36 遺された箱、錬金の記録
ミレイユは堪えきれずに泣き出し、そのまま俺の胸に飛び込んできた。
反射なんてものじゃない。迷うことなく、俺は両腕で強く抱きしめていた。
――やっぱりな。
けれど同時に、よくここまで頑張った、そう胸の奥が痛むほど思った。
あんなに触れることをためらっていた自分が嘘みたいだ。
今、離したらミレイユは壊れてしまう。そう思えて仕方がなかった。
「大丈夫だ。俺がいる。……もう心配するな」
耳元でそう囁くと、ミレイユの肩が震える。細い指先が俺の服をぎゅっと掴む感触に、胸が締めつけられた。
18歳。
まだまだ幼さの残る年齢なのに、親がわりは行方不明になった。リンチも受けた。居場所も仕事も奪われ、それでも無理やり前に進んで――それでも何とか変わらないようにしてきた。
それに加えて、おそらく良くない情報を得たんだ。
限界なんて、とっくに越えている
だからもう、考えるなくていい
ただ俺が抱きしめて守ればいい。
「泣いていい。全部俺が受け止める」
ミレイユの涙の温かさが、胸にしみこんでいく。
それが苦しくて、愛おしくて――俺は彼女をさらに強く抱きしめた。
どのくらい、そうして時間が過ぎたのか。
ミレイユが、言葉にならないような言葉でぽつぽつと説明してくれる。
――騎士団は脅威を取り除くのが仕事だ。
目の前に魔物が現れれば倒す。ただそれだけ。大型魔物なんて出会ったら不運、素材がどうこうなんて考えもしない。
だが、錬金術師の本質は違う。
彼らは錬金に必要な魔物の素材を自ら求める。だから必要な素材以外は無闇に狩らない。
ただ、大型魔物のほうが素材も豊富で道具開発に繋がるから歓迎する。そんな発想、俺にはなかった。
けれど乱獲はスタンピードの原因になる。
欲しいけど取りすぎてはいけない。錬金術師ってのは、意外と自制心を求められる職業らしい。
ありがたいことに、わざわざ討伐に出るのはミレイユの師匠くらい。だから均衡は保たれている。
……が、その師匠が乱獲しているとなれば話は別だ。他にやっている者までいるとなれば、そりゃ心穏やかじゃいられない。
少し話して落ち着いたのか、ミレイユは息をついて――それでも目はうつろなままだった。
俺は彼女を抱きしめたまま、頭を撫でる。
何も考えなくていい時間を作ってやれればいいのに。できることは、これくらいしかない。
「ミレイユは、錬金術とか店以外だと、どんな風に過ごしてたんだ?」
何でもいい。趣味の話とかで気をそらせたらと思ったが……俺自身が仕事人間で提案できるものがないのがもどかしい。
「……錬金術しかないんです。本当にわたし、毎日、勉強して、錬金物作って、お風呂に入って寝るだけで」
かえって落ち込ませてしまった。
……いや、待てよ。風呂か。
浴槽はないが、焚き火でお湯を温めれば……?
ただ魔物に警戒しながらじゃ癒されないし、俺も別の意味で落ち着かない。
「なあ、錬金術の道具に、風呂ってないのか?」
その一言で、ミレイユの澱んでいた目がわずかに揺れた。
「風呂を沸かすのは俺がやる。問題は浴槽だ。金属の大きな缶でもあれば――」
「……お風呂、ですか」
ぼんやりしたまま、至近距離で俺を見つめる。
まだ自分が抱きしめられているのに気づいていないような顔で。
「疲れてるんだよ、このままじゃ倒れちまう。だから少しでも緊張をほぐしたほうがいい」
ミレイユはこくんと頷いた。
けれど動けない。動かない。
……なら俺が動くしかない。
思いつく方法がもう一つある。
「少し待ってて」
彼女をそっと離す。残った体温がふっと空気に消える。
外に出て焚き火とスープの片付けを済ませ、戻ってきた。
「ミレイユ、ちょっと試させて」
そう言って、俺は彼女を抱き上げる。
今なら、抱きしめることもお互いに抵抗はない。
指輪を外した次の瞬間――
二人は、俺のタウンハウスの部屋にいた




