11-10 焼餃子
寝泊まりしている部屋には、俺の知らない物が置かれていた。
彼女のキャリーバック。そして彼女が着ていたパンツスーツがハンガーに掛けられ、鴨居に吊るされている。
彼女が着替えるのに、バーチャんの指示でこの部屋を使ったんだろう。
俺もスーツから普段着に着替え、それまで着ていたスーツはハンガーにかけ鴨居に下げた。
ウエストポーチからスマホを取り出し充電器に繋ぐ。
スマホの充電器の脇におかれたPadに目が行き、バーチャんとの昨晩の会話を思い出した。
> 東京に戻っても続けるが良かろう。
有給休暇が終わって東京に戻る。
今日の部長の言葉だと、職場にはパワハラ課長も山田もいない。
職場の雰囲気は変わるだろう。
そこでする仕事は?
この1週間でやった仕事は、課長の代返を4通。
それも彼女と鈴木さんと田中君で済ませてしまった。
以前だとそれだけでも終電残業の材料だった。
以前なら、返信を書くために関係部署と確認の会議開催を計画して、課長に承認をもらう。
会議参加者の都合を調整するために走り回る。
会議では議事進行をし、議事録も作成して課長承認を貰ってから参加者全員に発送する。
それでようやく返信文書を書き始めることができた。
書き上げた返信文書は、課長承認を得るまで何度も書き直す。
社内での課長宛に来たメール。その返信を1通作成するだけのために、そうした作業を続けていた。
その合間を縫い自分の売上を立てるために、お客様への提案、アフターフォロー、見積書の作成…などなど。
このお客様へお出しする書面は、全てに課長のチェックが入り、何度も書き直しを要求された。
しかもパワハラ課長のチェックは、印刷した書面で行われる。
何て非効率的な作業をしていたんだ。
課長のチェックを得るために印刷する必要があったのか。
各所各局面で入る課長の承認は必要だったのか。
承認を得るための文書を、何度も書き直す必要があったのか。
振り返れば、俺はこうした非効率的な作業を盲目的に続けた理由がわからなくなった。
いや、もう考えるのはやめよう。後悔するのはよそう。
有給休暇を終えて東京に戻れば、非効率的な作業を要求する者はいないのだ。
◆
普段着に着替え終えた俺は仏間に戻ったが、バーチャんがいない。
どこにいるんだろうと思い、台所に続く食卓を見ればバーチャんが席について足をブラブラさせていた。
しかも食卓の上には4Lペットボトルのウィスキー、氷と炭酸水が置かれている。
ああ、これは早く飲みたいバーチャんの催促サインだ。
「バーチャん。先に飲み始める?」
「二郎。心配で飲めん!」
バーチャんが不穏な言葉を口にする。
「秦の娘が溺れとらんか見て来い。」
「…」
俺はバーチャんの言葉を無視して、冷やしたジョッキを冷凍庫から出しハイボールを1杯だけ作り始めた。
バーチャんの視線はハイボールジョッキに釘付けだ。
出来上がったハイボールをバーチャんの前に置き、バーチャんに囁いてみた。
「バーチャん。飲みたいなら彼女が溺れてないか見てきて♪」
その言葉を聞いて、バーチャんは小走りに風呂場に向かった。
う~ん。この技は使える。
俺は再び冷凍庫から、海老餃子と骨無しの赤魚を取り出す。
赤魚を鍋に入れ、つゆの素を適量+料理酒+味醂+生姜で煮汁を作り蓋をして火にかける。
続いてフライパンを火にかけサラダ油を垂らす。
フライパンが熱され、油が回ったら冷凍餃子を袋半分ほど入れて、餃子が半分浸るまで水を入れ蓋をする。
フライパンと鍋の両方の蓋から蒸気が出始める頃に、バーチャんが食卓に戻ってきた。
「バーチャん。彼女、溺れてた?」
「いや、生きとったぞ。心配なら二郎が見てこい。」
食卓に座ったバーチャんがジョッキに手を伸ばすと、脱衣所の方からドライヤーを使う音が聞こえてきた。