山の天狗(てんぐ)
…
「ふわ~あ、良く寝た。さて…行くか」
辺りは暗闇から明るさを取り戻し、やがて灼熱の太陽の照り付きが辺り一面を照らす。
一つ伸びをして外へ行く準備を軽く済ませると、それに気付いて目が覚めたバルロが口を開いた。
「……こんな朝っぱらから何処に行くんだ?くあーあ、いい天気だこと」
「アルーラに届け物をな」
多分、彼女は医者に手当てを受けていないだろうと思っていたスライは傷に良く効く薬草を取りに行くつもりだった。
「ああ、薬草か。なんかあったら知らせてくれ、俺はここで寝てるからよ」
眠そうな声で応答する相棒の姿にスライはため息を一つ吐いた。いつもの事だ、また飲み過ぎたのだろう。
とはいえ、二日酔いで動けない…などといった失態は起こさないのも分かっている為こうして留守を任せれるのだが。
「おう。行くぞ、嶐羅」
『あいよ、兄貴』
外へ出ると虚空へ呼びかけ、大気中からリュラを呼ぶ。
聖なる精霊、【聖霊】であるリュラはいつもスライの大気へと溶け込んでいる為、このような事が出来る。
その場の性質に左右されるただの精霊には不可能。出来たとしてもなんらかの補助が必要だろう。
そんな不死鳥の聖霊、リュラの背に乗りこみ、薬草を採るべくパルクオラ山へと向かった。
…
「ふぅ、着いたか」
地に降り立つスライの周りには鬱蒼と生い茂る草木達が生え、幻想的な緑が広がっていた。
ここはスライの住む街、パルクオラ近くにある山の一つ。
魔物や猛獣も出る決して穏やかでは無い山だが、薬草や薬になる実がある事で依頼がしばしば出る所でもあった。
「リュラ、疲れたろ。休んでもいいぞ」
『…そうさせてもらうよ。兄貴、またな』
大気中へと消えていくリュラを見送り、スライは頭の中記憶を探る。
「さて、さっさと用事を済ますか……えぇと確か…山の半ばに生えてたよな…っと。」
スライが探しているのは〝トリース草〟という薬草。
最近発見された傷に良く効き、鎮痛効果のあるこの薬草はギルドに採取依頼が出る事もある物だった。
しかし、その市販の薬よりも効果もあるこの薬草は常に品切れが続いており、買う事は困難。
この山に来た理由は別の任務中、奥深くに群生していた所をたまたま発見したからである。
「お主…ここを登るのか?」
木々の枝を蹴り、飛び移りながら軽快に山を登ろうとするとそれを見ていた見知らぬ老人が尋ねて来た。
至って普通の格好をした、少し腰を曲げた老人。
だがこんな危ない場所に一般人がいる筈も無く、その老人に隙は見えなかった。
「ああそうだ。貴方は?」
「唯の地主じゃよ。ここを登るんだったら気をつけるんだな……この山には天狗が出るんでな……」
スライの言葉に老人はそう意味深に言い残すと静かに去って行く。
唯の老人が…〝足音を立てずに歩く筈もない〟のだが、そんな事よりも言い残したその言葉にスライは興味が出ていた。
「…天狗……か。はっ、おもしれぇ…確かめてやるか」
スライは天狗に会えるかもという期待に胸を膨らませつつ、薬草を採りに山へと登る。
それから大体30分後くらいだろうか。スライは目的の場所にある薬草の群生地に着いた。
「確かここら辺に…お、あったあった」
木に囲まれた場所にひっそりと群生するトリース草。
そのの束を見つけると懐にしまう。これで目的は果たした……が、流石にこんな奥地まで来ると身体が少しばかり疲れていた。
「……少し休むとするか」
ふと辺りを見渡して一息つくために適当な木に腰を掛ける。
椅子の代わりには手頃な倒木だ。腰を掛けても問題無い程に丈夫だ、これなら座っている途中に割れたりすることは無さそうだ。
「…ふぅ…」
差し込む柔かな日差し、野鳥の鳴き声が心地よい。
これだけならばとても猛獣などが出るとは思えない程だ。
──が、スライが休んでいると奥の茂みの方から音が響く。
「…なんだ…あの音は?」
風切り音に近い鋭い音。だが、風切り音ではない。今は葉も揺れていないからだ。
「もしかして…天狗か……!?」
先ほど老人が言っていた言葉に少しばかり胸が踊っていたスライは急ぎながらも、静かに音のする方へ向かう事にした。
音の聞こえた方では、一人の男が居た。
黒いシャツの上にオリーブ色のジャケット、下はジーンズ。
髪は黒く逆立っており、左眼には眼帯。そして両の腰元には2本の刀が添えられていた。
なんとも不思議な風景だ。男は何をする訳でもなく、刀の鍔に手を掛けながらただジッと瞑想をしているのだ。
「…これが天狗の正体か?…まさかな……」
気付かれないような距離でそれを見たスライの口から出たのは拍子抜けの言葉だった。
見てみれば唯の人一人、下駄を履いてるわけでも無く、化け物じみた風貌をしている訳でも無い。
そんなスライが男の方を見ていると後ろの方から別の音がした。
乾いた音だ、枯れ木の枝でも猛獣が踏んだのだろうか。
音の方を見てから視線を戻すと──さっきの男は消えていた。
「…ん?いなくなったか?……とりあえずさっきの音の方に行ってみよう。魔物の可能性も否めない」
天狗程では無いが、ここには一般人を食い物にする魔物も居る。それがこの山から出て麓の民家に来ない様にするのも仕事になる場合がある為、魔物は討伐対象なのだ。
自然の輪にある猛獣と違い、魔物の多くは負の概念から生まれる。
精霊と対になる存在なのだ。
「──ここら辺だった気が……」
辺りを見渡したが誰もいない──と、背後に気配がした。
「…! 何者だ……」
後ろの人の気配に気付いたスライはその場を振り返り、問いた。
後ろには様々なダメージ加工がされた黒いジャケットを羽織り、赤いバンダナを巻いた二人組が立っていた。
「何者だはこっちの台詞」
「ここは社さんの縄張りだ。よそ者はただじゃ通せねぇ」
ちょっと溜め息を吐きながらスライは最近この山に柄の悪い奴らが屯していると言う噂を思い出した。
なるほど、彼等がそうなのだと。
「争い事はしたくないんだけど…聞いてくれそうもねぇな──火走り!」
スライは拳に火を纏わせ、素早く二人の腹部にねじ込む。
火を拳の推進力としてその威力を増し、その速さは宙に火を走らせる!
「…っぐ…早…っ……」
鈍い音が聞こえ、二人は倒れた。威力は抑えてある為、暫くすれば動けるようになるだろう。
気絶させなかったのは慈悲、ここで魔物に食わせる程スライは外道では無い。
「……もう夕暮れになるな……チッ、遅くなっちまった。天狗を見るのは今度にしよう……不安だから魔物避けの護符置いといてやるか」
なんとなく不安感があったスライは懐のポケットから常備してある護符を一つその場に貼った。
これで彼等が離れない限り魔物は寄ってこない。
護符を貼り終えたスライはその場から離れ、開けた場所で相棒たる不死鳥の聖霊、リュラを呼ぶ。
「リュラ、物は採った。ギルドに向かうぞ」
──あいよ。
虚空から燃え盛る炎と共に現れたリュラへとスライは乗り込んだスライはギルドに向かう為にその場を後にした。
山に残る怪しいその眼帯をした男の眼光には気付かずに……
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