6-5 いなり寿司
「豚汁は作ったで。腹が減ったら自分で出来るか?」
仏間でPadを操作している俺に、バーチャんが声をかける。
Padの時計を見れば17:08。晩御飯は1時間後ぐらいでも良いだろう。
「バーチャん。ありがとう。後は自分で出来るよ。」
「そんならワシも自分の時間じゃな。」
そう言ってバーチャんはテレビのリモコンを手に取った。
バーチャんが電源を入れたテレビに目を向ければ番組表が出ている。
バーチャんは器用にリモコンを操作して録画予約をしているようだ。
えっ?
バーチャん。そういうのも出来るの?
「それって、録画予約?」
「そうじゃ。面白そうなドラマは全て録画しとる。」
そう言ってバーチャんがリモコンを操作すると、録画済みの一覧が画面に表示される。
そこにはズラリとテレビドラマのタイトルらしきものが並ぶ。
さらにバーチャんはリモコンを操作して録画した物を見始めた。
「もう。立派なテレビドラマファンだね。」
そう声をかけたが、バーチャんの反応はなかった。
俺は台所でお茶を入れ直すと仏間のバーチャんの前にそっと差し出す。
それに気づかないのか録画したテレビドラマに見いるバーチャん。
暫くしてバーチャんがリモコンで再生を止め、お茶を啜ってから呟いた。
「このドラマは外れじゃ。」
そしてさらにリモコンを操作すると、そのドラマの録画していた分を全て削除した。
俺はテレビドラマファンの怖さを知った気がした。
バーチャんは録画したテレビドラマを見ては削除する。
そんなバーチャんの脇で、俺はPadに意識を戻し『淡路島の門』『淡路陵の門』『淡路の門』と『一郎』の検索を繰り返しては日記を読む時間を過ごした。
◆
「バーチャん。日記を読む限りは、一郎父さんが出てきた時って随分と急な感じなんだね。」
俺は豚汁を飲みながら、バーチャんに質問する。
「そうなんじゃ。一郎が出てきた時は、急に森が明るくなったんじゃ。」
「バーチャんの時は、日付を見る限り広島原爆と同じ日時みたいだから…」
「それに、ワシ以外にも何か来とるだろ。」
「そうだね。日記には幼女の側に正体不明の粘液がって書いてある。」
俺はバーチャんと日記についての談義をしている。
俺が気になったのは、『淡路島の門』『淡路陵の門』『淡路の門』と『一郎』の語句が含まれた日記に書かれている一郎父さんが出てきた様子だ。
・お爺ちゃんが出てきた際には
⇒米軍が実験として魔石を使って米軍の門を開いた(励起状態)での出来事になっている。
・礼子母さんの時も同じで
⇒米軍が門での実験中に出てきたと書かれている。多分だが門を開いていたのだろう。
・バーチャんの出てきた状況では
⇒日時からして広島原爆で淡路陵の門が開いていたのだろうと伺える。
けれども一郎父さんは少し様子が違う。
当然ながら核兵器なんて使われていないし、『魔石』を淡路陵の門に使ったような記載は出てこない。
まさに突然に、淡路陵の門が開いたように書かれている。
「一郎はワシとお爺さんで保護したんじゃ。」
「そう書かれてる。俺が気になったのは、何もないのに淡路陵の門が開いたことだよ。」
「その件か。ワシとお爺さんは何回も連中に聞かれたが、日記に書いたとおりじゃ。」
バーチャんが言う「連中」とは『国の人』や『米軍の門』の関係者だろう。
『米軍の門』を開く状況は、大量の日記に実験の経過として書かれている。
けれども『淡路陵の門』を開く様子が見当たらないのだ。
淡路陵の門を自ら開いた者はいない。
なぜだろう?
『米軍の門』は開くことに拘っている。
けれども『淡路陵の門』は、開かないことが由とされている。
この違いは、門に対する宗教的な考えの違いなのかも知れない。
何せ淡路陵の門は『鳥居』の形をしているのだ。
『鳥居』は神社などにおいて神の世界とされる『神域』と人間の俗界を区画するものだ。そして一種の『門』だ。
それを自ら開く(励起状態)と言うことは、自ら神に繋がろうとする行為とも言える。
やはり日本人的な考えでは、神に自ら接しようとする行為は禁忌なのだろう。
そんな感じで納得することにした。
それにしても、バーチャんお手製の『いなり寿司』が旨い。