14-12 呼び名
「父さん、日本酒を出すなら肴が欲しいよね。『しいしび』を炙るよ」
「おお、良いなぁ。炙ってくれ、ワシは酒を持ってくる」
進一さんに剛志さん。『しいしび』て何ですか?
剛志さんと進一さんがダイニングテーブルを離れ、一人で残された俺は、同じくダイニングテーブルに残されたアルバムをめくる。
見ていないアルバムには、金髪の市之助さんと金髪の幼い進一さん、そして茶髪の可愛らしい女の子が写っている。
年齢的に進一さんの妹、つまりは彼女だと思えるものだ。
その可愛らしさは素晴らしいものだ。
全てが笑顔で屈託のない可愛らしさ。
彼女は、子供の頃から可愛かったんだなと改めて思う。
ちょっと待て。
これって、俺が見て良いのか?
彼女の了解を得ずに、彼女の幼い頃の写真を勝手に見ても良いのか?
俺はそっとアルバムを閉じた。
クンクン。
何かキッチンの方から香ってくる。
イカを炙ったような香りだ。
「二郎君、待たせたな。これがおすすめの酒だ」
香りの正体を気にしていると、剛志さんが4合瓶を両手に戻ってきた。
「まずこっちが隠岐の島の名酒だ。そしてこっちが海草焼酎だ」
「そしてこれが『しいしび』だよ」
進一さん。剛志さん。
日本酒に焼酎にイカなんて、絶品の組み合わせです。
「ああ~ おいしい いかだ~ パパ たべていい?」
恭平君が匂いに誘われてやってきた。
恭平君の後ろから女性陣もやってきた。
「おねえちゃん このいか おいいしんだよ」
「恭平ちゃん。良く言えました。グッ!」
秦さん。そこでサムズアップですか?
「グッ」
恭平君。君までサムズアップですか?
「あなたも進一も、『しいしび』まで出してるの、早いけど晩御飯にします?」
吉江さんの提案を受け、時計を見ると5時を過ぎたばかりだ。
昼食を抜いている俺としてはありがたい言葉だが、さっきまで恭平君と女性陣は赤福を食べていたよな?
「あなた。お酒飲むなら、先に恭平をお風呂に入れてよ」
おっと、これまで静かだった里依紗さんが動き出したぞ。
進一さんと剛志さんが少し肩をすくめ頷きあった。
「恭平、お風呂に入るぞ!」
「はぁ~い」
そう言って、進一さんと恭平君は連れ立って風呂に向かおうとしたが、俺に驚きの言葉を掛けてきた。
「二郎くん。良かったら君も一緒にどうだ?」
えっ? いきなり進一さんと入浴?
「やった~ おにいちゃんも いっしょにおふろ~」
「え、でも、その、」
突然の入浴同行に驚いている俺の肩に、剛志さんの手が掛かる。
「二郎君。まさかと思うが墨でも入ってるのか?」
「す、墨?」
剛志さん。肩の手に力が入ってますけど。
◆
「いち、にい、さん、よん、ごお、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう!」
ザバー
恭平君が10を数えて湯船から飛び出す。
「里依紗!恭平が出るぞぉ~」
「ママ~ でたよぉ~」
進一さんが里依紗さんを呼ぶと、浴室の戸を勢い良く恭平君が開け、脱衣所に出て行く。
バタバタと足音がしたかと思うと、バスタオルを構えた彼女が見えた。
「恭平ちゃん。お姉ちゃんがフキフキするね」
そう言って、彼女が恭平君の濡れた頭やら体やらを拭いている。
俺は進一さんと一緒に湯船に浸かりながら、その光景をボーッと眺めていた。
彼女の実家の風呂場は、かなりの大きさだ。
淡路島の実家の風呂はジャグジー付きだが、こちらは檜風呂な感じの湯船だ。
俺と進一さんが一緒に入っても余裕があるサイズだ。
「進一さん。この風呂は広いですね」
「市之助さんが広い風呂を欲しがったんだよ」
「それでもかなりの大きさですよね」
「う~ん。俺は生まれた時から、この大きさだから慣れてるのかな?」
あり得る話だ。
子供の頃から慣れていると、そういうものだと心が理解してしまう。
「僕が恭平ぐらいの頃は叔母さん達も同居してたから、市之助さんは大きい風呂にしたんだと思うよ」
「なるほど」
「由美子から聞いたんだけど、二郎くんは明日と明後日は隠岐の島に居られるんだろ?」
「はい。進一さん、今回は急に訪ねてすいませんでした」
「ククク、気にするな。二郎くんが来るのは由美子から聞いてたから」
そう言って、進一さんは開け放たれた戸から見える彼女に目線をやる。
俺も進一さんの目線を追えば、彼女が恭平君にパジャマを着せていた。
パジャマを着終わった恭平君は、ダッシュで脱衣所を出て行く。
残された彼女は恭平君の衣服やら、俺と進一さんの衣服を洗濯機に放り込んでいる。
衣類を放り込んだ洗濯機の蓋を閉めた彼女は、恭平君が開け放った浴室の戸に手を掛けながら声をかける。
「お兄さん。里依紗さんから着替えを預かってるから置いてくね。センパイの着替えも置いとくから」
そう言って彼女は浴室の戸を静かに閉めた。
恭平君の居なくなった浴室には、俺と彼女の兄の進一さんだけ。
急な静寂の中には、わずかな湯の音だけ。
「センパイって呼び名なのかい?」
進一さん。
ニヤニヤしながら俺を見ないでください。