12 塔暮らしの少女と転移指輪
「何日も食べてないなら……試し切りより先にやることがあるだろうに」
レオンハルトは深くため息をついた。
そういえば、最初に来たとき、彼女は煤だらけだった。
足元には焚き火の跡。
あれは……まさか、料理しようとして失敗した痕跡だったのか。
翌日には収穫できる野菜キットを調理!なんて、普通は思いつきもしない。
取り調べから何日も食べていないのなら、空腹どころか命に関わる。
「食べ物の確保が先だな……一度戻るか」
ミレイユは
「野営のやり方さえ教えてくれれば、あとはやるので、自分とは関わらないでください」
と言っていたが、甘い。
ちょっと教えただけで魔物だらけの森で生き延びられるほど、この世界は優しくない。
転移用の指輪は、はめた場所から“ここ”へ、そして“ここ”からはめた場所へ戻れる仕組みだ。
しかも、転移魔法のように光をまき散らすこともなく、外から見られる心配はない。
魔術師団の魔法使いでも高度な技術を要する転移を、この小さな指輪一つでこなせるのだから、やはり貴重品だ。
ただし使うなら、鍵のかかった室内一択だが。
「すぐ食べられるもの、取ってくる」
指輪を外すと視界が切り替わり、そこはいつもの自室。
ミレイユの言う通り、何も知らないふりをすれば平穏な日常は続くだろう。
だが――あれだけ健気に生きようとする子を、放っておけるわけがない。
魔鳥の死骸を見て、目を輝かせるほど空腹だったのだ。あの必死な顔を思い出し、胸が痛む。
パンを数個、缶詰、瓶詰め、飲み物や軽い菓子……調味料も少し。
酒は……まだ早いだろう。
本当は買い出しに行きたいが、向こうで過ごした分、こちらの時間も進んでいる。
日没までにできることは限られている。
簡単な工具と、俺の服やタオルも。
あの服はもう拷問でボロボロだったしな。
食料と荷物を抱え、再び指輪をはめる――
そして、朝と同じ場所へ。
「……すごい指輪だな」
戻った瞬間、視界に飛び込んできたのは、嬉しそうに魔鳥を解体しているミレイユだった。
虹色の羽は丁寧に束ねられ、魔核も取り出されている。小さな手つきは意外なほど慣れている。
「戻ったよ」
「あ、本当に戻ってくださったんですか? ありがとうございます!」
振り返った彼女は……鳥の血まみれだった。
思わず、ひゅっと息を呑む。
総司令官、申し訳ありません。
この子との縁談はやっぱり――
「火を起こせば焼いて食べられます。魔核も取ったので安全ですし。……ほら、大丈夫でしょう?」
にっこり笑うミレイユ。
口元と頬に血がついているのに、笑顔だけは妙に可愛い。
……撤回だ。縁談はともかく、この子はいい子だ。
「子供が変に気を使わなくていい。
まずは加熱不要のものを食べなさい。……あと、夜になる前に体を洗ってこい。魔物避けの鈴は持って行け。
服は俺ので悪いが、また買ってやる」
包みを開けた瞬間、ぐぅぅぅ……とミレイユのお腹が鳴った。
「す、すみません……お言葉に甘えます」
耳まで赤くし、ぺこりと頭を下げる。
その仕草が、なんとも庇護欲をくすぐる。
鈴を握りしめ、水場へ小走りに向かうミレイユ。
背中の髪がふわりと揺れた。
水場はすぐそばで、油断すれば視界に入ってしまいそうだ。
レオンハルトは慌てて背を向けた。
「……塔の中でも見ておくか」
1階――野菜の種と農具。
外の畑でそのまま作業できるよう整っている。
「畑持ちの隠れ家か……準備いいな」
2階ーー居住スペース。
壁一面の本棚が占拠しているが、よく見ると棚の裏から小さな台所が出てきた。
「本格的な料理は無理そうだが、湯くらいは沸かせるか」
火は魔石式で、火の魔石が数個。
これなら1ヶ月は持つ。
雨の日や夜の焚き火は避けたいから、この設備はありがたい。
3階――仕事場。
整然と並んだ専門書と、見慣れない道具や素材。
「……2階の乱雑さとのギャップがすごいな」
師匠の性格なのか?きれいに収められている。
それだけきちんと扱わないと、危険なものなのかもしれないが....
4階――倉庫。中はまだ未確認だが、古そうな木箱が積まれている。
5階――先ほどミレイユと見た最上階。部屋はない。
外から見たときは三階建てにしか見えなかったはずだ。
「……妙だな。どういう造りだ?」
この塔は急ごしらえの隠れ家ではない。
おそらく元々あった建物を改築したのだろうが、そもそもなんでこんなところに家があるのか。
森を見渡す。樹海の奥には何が隠されているのか。
総司令官たちがここにいる可能性だって……ゼロじゃない。
レオンハルトは押し寄せる不安を胸の奥に押し込み、じっと森を見つめ続けた。




