第2話 シュンとしながら思考する
子供達に何かを問われた時、クレアリンゼはソレに必ず『大人の話し言葉』で答えると決めている。
子供にはまだ理解できない様な難しい言葉を敢えて使う事で、子供に考える場を与える。
その為に「それはつまりどういう事?」と聞かれる事を前提とした話し方を敢えてしているのだ。
いつだって何だって、子供の学びに繋げたい。
そう思っているからこそ『効率』を追求した結果が、この処置だった。
「お母さま」
「何?」
「……『義務』は、『しないといけない』っていうことでしょう?」
「そうね」
セシリアはうんうんと唸りながら、先程のクレアリンゼの言葉を一生懸命に解析していた。
クレアリンゼのこの教育方針は、彼女が生まれてきた時から全く変わらない。
その為セシリアはまず、既に記憶の中にある頻出単語を母の言葉の中から検出し、母に行う質問事項から順に除外していく。
そうやって4歳児にはまだ明らかに難しい言葉を一つ一つ一地道に、自分の思考へと落とし込んでいく。
「『領民』は、お父さまがお世話してる場所に住む人たち、っていう意味でしょう? ……『知識と教養』は……『おべんきょう』のこと?」
「えぇ、両方とも正解よ」
「……『税金をもらう』って、なに?」
「それはね、領民の方がお父様に『お世話してくれてありがとう』っていう気持ちで食べ物やお金をちょっとずつお父様に渡す事よ。私達はそのお金や食べ物のお陰で、毎日のご飯が食べられてフカフカの布団で眠れるの。だから、私達は『そういう生活をさせてくれてありがとう』という気持ちを、領民の方々にまた返さなくてはならないわね」
クレアリンゼがそう答えてやるとセシリアはまた唸って、少し考える様子を見せた。
そして再び、母親に問う。
「……わたしたちは、領民にお返しをしないとダメ。だからそのために『おべんきょう』はしないといけない、っていうこと?」
セシリアのペリドットの瞳が、母の瞳とかち合った。
「合ってる?」と言外に問うその瞳に、クレアリンゼは満足げに微笑む。
「正解。良く出来ました」
言いながら、彼女の柔らかい髪をクシャリと撫でる。
少しくすぐったそうに、しかしとても嬉しそうにその手を享受してくれた。
しかし次の瞬間、ハッと何かを思い出し「でも」と顔を曇らせる。
「だったらわたしも、マリーお姉さまみたいに『おべんきょう』が『大変』になるのね……」
母の言葉を理解すると同時に、勉強が『避けられない現実』であると気が付いてしまった。
頑張って、褒められた後にあったのは「自分の願いは叶わない」という事実。
その現実に、落胆しない筈が無い。
まるで全ての絶望を纏めて背負ったかの様に再び、否、前よりも寧ろ酷い落ち込みを見せる。
そんな娘に、クレアリンゼは思わず苦笑した。
つい先ほどまで嬉しそうに笑っていただけに、彼女の表情の落差が酷い。
(確かに嫌なのは分かるけど、何もそんなに絶望しなくても)
そんな風に思いもするが、すぐに「自身の経験の中にも似た様な事があった」と思い直す。
子供の頃は誰だって、大人になってから考えると大したこと無い様な事に一々、一喜一憂していた様な気がする。
きっとそれは誰もが通る道なのだろうと思えば、彼女の落胆ぶりも別に特段おかしなものでもないと思えて来る。
そんなことを思いながら、しかし此処で親心が働いた。
せっかく頑張って難しい言葉を読み解いたというのに、その先にあったのが絶望だなんて少し可哀想な気もする。
しかし彼女が『おべんきょう』に向き合わねばならないという現実は覆すことが出来ない。
その為すっかりテンションの下がってしまったセシリアの、心を軽くする為の言葉を『助言』という形に置き換えて告げることにした。
「したくない事をしなければならない時に一番楽なのは、物事を『効率的』に終わらせる事よ」
「っ!『効率的』!! お母さまの、好きな言葉ね!」
現状を打開する為のカギと、『効率的』という言葉。
それは問題点を解決する為の、一つの光明だった。
中でも後者は特に母の口癖であるだけに、自身の前に立ちはだかる問題を母の口癖に則って解決できるのだと言われて、セシリアのテンションが急上昇する。
「効率的、効率的♪」
原因不明のハイテンションで、嬉しそうに母の口癖を連呼する。
そんな娘に、母は「どうしたの?」と問いかけた。
するとこんな答えが返ってくる。
「お母さまの好きな言葉でわたしの嫌なことが解決できたら、なんかとっても嬉しいでしょ?」
娘のそんな言葉に、クレアリンゼは驚くと共に少し嬉しくもなった。
(確かにそれは、『なんかとっても嬉しい』わ)
そう言う他に、一体どう形容していいか分からない。
そんな気持ちを掬い上げた言葉がきっと『なんか』の正体だ。
そう気がついて、クレアリンゼは思わず「フフフっ」と笑ってみせた。
そして「そうね」と答えてやると、母から得られた同意の言葉にセシリアもふわりと微笑んだ。
もしもセシリアの人生で明確に『効率』への道を歩み始めた日があるのだとしたら、そのきっと起点はこの日をおいて他に無いだろう。
数十年後。
子供達や孫達に囲まれて、老成したクレアリンゼはそんな風にこの日の事を振り返る。
そう。
これはセシリアという一人の女の子が、『効率主義の権化』として国内外にその名前を轟かせるまでのお話である。