06.敵意! 気に入らない女
「私の秘密を知ってるって、なんのこと?」
その少女――生富綾は、普段と変わらぬ様子で尋ねてきた。嫌味なほど整った顔立ち。ニコリともしない無愛想な顔。呼び出されたというのに、全く緊張が感じられない。
真由は一歩前に出る。どちらが上かをはっきりわからせてやらねば。こういったことは最初が肝心だ。腕を前に組んで、できるだけ威圧的な声を出す。
「あんたさ、どういうつもり?」
よし、うまくいった! 真由は内心で自分に拍手を送る。声もうわずらなかったし、噛まなかった。怒りも十分に伝わっただろう。
真由は本番に弱いタイプなのだ。そのせいで、今まで散々苦労してきた。
しかし、憎らしいことに、生富は怯えた様子もなく、平然とした顔で聞き返してくる。
「どういうつもりって?」
「しらばっくれんな。お前、昨日紅一君に色目使ってただろうが」
花菜が怒りをあらわにする。
どうも木村先輩の件が尾を引いているらしい。今日の花菜からは恐ろしいぐらいの気迫を感じる。はっきりいって恐い。
「そういうのやめてくれる~? 目障りだしぃ。第一、紅一君、話しかけられて迷惑そうだったよ~」
結愛の辛辣な言葉。相変わらず、気に入らない同性には容赦がない。
しかし、そんな言葉を浴びせられても、生富はケロリとした顔をしている。
その様子に、真由は苛立ちながら、話を続ける。
「あんたさ、いつも私らのこと小バカにした目で見てるじゃない? クラスにも非協力的だし。それなのに、紅一君がイケメンだからって目の色変えてさぁ。なんなの、あの媚びた態度。恥ずかしくないの?」
「ほ~んと。あそこまであからさまだと逆に笑える~」
「“迷惑かけてごめんね”とか気持ち悪いんだよ」
三人でよってたかって、彼女を非難する。
普通の女子なら泣き出してもおかしくないような状況だ。
だが、彼女は全く反応しない。
……なんなのよ、こいつ。
「なんとか言ったらどうなんだよ!」
我慢の限界とばかりに、花菜が生富を小突く。
グラリと彼女の体が揺れた。
さぁ、どうでる? 怒る? それとも泣く?
真由はドキドキしながら、生富の反応を待つ。
真由は生富が嫌いだった。
彼女のすました顔が嫌いだった。
人を見下した態度が嫌いだった
そして何より、こちらを見透かしたような眼が嫌いだった。
――彼女を前にすると、なぜかひどく惨めな気分になる。
今回の呼び出しも、彼女に自分の立場を思い知らせてやるためだった。
紅一君のことは口実にすぎない。
それなのに――生富はどこまでいっても生富だった。
彼女はただ笑った。とても楽しげに。
まるで“こんなことは大したことではない”とでも言わんばかりの様子で――
真由はザワザワと胸が波立つのを感じた。
生富は唇に指を当てると、小首を軽くかしげる。
口元にはうっすら笑みを浮かべて。
その動作がいちいち色っぽい。
「ねぇ、私の秘密ってなぁに?」
艶っぽい声。
……なぜ、こいつはこんなにも余裕なんだ?
「はぁ? 知らないわよ」
真由は精一杯強がる。
「そんなの自分で考えれば~?」
「お前、どんだけやましいことあるんだよ?」
花菜たちも真由に続く。しかし、言葉にさっきまでの勢いがない。生富の態度に押されている。
このままじゃ、ダメだ。しっかりしなきゃ。じゃないと……
生富はというと、笑うのをやめ、今度は“あらぬことを疑われて傷ついた”といわんばかりに、その顔を曇らせる。
「やましいことなんて何もないわ、そんな意地悪なこと言わないで。なら、私の秘密なんて何も知らないのね?」
こちらをうかがうような表情。
「さっきからそう言ってるでしょ。それよりも私たちの質問に答えなさいよ。あんたさ、どういうつもりで紅一君に媚びてるわけ?」
真由は毅然とした態度を取る。生富はしゅんとした顔をした。
「……ごめんなさい。私、そんなつもりじゃなかったの。ただ星野君にお礼を言いたくて」
「そんなつもりなかっただぁ? じゃあ、どういうつもりだったんだよ」
花菜がたたみかける。すっかりいつもの調子を取り戻したようだ。
……花菜、顔が恐いわよ。でも、そうね。さっさとすませてしまおう。早く話を切り上げて帰りたい。
真由は本題に入ることにした。
「まぁまぁ、花菜もおさえて。生富さん、あなた、紅一君のことどう思っているの?」
「星野君? 星野君には倒れたところを助けてもらったから、いい人だと思っているけど。それ以上は特に何も…」
生富の困惑した表情。
真由はホッとした。一昨日の紅一君への態度を見ていると、彼女がそれを本心で言っているとは思えない。だが、何はともあれ、本人が特別な感情はないといっているのだ。それならこの場をうまく収めることができる。
「そう。なら話は簡単よね。これからは紅一君に関わらないでくれる?」
「あと、男子に媚びをうるのもやめてくれる? 見てて気持ち悪いしぃ~」
結愛がさらりと条件を追加する。……ちゃっかりしているわね。真由は内心であきれる。
しかし、生富はすぐに返事をしようとしない。
何かを考え込んでいる。
内心ヤキモキしていたら、花菜が声を荒げた。
「早く、返事しろよ」
ナイス! 真由は花菜のアシストに拍手を送る。
花菜の一声が効いたのだろうか? 生富は顔を上げて、真っ直ぐに真由を見つめてきた。
何かを探るような目。
な、なによ。
真由はゴクリと喉を鳴らした。
生富はそんな真由を見てニッコリと微笑むと、きっぱりと言い放つ。
「悪いけど、それはできないわ」
悪びれる様子もなく、ニコニコとしている。
「……は?」
えっ、なに? こいつ、もしかして断ったわけ?
