第1章 望みは、ひとつ 7
エドマンド・バナッシュは、鏡の中の自分を見つめた。
白地に紺色の花が刺繍されたローブを身にまとっていた男の顔は、青白く皺だらけだった。
50年前、エドマンドは、神官の証である礼服に初めて袖を通した。
かつては、神々への強い信仰心と希望を胸に抱いていた。
そして、今は、貴族達のご機嫌を伺うだけの日々を送っている。
しかし、彼は、そんな現状に抗う気力も体力もないことを承知していた。
「おはようございます、神官長様。」
返事をすると、紺色のローブを着た小柄な青年が入ってきた。
最近、神官見習いになった青年だが、ずる賢そうなキツネ顔は、神官としていかがなものだろうかと時々思う。
しかし、バナッシュ神官長は、そんな考えをおくびにも出さず、青年に笑いかけた。
「おはよう。ロビン。気持ちの良い朝だね。」
「はい。神官長様。」
ロビンも笑顔で応じた。
元々、細い目が、糸のように見えた。
「しかし、どうしたんだい?こんなに朝早く。」
「午後にシュバルツ様が、いらっしゃいます。」
「それは、急がなくちゃいけないね。」
老人は、言葉とは裏腹にゆったりした口調で答えた。
「すがすがしく吹き抜けるマスカットの香りだ。これは、チボリー村のマカティーじゃないか。いや、有難い。王都の食べ物は、口に合わない物ばかりでね。」
鮮やかな赤いジャケットを着た男は、茶の香りを楽しむように目を瞑った。
わざわざ、王都の外まで買いに行かせた甲斐があった。
男の反応を見た老人は、内心ほくそ笑んだ。
「シュバルツ様は、青江宮を離れられてから、どのくらい経ちますか?」
「ちょうど2年だ。」
シュバルツが答えると、バナッシュ神官長は、ほうとため息をついた。
「月日は、あっという間に過ぎますね。」
「ザイオンの怒りが、白磁宮を粉砕したのも、つい昨日のことのようだな。」
「お心遣いありがとうございます。白磁宮の再建は、秋にも完了する見通しです。」
バナッシュ神官長は、男の皮肉に対して、さほど反応を示さなかった。
王都で手に入りにくい茶を用意する気配りを見せながら、見え透いた媚を売らない。
面白くないが、これが、聖職者のあるべき姿なのだろう。
そんなシュバルツの心中を知ってか、バナッシュ神官長は、話を本題に進めた。
「本日のご用件を伺いましょうか。」
「巫女のことだ。」
老人は、年を重ねる内に透明度を増した青い瞳で、短く答えたシュバルツをじっと見つめた。
「次の巫女は、マルケウス家のシーナ様に決まっています。」
「分かっている。しかし、変更とはいかないかね。」
バナッシュ神官長は、しばらく言葉を失ったようだった。
「変更ですか。」
おうむ返ししてくるあたり、かなり動揺している様子である。
この老人は、普段しつこい会話を好まない。
「ああ。」
「シーナ様は、申し分ない方だとお見受けしました。」
「しかし、ある人物の頼みなのだ。その、新しい候補に会ってみるだけでもしてくれないか。『彼』も最終的な判断は、神官長に託すと言っている。」
シュバルツは、彼にしては珍しく、歯切れの悪い口調で答えた。
ようするにあまり触れてほしくないのだろう。
バナッシュ神官長も深く追求する気はなかった。
多額の喜捨をしてくれる貴族に逆らう聖職者などいない。
「承知いたしました。新しい候補のお名前は?」
「ミーシャ・マルケウス。」
バナッシュ神官長は、小さく息を吐きだすと、目を瞑った。
抗う気力もない自分に失望しているのか、呆れているのか。
エドマンド・バナッシュ
白磁宮の神官長・70歳
ロビン・バーニー
神官見習い・17歳
シュバルツ
貴族・青江宮の持ち主・35歳位?