18-21 ストレス
俺は女性が泣くのに胸を貸したことは⋯
俺もこの年齢だから『それなりに』はある。
だが、それらの結末については記憶から消したい過去だ。
そうした過去と今はまったく違う。
目の前で涙を見せたのは、俺の大事な彼女だ。
こうした時に何と声を掛ければ良いのか⋯
俺は彼女の背中に手を置き、彼女が泣き止むのを待つしか出来なかった。
彼女の気持ちが落ち着くのを待つしか出来なかった。
「ごめんなさい、シャツに口紅が⋯」
泣くのを止めた彼女が顔を起こす。
彼女がティッシュを出し、俺の胸元に着いた口紅を拭っている。
ひととおり口紅が落とせたらしく、彼女は自分を納得させるための言葉を呟く。
「今日直ぐに洗えば落ちます、うん、落ちます」
「ああ、ありがとう」
変な感じでお礼を述べて彼女の顔を見れば、少し目が腫れぼったい感じだ。
元が可愛い彼女の、これまで見たことの無い顔に戸惑っていると、彼女が俺の座る側の窓を指差す。
何だろうと彼女の指差す側を見ると、河口のような水面に傾き行く陽の光を写した景色が見える。
「センパイはそちの景色を見ててください。こっちを見ちゃダメです!」
何だ?
普段は見れない彼女の顔をもう少しだけ見たかったのだが、泣いている時に何も出来なかった俺だ。
そんな俺が、今さらマジマジと彼女の顔を見るのも悪いと思い、言われたとおりに窓からの景色を眺め続けた。
隣に座る彼女の方からは、ガサゴソと音がする。
何をしてるんだ?
暫くして、ガサゴソした音がしなくなった。
「はい、センパイ。良いです」
そう言われて彼女に目をやれば、化粧を直したのか幾分目の腫れが治まった感じだ。
いつもより、少し恥ずかしそうな顔で彼女が俺を見ている。
「落ち着いた?」
「ええ、なんとか(笑」
「それにしても嫌なもんだね。由美子の言葉に考えさせられるよ」
「えっ?何がですか?」
「俺も素性の知れない奴から、そんなことをされたら、由美子と同じだよ」
「センパイ⋯」
「けど、俺は由美子とは違って嘘を着いたり、自分を守る言葉に後悔はしないし、自分を責める考えは持たないと思う」
「⋯」
「むしろ、反発して相手を攻めてしまうだろう。それでこそ、由美子がされたと知ったら鬼になるかもしれない」
「⋯⋯」
「俺が鬼になる様子は、由美子には見せたくない。その時には俺を見ないで欲しい」
「わかりました。そっと目をそらします(ニッコリ」
彼女の顔に笑顔が戻ったことにして、話題を変えてみる。
「そうだ、由美子は警護隊の二人に渡したい?」
「あぁ、渡したいですね」
俺は暗に『心付け』の事を話題にしたのだが、彼女は直ぐに察してくれた。
「センパイ、二回渡すのってありですか?」
「二回渡す?」
「ええ、運転手さんにもう一度渡したくて⋯」
「良いと思うよ。今回の伊勢行きでは随分と運転手さんに気を使って貰ったし、昨日のは前回分と思えば渡しても良いと思うよ」
そんな会話をしていると、彼女が少し欠伸を我慢するような仕草をした。
「少し寝たら?疲れただろ」
「ええ、ちょっと(笑」
彼女は暫く外を眺めていたが、直ぐにコックリコックリし始めた。
きっと、泣き疲れたのだろう。
彼女のトラウマな話を聞き、俺はこの先、彼女を守って行きたいと強く思った。
彼女を『門』に関わらせないと言うより、『門』を取り巻く連中から守りたいと思った。
隠岐の島で進一さんや剛志さんから聞かされてはいた。
無礼極まりない行動や言動をする奴らの存在を、今回の伊勢詣りと彼女の話から痛感した。
彼女の感じている悲しみは、つきたくもない嘘をつく自分へ向けたものだ。
きっと、そうした状況は彼女にとって多大なストレスなのだろう。
彼女が嘘を付かなくてはならない状況から、ストレスを受ける理由は何処にもない。
天使さんや見習い女神さんが神の使いだったとして、その正体を俺や彼女が問われる理由は一切無いのだ。
神の使いだと思うならば、そう思った、そう感じた本人が追いかければよい。
ワザワザ、俺や彼女に質問を繰り返して、確認の答えを求める理由は何もない。
例え理由らしきものがあるとしても、それは問う側の好奇心だけだろう。
己の好奇心を満たしたいのならば、己が努力すれば済むことだ。
他者に安易に答えを求めて縋るのは、他者からの答で満足を得ようとするのは、傲慢以外の何ものでも無い。
自分が信じれるものを信じればよいのだ。
すぅ~すぅ~
彼女の寝息を聞きながら、淡路陵で心に決めた言葉を思い出す。
〉俺が自分で学んで考える。
〉俺が自分で考えて学ぶ。
他者に問うことで答えを得る。
これは問いかけた側には、答えを得た利得があるだろう。
しかし問われた側には、何の利得もないのだ。
むしろデメリットばかりだ。
俺は色々と隠岐の島で、進一さんや剛志さんから学んだ。
俺は進一さんや剛志さんに無礼だっただろうか?
『門』に関わる何らの信念も持たずに、彼女の実家の方々に接していたんじゃないだろうか?
目をつむり、そうした考えを巡らせていると徐々に睡魔が襲ってきた。