7-1 淡路陵
鳥の鳴き声とカーテン越しの明かりで目が覚めた。
今朝はバーチャんが起こしに来ない。
俺は自分で起きて着替えも済ませ布団も畳んだ。
顔を洗うときに鏡を見た。
昨夜は目から汗をかいたせいか、少し目の回りが腫れぼったい。
座敷に入り神棚に手を合わせる。
続いて仏間でも手を合わせる。
「バーチャん。今朝はどうしたの?」
「今日は日曜で休みで放置じゃ。」
台所で豚汁を温めるバーチャんに声をかける。
そうか今日は日曜日なんだ。
有給休暇を取得したのが月曜日。
もう一週間が過ぎるんだ。
「目が腫れとるで。」
「そ、そうかな…」
「日記で泣いたか?」
「バーチャん。それだけど…」
「なんじゃ?」
日記のことを聞こうとして、俺は自分で止めた。
「何でもない。」
「そうか。そうか。」
バーチャんの気持ちを聞いてどうする。
バーチャんの気持ちはバーチャんのものだ。
俺がそれを聞き出してどうする。
食卓に座り豚汁と『いなり寿司』で朝御飯を済ませる。
「今日はバーチャんも休みだろ?」
「休みじゃ。昨日は夜更かししたんか?」
「いや、気がついたら寝てた。」
半分、泣きながら寝たんだけど、俺は言えなかった。
◆
「ちょっと散歩してくる。」
朝御飯の洗い物を済ませ、俺はバーチャんに散歩してくると告げ外に出た。
今日も空が青い。
ピヨピヨと聞こえるのはヒバリの鳴き声だろう。
青空の下、県道の両脇には田園風景画広がる。
その田園風景の中に、鬱蒼とした木々が茂った小山が見える。
田園の真ん中に森が鎮座しているようなこの景色は、見る人によっては違和感を覚えるだろう。
小山の正面まで近寄ってみる。
砂利が敷き詰めらた厳かな佇まい。
石造りの柵に囲われた先には、石造りの鳥居が座している。
人が入れるのは、砂利が敷き詰められた庭を囲う低い垣根の手前まで。
石造りの柵や鳥居までは近寄れない。
石造りの柵の手前には屋根付きの案内板が置かれている。
淳仁天皇 淡路陵
一、みだりに域内に立ち入らぬこと。
一、魚鳥等を取らぬこと。
一、竹木等を切らぬこと。
宮内庁
そう、ここが『淡路陵』である。
こうして淡路陵の前に来ると、自分の存在意義を考え直してしまう。
あの鳥居の奥。
あの鬱蒼と茂る森の中。
そこに別世界に繋がる『門』がある。
その門からバーチャんは現代世界にやって来た。
その門から一郎父さんは日本にやって来た。
そして俺を育んでくれた。
考えてみれば礼子母さんも別世界から来たのだ。
バーチャんは一郎父さんも礼子母さんも日本人ではないと言った。
そんな二人から生まれた俺も日本人じゃないのだろう。
先週の今頃は休日出勤で職場に向かっていた。
そしてついに心が折れた。
別世界の人間をここまで酷使する組織に何故に俺は縋る(すがる)のか。
俺は何なのか。
俺が自分で学んで考える。
俺が自分で考えて学ぶ。
これからは、そうした生き方をしよう。
そうした思いを心に強く抱いた。
◆
「バーチャん。ただいま。」
朝の散歩を終えた俺は実家に戻った。
母家の玄関を入り、バーチャんに声をかけるように帰宅を伝える。
「おう。お帰り。」
仏間の方から声がする。
俺は声のした仏間を通り過ぎ、神棚のある座敷に入る。
俺は神棚に手を合わせ祈る。
淡路陵は亡くなった天皇を奉った場所だ。
そこに詣らせていただいたことを、手を合わせながら神棚に向かって伝えた。
合わせた手を解き、今度は仏間に入り仏壇に手を合わせる。
お爺ちゃんと一郎父さんに、淡路陵に詣ったことを心の中で伝える。
そんな俺をバーチャんは見て見ぬふりをしてくれた。
「バーチャん。今日は買い物の予定とかある?」
「今日はないぞ。」
「なら、昼までお爺ちゃんの部屋に籠るね。」
「おお。わかった。」