8-1 眼鏡スーツ襲来
『おはようございます。』
玄関から声が聞こえる。
いつもの実家の朝御飯を食べ終え、洗い物をしていた時に来客の声が聞こえた。
時計を見れば、まだ朝の7時45分。
こんなに朝早くの来客など普通は考えられない。
「誰だろう?」
「眼鏡じゃろ。」
洗い物の手を止め、仏間でくつろぐバーチャんに声をかけると思わぬ答えが返ってきた。
こんなに朝早くに『国の人』が来るのか?
「バーチャん。どうするの?」
「二郎が対応せい。」
えっ。ムリムリ。
手をふってバーチャんに無理だと伝えたが、バーチャんは動かない。
『おはようございます。』
再度、玄関から同じ声が聞こえる。
俺は仕方なく濡れた手を拭き玄関へと行くと、玄関戸の磨りガラスの向こうに人影が見える。
「どちら様でしょうか?」
「御陵の管理を担当している者です。」
土間口に降りて玄関を開けると、バーチャんが言ったとおり眼鏡スーツが立っていた。
「朝早くに申し訳ありません。桂子さんはご在宅でしょうか?」
「いますけど。こんな時間にですか?」
「申し訳ありません。あっ桂子さん。」
眼鏡スーツの声に振り返ると、玄関土間口手前の廊下にバーチャんが立っていた。
「日記の件でお話を聞きたく、こんな時間でご迷惑かと思いましたが…」
「I am not willing to take questions or answers on that matter.」
バーチャん。朝から英語ですか?
「Can I come back another day?」
眼鏡スーツさんも英語で返してる。
「お前さんは英語がわかるようじゃが、今度の頭は英語が苦手なんか?」
バーチャんが日本語で断りつつ、土間口の際まで進んで来た。
そんなバーチャんの手には、供物台に置かれていた白い包装紙に包まれた赤福と、その上に置かれた白い増設コンセントがあった。
「これは京都に送り返せば良いか?それとも東京の方が良いのか?それとも持って帰るか?」
そう言って、バーチャんは片手で白い増設コンセントを持ち上げた。
「……」
眼鏡スーツさん。黙っちゃったね。
「上司と相談し、日を改めてお伺いします。」
眼鏡スーツさんはそう言うと、それまで玄関の土間口に入ろうとしていた足を戻して玄関の外に出ようとした。
「手土産なしじゃ帰れんじゃろう。これでも持って行け。メイドが置いていった手土産じゃ。」
そう言ってバーチャんが赤福を突き出した。
眼鏡スーツさんは素早くスーツの内ポケットから白い手袋を出し両手にはめると、土間口に両足を入れ赤福をその手に受け取った。
「そちらの方は私共では知らぬものです。」
眼鏡スーツさんがそう言ってバーチャんの手に残った白い増設コンセントに視線をやり頭を下げる。
そして踵を返して玄関から出て行く。
開かれた玄関戸の向こうで、眼鏡スーツさんが小走に敷地の外に駐められた黒っぽい車に向かって駆けて行く。
その光景を俺は呆然と眺めながら、眼鏡スーツさんが哀れな存在だと思った。
「私共では知らぬものです。」
この言葉には複数の意味がある。
白い増設コンセントの存在を認めたら、自分達が仕掛けたものだと白状するに等しい。
『知らない』
『聞いてない』
『関係無い』
責任を問われそうになると、こうした言葉を口にする人は多い。
中には口癖になっている人までいる。
俺はこうした人物は信用しないことにしている。
信用しないのだから当然ながら信頼もしない。
そうした人物に対しては感情を抱かないのが最良だ。
感情を抱くとすれば
『哀れな存在である』
その程度が最良だと俺は考えている。
他者にそうした感情を抱くのは、悲しいことだが致し方ない。
◆
朝からの『国の人』の襲来で、何ともやるせない気持ちのままだ。
それでも今日は畑仕事だ。
俺は気を取り戻して作業着に着替えた。
バーチャんの指示で小型の耕耘機を試運転する。
無事に動くことを確認したら、ショッキングピンクの軽トラに積み込む。
バーチャんを助手席に乗せ畑に向かう。
畑に向かう途中で、今日の大まかな作業を聞いた。
「今日は何をやるの?」
「ニラの収穫じゃ。」
そう言えば、帰省二日目で雑草取りをしたのがニラ畑だった。
「ニラも美味しいよね。」
「今日はすき焼きを止めてニラにするか?」
「迷うなぁ~ニラレバとか食べたい気もする。」
「何かワシも食いとうなってきた。」
こうしたバーチャんとの会話は助かる。
朝から眼鏡スーツさんに抱いた負の感情、こうした会話をすることで上手く振り払える気がする。
バーチャんも長い付き合いのある、眼鏡スーツさんに思うところがあるだろう。
盗聴器を何回も仕掛けられたら、顔も見たくないと思うこともあるだろう。
それでも副業の上での付き合いを続けられるのは、やっぱり年の功なんだろう。