カッと頭に血がのぼる。真由は忌々しげに彼女を睨み付けた。
「はぁ? あんた今の話ちゃんと聞いてた? 立場わかってる?」
「結愛、こんなに物わかりの悪い人、初めて見た~」
「お前、ふざけんなよ」
二人も我慢ならないといった様子で、真由に続く。当然だ。
それなのに――。あいつは、生富は、なぜかクスクスと笑い出した。
まるで、おかしくてたまらないといった様子だ。
「何笑ってるのよ!」
怒りにまかせて、彼女に掴みかかろうとする。
だが、軽く避けられてしまう。
「あっ、紅一君!」
急に驚いた顔をして、生富が真由たちの後ろを指さした。
「えっ!」
あわてて後ろを振り返る。……誰も居ない。
「何よ、誰もいないじゃない!」
前に向き直り、生富を睨み付ける。
「一体どういうつもり……」
文句をいいかけたが、言葉が途中で途切れてしまう。体が重い。頭もクラクラする。体中からどっと汗が噴き出てくる。これは一体?
前を見ると、生富がニヤニヤと笑っていた。
「気に障ったのなら、謝るわ。ごめんなさい。でも、わかってほしいの。私、悪気はなかったの」
声が出せない。体は自由に動かせず、頭は霧がかかったようにぼんやりとする。
――恐い、恐い、恐い。
本能的な恐怖が真由の体を支配する。
生富が一歩前に進み出て、真由の頬に手を当ててきた。
――恐い!
しかし、手を振り払うことはできない。されるがままだ。
彼女は優しく微笑み、のぞき込むようにして真由の目を見る。
「私、相川さんに憧れていたのよ。だって、とても強くて素敵なんだもの」
「強い?」
「ええ。でも同時にとても弱くて儚いわ。そこも素敵なの」
「弱い……」
彼女の言葉を馬鹿みたいに繰り返す。まるで人形にでもなった気分だ。
そんな真由に、彼女は優しく歌うように語りかける。
「いいのよ。無理に強そうに見せなくても。あなたはありのままが一番美しいのだから」
――ありのまま? でもそれでは……。
「どうして周囲の人間は、あなたのことをわからないのかしら? どうしてあなたは、あなた自身のことをわからないのかしら?」
――本当にどうしてだろう? 私は頑張っているのに。
「あなたには、あなたの輝きがあるの。自分を偽る必要なんてないのよ?」
――でも、みんな言うわ。私はダメな子だって。
「大丈夫。私なら、あなたのことをわかってあげられる。あなたを縛り付ける全てから解放してあげられる」
――本当に? ありのままの私を好きになってくれる?
「ねぇ、お友達にならない? 私たちきっと仲良くなれると思うわ」
――友達になる、彼女と。
「そうよ。私の言うことを聞けば、きっと何もかもうまくいくわ」
――彼女に従う……。そうすれば全てうまくいく……。
思考が塗りつぶされていく。彼女に何もかも委ねてしまいたい。そんな気持ちになっていく。
そんな真由を見て、彼女は馬鹿にしたようにクスリと笑った。
そして、さらに距離を詰めてきたその時――
バァン!
突然何かが破裂したような大きな音が聞こえた。彼女の視線が真由から外れる。途端、頭の中がクリアになる。
体が動く! 真由は精一杯力を振り絞り、彼女の手を振り払った。
「は、離して」
真由は肩で大きく息をする。息を整えてから、後ろを振り向き、花菜たちに話しかけた。
「二人とも帰ろう」
「えっ、どういうこと?」
「そうよ。話はまだ終わってないでしょ」
花菜たちが納得できないといった顔をする。しかし、そんなことはどうでもいい。一刻も早くここを離れなければ。
「いいから。今日は帰るわよ。早く」
「あっ、ちょっと待ってよ」
「真由ってば~」
二人の声を背に受けながら、逃げるようにして真由はその場から離れた。