第21章 祭りの後の祭りの始まり
次の日、4人は.鬼ケ窪モータースに集まった。「A80スープラ面野井君が速かった。第ニセクターから第三セクターまで1位のタイムだった。第四セクターは琢磨が盛り返したが遅かった。」鬼ケ窪社長は、皆の顔を見た。「樹潤は健闘した。琢磨も亜久里も結果が出てしまったから何言っても慰めにしかならない。」鬼ケ窪社長は皆の顔を見て苦笑いを浮かべた。「僕の敗因はメンタルですね。株をやってる時みたいに決断が出来なかった。皆から遅れているねがわかって妻木交差点まで諦めてしまっていた。ただ、妻木で死んだ兄貴が背中を押してくれたんです。アクセル踏んだら車が動いた。」琢磨は皆に不思議な現象を説明し敗戦の弁を口にした。「僕も同じだ。右の2台に先に行かれるのを見て、やる気が失せた。正直なところ!34GTRとA80スープラには勝てないからね。ロータリーじゃ!僕も実力不足は否めない。」亜久里も敗戦の弁を口にした。「私は、A80スープラの前に一度も出られなかった。面野井さん速かった。それだけ。残念。完敗でした。」樹潤は苦笑いを浮かべ下を向いた。「今日は、何故かアクセルを踏めた。勝てば樹潤さんと付き合えると考えてハンドルを握った。第四セクターでは天宝喜さんに抜かれたけど、ペナルティがあって助かりました。なかったら負けですものね。」右京は、皆の顔を見てニコニコしていた。「約束だから、右京君、私と付き合ってお願い致します。お金のかかる女だよ。私、それでも良い?でも、処女だよ。男の事何も知らないよ。」樹潤は右京の顔を見て苦笑いを浮かべ頭を右手でかいた。「別にいいよ。喜んでお付き合いさせてもらいます。」右京は樹潤の顔を見てニヤリ微笑んだ。「いろんな事があったが無事故で終われてなによりだ。右京の優勝で終わった。今度は4年後のレースだ。全国から走り屋募集のホームページ作らないといけない。どんな猛者どもが来るのやら楽しみだな?右京は4年後のレースには自動的に出られる。辞退してもいいがな!返事は明日までにくれ。これからホームページを作る。長高野さんが専門だから頼んでみる。」鬼ケ窪社長は、皆の顔を見た。そんな時、吾妻知事から電話が来た。「昨晩はご苦労さまでした。大成功だった。走り屋の皆にも宜しく伝えて下さい。今回の45万円は後で補填いたします。今日のうちに国交省と話をします。次回開催について。そうなると金かかるなあ?今回県庁の動画のコマーシャル代積み立てておきます。」知事はもう4年後の事を考えていた。「4年後の出場者の募集は県庁でやってもらえんですか?無理なら私どもに仕切らせていただきます。後、歩道よりのレーンの再舗装お願い致します。ドライバーから走りづらかったと酷評でした。」鬼ケ窪社長は知事に伝えた。また、事務所の電話が鳴った。今度は田水山交通課警部補だった。「昨晩、クリーンセンターからバイクを当て逃げした。河原と言うおやじを酒酔い運転ならび当て逃げで捕まえたの事。当て逃げされた暴走族の山崎君にはケガはなし。バイクは中破先程、バイク屋が回送した。」田水山からだった。「今回も酔っ払い運転か?琢磨もう少し速かったら事故っていたかもだな?危なかった。酒酔い運転なくならないなあ?」鬼ケ窪社長は琢磨の顔を見て怒りを堪えていた。「鬼ケ窪社長、我々は次回のレースに参加出来ないのですか?」樹潤が社長の顔を見た。「そんな事はない、筑波サーキットでの予選の結果次第だな?君達に門は開けとくよ。功労者だからな!」鬼ケ窪社長は皆の顔を見て優しく微笑んだ。 「車、変えた方がいいかもな?GRヤリスとかシビックタイプRとかにお金あるなら35GTRとかにオススメはGRヤリスかな?改造しがいはありそう?」鬼ケ窪社長は展望を述べた。「GRヤリスかあ!考えておきます。セブン油食うからソロソロ乗り換えを考えていた所です。」亜久里が口にした。
1月も15日が過ぎた頃、吾妻知事から鬼ケ窪社長のスマホに着信があった。「国交省から正式に許しが出たから4年後に向かって動いてくれとの事、鬼ケ窪社長がすべて仕切ってやってくれ、人選は任せる。ホームベージもそちらで作成してくれの事だった。お金がかかる事は相談してくれ。出せる範囲なら出す。」吾妻知事からゴーサインが出た。鬼ケ窪は、ホームベージ特に走り屋募集をアップした。注意事項として、かならず、自費で筑波サーキットのライセンスをとることライセンスをとる月によって金額が変わるのでよく筑波サーキットのホームベージを参照する事だけは載せた。不法改造車はお断り、筑波サーキットの車検に受かる車で参加を義務ずけた。必ず任意保険に加入する事。車の種類に限定はもうけなかった。フェラーリやランボルギーニ、スーパーカーメーカーも原則オッケーにした。中国車や韓国車、アメ車もオッケーだ。ホームベージで申し込み可能。初日に早速申し込みがあった。東京在住の男性だった。車は35GTRだった。四国の愛媛の男性も35GTRだった。九州福岡の女性も35GTRでエントリーがあった。初日は3名のエントリーで終了した。それを見た鬼ケ窪社長は「こうなると思ったと声を上げた。」2日目からいろんな地域、車種のエントリーが沢山あった。つくばのホテル利用の方は樹潤の親父の経営するホテルをお勧めした記事を載せた。ラーメン屋は大白硲君のお店を紹介した記事も載せた。茨城の走り屋達は直接鬼ケ窪モータースに来て社長に車自慢をしに来る奴も出て来た。対応する長高野さんや社長も仕事にならなくて少し悩んでいた。それからエントリーが集まり次第筑波サーキットでタイムアタック予選を毎月開かれていた。まだ、4年も先の話であった。もうこの時点でお祭り騒ぎであった。面野井右京は、次のレースの特別出走枠を辞退していた。樹潤と大学卒業後、結婚し、右京は実業団ラグビーチームにスカウトされ、さらにラグビー日本代表にまでなった。右京はA80スープラを処分した。ラグビーに専念する為と結婚資金の為。樹潤は暇さえあれば筑波サーキットで走り込んで4年後のレースにもエントリーした。大白硲亜久里は走り屋を卒業し、ラーメン屋の経営に全霊を傾けた。琢磨は、相変わらず走り屋はやっていた。GRヤリスを買って、鬼ケ窪社長によるエンジンチェーンをしていて、樹潤と一緒に筑波サーキットで走り込んで4年後のレースにエントリーした。株は儲かっていた。鬼ケ窪社長にも指南した。クラッシック繋がりで長高野芽郁と付き合うようになり結婚へと動き始めてこちらもおめでたい話になっていた。
短い期間でしたが、ご愛読有り難うございました。実際にある道路交差点を舞台に繰り広げましたが皆さん優勝予想は当たりましたか?予定とは結果がココに来て変更されました。あしからず。次回作は活動報告から御覧ください。作者。