1話 お粥の対価
目を覚ます、今日も1日が始まる。夏や冬と違い春は目が覚めた時のストレスが少ないので好きだ。暑さにうなされる事も無く、寒さに凍える事も無い。強いて言えば私を優しく包んでくれている布団を裏切って跳ね除けなければいけない所だ。しかし、布団は幾ら裏切っても絶対に優しく包んでくれるのだ、出来損ないの私にはとてもありがたい友人である。また休日にでも布団を干してあげよう等と考え事をしながら身支度を済ませる、少し残ったコーヒーを飲み切って家を出る。
しかし何か違和感がする。遠近感のズレを感じ階段を降りるのが困難だった、とうとう世界は終焉を迎えるのかもしれないと少し期待しながら駅に向かうがいつもより時間がかかってしまい電車を一本乗り遅れてしまった。出勤時間には余裕で間に合うのだがなんだかんだずっと同じルーティンで過ごしていたので皆勤賞を逃してしまったような感覚で悲しかった。駅に着き改札を超えると世界が更に歪みだした、今日の書類仕事は誤字で怒られそうだなと考えながらホームに着いた瞬間、私は意識を失った。
目を覚ます、周りを見回す。私は気が付いたらベッドで寝ているようだった、しかし薬の匂いはしないので病院では無さそうだ。友人も居ないので友達の家という訳でも無さそうだ。つまり誰かしらに連れ込まれた可能性が高いという訳だが拘束されている訳でも無く、下腹部には違和感はない。服装の乱れも無いので強姦目的の誘拐とも思えない。こうなってくると私をこの部屋に連れてきた人間の犯行理由が分からない、考えても分からない以上とりあえず外に出て助けでも呼ぼうと立ち上がろうとしたが上手く力が入らず床に倒れたのと同時にドアが開いた。ドアから部屋に入った人間の顔を確認しようとしたが、床に倒れてしまった影響で持っていたトレーで顔が隠れて確認出来なかった。
「何してるんですか!安静にしてないとダメですよ!」
とても誘拐まがいの行動を起こした人間のセリフとは思えない。ここが病院なら看護師のセリフとして受け入れられたがここは見ず知らずの他人の家だ、不審者の狂言としか受け取れない。そんな事を考えていると声の主が私を抱き上げてベッドに横たわらせた。
ベッドに横たわり誘拐犯(?) の顔を見る。職場の人間にも知人にも一致する顔は思い浮かばなかったので満場一致で他人なのだろう、しかし透明感のある肌、触れると砕けてしまう硝子のような印象を持たせる体、中性的な顔つき、声を聞く限り男だろうか。少し見惚れてボーっとしてしまった。目の前の男が話し出す。
「大丈夫ですか?あなた駅のホームで倒れたんですよ。体温も低くなってましたよ、ちゃんとご飯食べていますか?」
男に言われて記憶を遡る、よくよく考えたら三日も食べていなかった。普段からあまり食べていなかったが栄養失調で倒れるまで食事を忘れるとは最早生物としてダメなラインまで落ちてしまったみたいだ。
「すいません、最近ご飯食べるの忘れていたみたいで。ご迷惑おかけしました。」
再度、立ち上がろうとするがやはり力が入らず倒れそうになってしまった所を目の前の男に支えられる。身体つきは柔らかくとても男性とは思えなかった。
「だから安静にしてくださいってさっき言ったじゃないですか、とりあえずお粥作ったんで食べてください。でないとまた外で倒れますよ。」
彼が持っていたトレーにはお粥が乗っていたみたいだ、お粥も認識した瞬間途端にお腹が空いてきた。しかし、私を部屋に連れ込んだ男だ。何が入っているか分からない物を口にするほど生活に困っている訳では無い。男を怪しんだ顔で覗いていると男はすぐにお粥を目の前で食べて見せた。
「毒なんて入っていませんよ、食べてください」
男は微笑みながら語り掛ける、しかし今日初めて会った男の事を信用出来る訳がない。
「どうして私をここに連れ込んだんですか?それに私達今日初めてお会いしましたよね?」
「それもそうでした、まずは自己紹介と状況説明からでしたね」
さっきから微笑んではいるが真意が見えない、何を考えているのか分からない。印象としては柔らかい物なのだが表面的な物しか見えてこない。関わってもロクな事にならないのは目に見えているのでお粥を食べ終わったらそうそうに帰宅する事を考えながら男の自己紹介に耳を傾ける。
「私は美澄紗代、フリーターです。あなたの事は駅で何回も見かけていてずっと気になっていたんですよね。それであなたがちょうど駅のホームで倒れていたので友達のふりをしてあなたを背負って家に連れてきたって訳です。」
気になっていたから誘拐?何を言っているのだろう、理解できない。ただの犯罪者じゃないか、いくら顔が良いからって何をしても良いわけではないのだが。それよりも
「紗代さん?もしかして女性でしたか……?」
そう問いかけると紗代の声は少し高くなり私に返事する
「そうなんですよ、よく間違われるので気にしなくて大丈夫ですよ。」
見た目だけでなく声もかなり中性的で完全に男だと思っていたが意図的に少し声の高さを落として話していたようだ。まるで私に男性と意識させるように。
「それより、私が気になっていたってどうゆうこと?私何か変な事していました?」
言ってはみたが全く見当がつかない、自分で言うのはなんだが容姿は整っている方である、昔はこの容姿をふんだんに利用していた時もあった。しかし今は静かに暮らしている、それなりの服でそれなりの化粧で少し美人のOLくらいな物だろう。私の何がコイツの目に留まったのだろうか。
「あぁ、特に変な事をしていたとかではないですよ。私の癖と言いますか人間観察が趣味なんですよ、駅であなたを見た時立ち振る舞いから育ちの良さを感じて、それなのに眼は虚ろでどこか遠くを見ていて、心の奥底で絶望しているのを感じたのでつい話を聞いてみたくなってしまって……//」
何を照れているんだコイツ、不審者ですと自己紹介をしている状態だぞ、マゾか露出狂の気があるんじゃないかと思うとほんとに関わりたくない、今すぐ帰りたい、無理。顔以外が全部無理。顔が良いからこんな変人になったのか顔が良い奴は総じて変人なのかどちらなのだろうか、後者なら私はもれなく美人の看板を降ろして生きていきたいものだ。
「申し訳ないですけど私そんなに面白い人生歩んできた訳じゃないので話を聞いても面白くないと思いますよ?それに長居していても迷惑ですから、これを頂いたらすぐに帰らせてもらいますよ」
「いえいえ!別にここ私の家じゃないんで気にしなくて大丈夫ですよ、家主もあと一週間ぐらい帰ってこないですし!」
コイツに一般常識はないのだろうか、他人の家でゆっくり休めるほど図太い神経を持ってる人間なんて1000人に1人いるか居ないかだろう。
「それにあなたから色々話を聞くまで返してあげるつもりありませんよ~?だから観念してください♡」
うぜえ。危うく声に出して言ってしまいそうになった、声には出さなかったが顔に出てしまっていたみたいで紗代はこちらに笑みを向けてきた。はっ倒してやろうかと考えたけれどめんどくさいのは嫌なので諦めて適当に身の上話をする事にした。