130 愛と偽善の果てに残されたもの
王であるセドリックは、ダリウスの叫び声の中で、必死に冷静を装った。
「アドリアン、これは兄たちがやったことだ。私たちとは違う。……悲劇を繰り返さないために協力してきたはずだろう」
だがアドリアンは首を横に振った。
「そう信じていました。ですが、先日アルベルト様がアリエルに同じような仕打ちをしたのです。アリエルは錯乱して……壊れそうになった。ねえ、アルベルト様。ご記憶に?」
アルベルトの顔が凍りつく。
「いや、そんなつもりでは――」
「彼女がやっと目覚めて最初に聞いた言葉は謝罪でも感謝でもない。『弟の前から消えろ。この平民さえいなければダリウスは幸せになれた』ですよ」
アドリアンの声は震えていた。怒りと、哀しみのせいで。
「それはカールヴァイン王の言葉と何が違うんですか?未来の王もまた、アルベルト様の元で同じ思想で育っている。私はアリエルを救い、二度と犠牲を出さぬためにクーデターに協力しました。……だが、結局、同じ事の繰り返しだ」
「そんな……まさか」
セドリックは息をのんだ。
ダリウスの拳がアルベルトを殴った。
「勝手に決めるな! 俺の幸せは……アリエルと笑って過ごすこと、それだけだった!」
必死の叫びだった。
けれど、その声は虚しく響く
だが、アドリアンの瞳は、冷たく突き放し、ダリウスにも追い討ちをかけた。
「ならどうして守らなかった? レオンハルトは身分を捨ててもミレイユと生きると私に言った。お前はどうだ。『平民と公爵が添い遂げるのは無理だ』と私が告げた時、なぜ手を放さなかった? 溺愛という名のただ優しい言葉だけを与えて、結局嫌なことから逃げただけだ。……それは愛じゃない。偽善だ」
「……あ……」
ダリウスの足から力が抜け、膝を床についた。
アドリアンは冷酷に告げる。
「安心しろ。アリエルはもう生きた兵器としての記憶しか持っていない。お前との思い出など一片も残っていない。だから代わりに言ってやる。――彼女はお前と出会わなければ幸せだった」
胸を抉るような言葉だった。
「そして、君を愛さない方が、よほど救われただろう。彼女に助けられて想いを寄せていたものも多い。別の誰かのもとで、ただ女として生きられた方が……」
その声を聞いた瞬間、ダリウスの目から涙があふれた。
「……愛していたんだ……本当に...」
けれども、彼女の中にもう自分はいない。
抱きしめることも、謝ることも、もうできない。
だが、それを聞いていたアルベルトは反省するそぶりもなく、苛立ちを吐き捨てた。
「……国に買われた女なんだ。貴族の義務と同じにするな。俺たちには国民の幸せが――」
「アルベルト! 黙れ!」
セドリックの怒声が響く。
息子の姿に、兄王カールヴァインが重ねてみえて戦慄する。
アドリアンは静かに息を吐いた。
「……ならやってみろ。アリエルが背負ってきた地獄を、その身で背負ってみろ。私は……私の領民のために生きる」
アルベルトは憤然と去っていく。
残されたのは、膝を崩し、嗚咽をこぼすダリウスだけだった。
――もう、彼女の中に自分はいない。
自分の知っているアリエルはどこにもいない。
彼女が残した笑顔も、声も、思い出もすべてが消えてしまった。
その痛みだけが、ダリウスの胸に深く突き刺さり続けていた。




