第1章 望みは、ひとつ 3
「ロッコ村の民税が、多すぎませんか。」
ファジオン・マルケウス侯爵は、書類から目を上げると、前に立っている青年を見上げた。
侯爵は、大抵の人間を疎んじていたが、この青年のことは、嫌いではなかった。
マルケウス家の親戚であるラッカ家から聖騎士として連れてきた少年は、剣を持たせれば、都で一、二を争う腕前であるし、頭もなかなか切れる青年に成長した。
しかし、最近、何かと意見が合わなくなってきたのは、気のせいではないだろう。
侯爵は、自分の思い通りにならない人間を『嫌って』いた。
それは、血縁者でさえも例外ではない。
「そう思うかね。」
ユリウスは、深く頷くと、言葉を続けた。
「はい。ロッコの畑は、霜のせいでほとんど収穫物がありませんでした。昨日、村を訪れましたが、ひどい有様でした。今、増税をすれば、食べる物すらなくなってしまいます。」
公爵は、しばらく何も言わず、ユリウスを眺めていたが、やっと口を開いた。
「ロッコだけを特別扱いしろと言うのかね。」
一瞬、はしばみ色の瞳にぴりりと閃光が光った。
「そういうわけではありません。ただ、現実問題として不可能かと思われます。」
抑えられた声だったが、秘められた情熱を感じた侯爵は、ふっと微笑んだ。
「何もないならば、人間を出してもらうしかないだろうな。」
「どういう意味でしょうか。」
「村の若者を集めて、北の鉱山で働かせる。」
今度こそ、ユリウスは、動揺した表情を隠せなかった。
「マルケウス家の領地から鉱山労働者を出すとおっしゃるのですか。」
「ああ。何か問題でもあるのか。」
「マルケウス家の名誉は、どうなるのです。」
侯爵は、苦笑した。
「では、聞こうか。マルケウス家の名誉とは、何だ。恐れ多くも国王陛下のお膝元に御土地を預からせて頂きながら、充分な国税も徴収できない言い訳をマルケウス家の名誉とやらにすることか。」
ユリウスが、唾を飲み込む音が聞こえた。
「理解していないようだから、言っておくが、王家あってのマルケウス家だ。君も今にマルケウスの当主になるのだから、王家にとって不利益になることの一切が、マルケウスの不名誉になることを覚えておきたまえ。」
ユリウスは、きっぱりと言い切った侯爵をしばらく黙って見つめていたが、やがて頭を下げると、部屋を出て行こうとした。
しかし、ドアの前でふいに足を止めると、振り返った。
「北方の事件をお忘れですか。もう限界なのです。民にとって、ムトスの神話や王家の存在は、意味を為さないものになりつつあります。」
絞り出すような声で呟くユリウスを眺める侯爵の目は、冷めきっていた。
「どうしたの、難しい顔をして。」
やりきれない気持ちを胸に抱えたユリウスが、廊下の曲がり角で出くわした娘は、心配そうに彼を見上げた。
淡い青のドレスの裾が、サワサワと音を立てた。
しかし、今はそんな音さえも彼を苛立たせた。
「なんでもないよ。少し考え事をしていたんだ。」
ユリウスは、安心させるように微笑んでみせた。
しかし、シーナは、青い瞳をユリウスから離さなかった。
「お父様から何か言われたの?」
「違うよ。本当に大したことじゃない。」
「なぜ、苦しげに笑うの。」
いつも穏やかな彼女だが、今日はどこか責めるような口調だった。
ユリウスは、自分を捕らえて離さない青の双眼をじっと見返した。
もう長い間、彼は、その青の宝石に魅せられてきた。
「どうして、君は、僕をそんな風に見るんだ。」
「え?」
シーナは、驚いたように瞬きした。
無防備な反応にユリウスは、何もかもぶちまけてしまいたくなる自分を抑えられなくなった。
「どうして、僕をそんな目で見るんだ。君は、もうすぐ、神々のものになってしまうのに。」
ユリウスは、シーナの答えを待たなかったし、聞くつもりもなかった。
長い指でそっと白い頬を撫でたユリウスは、魅惑の赤い果実に口づけをした。
神々がいなければ、この娘は、自分の傍にいてくれるのだろうか。
禁断の実を食べた後に何が待っているかなど、考える余裕などなかった。
時の止まったような空間に入り込んだ一紡ぎの風が、重なり合った金と銅の糸をふわりと持ちあげた。




