11-9 秦由美子
「ただいまー」
「こんばんは。お邪魔しまーす」
「二郎か。遅かったのお」
彼女の挨拶の声に反応して、バーチャんが仏間から玄関へと小走りにやってきた。
「よういらした。ほんに可愛いのう」
「今日は急にお邪魔してすいません」
「秦の娘さんじゃ。遠慮するな」
俺はバーチャんの言葉に一瞬、固まってしまった。
「二郎。ぼやっとするな。荷物を持て」
「バーチャん。ちょっと待って」
「なんじゃ。秦の娘さんを待たせるんか?」
「それそれ」
「ソーラン節か?」
「違う違う」
「なんで『秦』の苗字を知ってるの?」
彼女に目線をやるとキョトンとした顔をしていたが、俺と目があって慌てて挨拶を始めた。
「改めて名乗ります。秦由美子といいます。二郎さんとは⋯」
「ほれ、やっぱり秦の娘じゃ」
バーチャんの言葉に再び彼女と顔を見合わせてしまった。
「市之助と京子さんの孫、吉江さんと剛志の娘で由美子さんじゃったか?」
「ええ。そうですけど⋯」
「秦さん。バーチャんのお知り合い?」
プルプルと首をふる彼女。
バーチャんは、彼女の祖父母と両親の名まで口にした。
それでも彼女は、バーチャんを知らないと言う。
何だこの状況は?
「そうか!由美子さんは親御さんから聞いとらんか?」
「え、ええ。聞いてません」
「二郎、まずは由美子さんに上がってもらえ」
「秦さん。大丈夫?」
「ええ、大丈夫だと思います」
「二郎。昨日と同じじゃ。由美子さんの荷物の泥を落とすんじゃ」
俺が先に廊下に上がり、昨日同様に絞った濡れ雑巾を手に玄関に戻ろうとすると、仏間からバーチャんが電話する声が聞こえた。
「吉江さんか。由美子さんを預かった」
バーチャん。誘拐犯ですか?
俺は玄関で彼女のキャリーバックの車輪に着いた汚れを拭き、廊下へと引き上げる。
その時、玄関前に停めた軽トラを思いだした。
軽トラを玄関前から移動し、いつも駐めている車庫のような建物に納め充電装置を繋ぐ。
忘れ物がないかと車内を確認すれば、スマホと財布を入れたウエストポーチやら、履き替えた靴を入れた紳士服量販店の袋やらを置いたままだった。
紳士服量販店の袋の中を覗けば、彼女が誕生日プレゼントでくれたネクタイの箱や包み紙も入っていた。
こうしたプレゼントって、包み紙や箱も保管しとく必要があるのだろうか?
欧米では包装紙は破いて捨てる考えが多く、日本人は丁寧に包装を解くのが多いらしい。
そういえば、大学時代に友人との話しに出たこともあった。
その友人は彼女からの誕生日プレゼントを受け取り、包み紙と箱をゴミ箱に捨てたそうだ。
そのゴミ箱に入れられた包み紙と箱を彼女が見つけてしまい、説教をされたとか嘆いていた。
当時は羨ましく思いつつも、何の話だと感じたが、こうして当事者になると配慮をもとめられるなと実感する。
俺は包装紙を可能な限り丁寧に畳み、箱と共に紳士服量販店の袋に入れ直した。
ショッキングピンクの軽トラをいつもの場所に戻し終え母家に戻る。
紳士服量販店の袋とウエストポーチを手にした俺は、母家の玄関に入って彼女の荷物が無くなっているのに気がついた。
キャリーバッグの車輪を拭いた雑巾もない。
彼女が移動したのかと思いつつ、仏間を覗くと、いつもの様子でPadを操作するバーチャんがいた。
座卓の前に腰を降ろした俺をバーチャんがじろじろと見る。
「二郎がネクタイしとる!」
「ああ、これ?」
「そう言えばネクタイを買うとか言うとったのう」
「これは、彼女に貰ったんだ」
「彼女?」
「そうだけど?」
「二郎。二股はいかんぞ!」
「誰が二股ですか?」
「秦の娘を連れ回すは、彼女もいるんじゃ二股じゃ!」
「違う違う。秦由美子=彼女だよ」
「ほぉ~ もう彼女なんか?」
「バーチャん」
「なんじゃ」
「からかってるでしょ?」
「⋯てへぺろ」
『てへぺろ』って何だよ。
それにしてもバーチャんは上機嫌だな。
「そう言えば彼女は?」
「風呂に入っとる」
「風呂?」
「風呂じゃ。二郎も一緒に入るか?」
「バーチャん!」
「ジョークじゃ」
やっぱりバーチャんは上機嫌だ。
「それより晩御飯はどうする」
「餃子だったね。彼女が風呂から出てきたら焼くよ」
「良か良か」
俺は着替えるため、仏間を出て寝泊まりしている部屋に向かった。
彼女はお風呂か。
バーチャんとも縁があるようだし、風呂に入ってるぐらいだから気兼ね無く過ごせてるなら良しとしよう。
それにしても、バーチャんと彼女の縁が不可解だな。