている。
だがそれで苦痛が終わるわけではない。
「アリエル。唇が切れてるじゃないか。国王が珍しいお茶を用意してくださった。入れてきたよ」
にんまりと笑うライナル。必ず設けられる“ティータイム”。
差し出されるカップには、毎回毒が仕込まれている。
防御魔法で命は守れる。
だが体に毒を流し込む苦痛は避けられない。
アリエルは奥歯に隠した解毒剤を噛み、唇の血とともに毒を飲み干した。
「……げほっ」
吐血しかけても、王の前では飲みきるしかない。
「おや? 残っているじゃないか。ダリウスはお茶の飲み方も教えなかったのか? 平民には必要ない知識だろうがな」
残った毒も、強要されるまま口に含んだ。
魔導炉の回路を作れる錬金術師は、この国でアリエルただひとり。それはかつて、彼女を生きた兵器として扱った人々が霊峰山の魔導炉を造り、私に教えたからだ。
だがその技術は継承されず、彼らは歴史から消えた。
それがなぜかはわからない。
王は魔導炉を作れるのはアリエルだけと知っているからこそ、アリエルを脅し、追い詰める。
霊峰山の魔導炉の設計図は塔に隠しているが……奪われれば本当に危険だった。
だからアリエルは、応戦する。
毎回の“毒入り茶会”に備え、耐毒強度を上げた解毒剤を作り続けた。
だが王の嫌がらせは止まらない。
最近は――ダリウスの映像を見せるのだ。
社交界で女性と踊る姿、笑顔で談笑する姿……。
自分が見たことがない世界で彼は違う女性に微笑んでいる
本物かどうかすら分からない映像に、胸は焼けるように痛んだ。
(……これじゃ、防御魔法でも守りきれない……)
毒と精神干渉、心を抉る映像。
アリエルの体は確実に蝕まれていった。
もう時間の問題かもしれない。
だから彼女は、密かに逃げ道を準備した。
月影亭の床に、もしもの時に発動できる魔法陣を描いて。
「ミレイユ。もし逃げないといけないことがあったら、ここに血を垂らして。避難シェルターになるから」
「……もしも、って何ですかそれ?」
「え、ほら、防災意識を持とうって話よ」
ミレイユ以外には使えないよう設定した魔法陣。
彼女は不思議そうにしていたが、アリエルは少しだけ安心していた。
――せめて、大切なものだけは守れるように。




